秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

平成最後の皐月賞☆サートゥルナーリア

2019-04-14 | 世情雑感
79回皐月賞は予想通りサートゥルナーリア



サートゥルナーリアってどんな意味かなと調べたら、
古代ローマがカルタゴとのポエニ戦争で負けた時の後で、市民の士気を高めるために設けられた祭の名前だった。

特に馬鹿騒ぎと社会的役割の入れ替えを特徴とし、奴隷とその主人がこの期間だけ表面上役割を入れ替えて振舞った。


興味深いのは
Wikiページより
民主主義とは、主人と奴隷の立場を(表面上)入れ替えたサートゥルナーリア祭である。故に、奴隷である国民に真の権力は与えられない。なぜならその立場は主人である支配者によって仮に与えられた物だからである。そして祭りは短期間であり、年末=世界の終焉によって終わるのである。偽りの主人(代王)として振舞っていた国民は、真の主人の代わりに、復活したサートゥルヌス(サタン)に生贄として捧げられる。民主主義における国民の主人としての待遇は、その後に生贄となる代償なのである。ごく一部の生き残った奴隷である国民も、自分達の物だと思っていた権利と財産は全て主人に取り上げられる。そして新年=新しき世界の始まりとともに、主人は主人に、奴隷は奴隷に、全ての秩序は元に戻るのである。

最後の文章が、まさに元号変わる新時代の始まり前にタイミングあってます。

けったいな祭の意味するところは、以下ブログで

マカロンコインケース

2019-04-13 | 日々是好日
500円玉3枚入るコインケース
バッグチャームとして付けてみようかと
 
mari さんのブログで拝見して、めっちゃカワイイ、以前もキャンディポーチ頂戴したの愛用してます、とコメント入れました。
おねだりしたわけでもなかったけれど(˃̵ᴗ˂̵)
先ほど届きました。
ありがとうございます。
不器用な私からすれば、こんな手の込んだ手芸できるなんてすばらしい。


談山(たんざん)神社の菴羅樹(あんらじゅ)

2019-04-12 | 古代史のミステリー
だんざん神社と呼んでましたが、まぁそれでも通じますけど、今は神社側も「たんざん」とにごらないそうです。
この談山神社について、2017-11-05に以下の記録残してます。
「藤原定慧が唐からの帰国の際に持ち帰ったといわれる談山神社の菴羅樹(安蘭樹)が当初よりカリンであったとするならば、・・・」
カリンは喘息に効くと聞いてたので興味持ってました。
いつか談山神社行くことあったらその木を見たいと思ってましたのに、桜ですっかり忘れてた。
次行くことあればちゃんと確かめたいので、調べたことを残しておきます。
 
 
菴羅樹は、カリンによく似ているが、桃の様な甘酸っぱい香がして触るといつまでもいい香がするらしい。
菴羅樹は花梨の意味。花がピンク色。釈迦が維摩経を説いた木でもあるそうです。
どうやら花梨の原種で、花梨のような実であるが成分が違うとも書かれてました。
 
 
 
 
以下の画像はすべてネットからいただいてきました。
 
 
 
 
どこに在るのか調べてやっとわかりました。
本殿左側の昔からの鶴の手水舎の後ろでした。
知らないと見逃してしまいますね。
 
 
菴羅樹(あんらじゅ)
鎌足公長男、定慧(じょうえ)和尚が、唐の国より持ち帰られた霊木と伝える。


(釈迢空)
人過ぎて 思ふすべなし。 伝え来し 常世の木の実 古木となれり
 
 
 
 
歌人の釈迢空は、民俗学者の折口信夫博士でした。
折口信夫博士と多武峰
 
釈超空こと折口信夫博士は大阪生まれ(18871953)祖父が飛鳥の出身だったことから、大和を愛し、少年の時から、当地をたびたび訪れました。博士は多武峰に天降った神(まれびと)が香具山に到るという神の道すじを実感されたのです。・・・
現代人は日本人の情緒と原理を見失っていると言われています。それは折口博士に言わせれば「日本人の神の喪失」に尽きる、ということになりましょう。
この歌碑の前に立つ人たちは、民族の将来を考え、そして自己再発見のこころの旅立ちを、今、ここからはじめていただきたいと思います。
 
 
 
 
一部引用
「古代から神聖視されてきた香久山は、多武峰の端山、尾根続きの山です。神は多武峰に天下った後、尾根を降って香久山へ至り、そこで祭祀が行われたわけです。
国文・民俗学者の折口信夫は、舒明天皇が香久山で国見を行ったことについて(『万葉集』)、多武峰に意識を向けているのだと述べています。天孫降臨に見られる、神が垂直に降りてこられるスタイルを、地形として持っているのが多武峰なのです。」


雷丘

2019-04-11 | おでかけ・近畿
4/7のバスツアーは6:50に梅田を出て、難波経由して、談山神社へ。
大和三山の香具山過ぎて甘樫丘の少し手前で信号待ち。
その時に目に留まった立て看板です。
撮影時刻は8:19
明日香まで渋滞に巻き込まれることなくスムーズだった。
地図の赤いで記したあたりかと思います。
このあと石舞台古墳脇を通過して談山神社へ。
明日香とこんなふうな位置関係にあったんだとやっと認識できました。

談山神社の桜はこれから、福禄寿さんは心に残ります

2019-04-11 | おでかけ・近畿
たむの峰 老杉の間の 春日淡く 山の気ひえて 山の桜おそし 
(佐々木信綱)
この歌の通りでした。


令和への改元で持ちきりの昨今、最初の元号とされる大化。
その大化改新発祥の地に藤原鎌足を御祭神として創建された談山神社。
「西の日光」と称されるほど紅葉で有名ですが、
樹齢600年珍しい薄墨桜は、桜井市指定の天然記念物に指定されています。
今回のバスツアーの最初の立ち寄り地がココ。
でもまだ咲いてなかった。
境内に約500本程あるという桜も三分から五分咲き程度だった。

今回のバスツアーでは、桜だけに心を絞っていった方がいいよというアドバイスを受けてたので、
初参拝の談山神社でしたがさら~っとみただけ、予習もしていきませんでした。

そうした中で、目に留まった福禄寿大神。
『大和七福八宝めぐり』の一つの「開運出世の福宝」=「福禄寿神」像です。
ノミで彫り出されたケヤキのでっかい像で独特の風貌に魅せられます。
彫られた方が昨日お見えでしたよと伺いました。
作者がご存命ということはそんな古いものではなかったんですね。


下の説明書きには
総高3mにおよぶ大神は、福禄寿のお像としては全国屈指の大きさです。
このお像は、当地の深山幽谷に自ずから繁茂したケヤキの神木をもって、神の姿を彫り出したものです。私たち日本人は、古来、神聖な山に立つ巨木を神として信仰してきました。
神は天上から天降って、その神木に宿ると信じられたのです。まさに神のお姿を神木に見たのです。
『日本書紀』の斉明天皇2年(656)の記録によれば、当地、多武峯の嶺の上に巨大な二本の槻の木(ケヤキ)の神木が立っており、巫女でもあった女帝は、そのほとりに高殿を建てて神を祭ったというのです。
これは、ケヤキの巨木が神として崇められていたという明かしなのです。このお像はまさに神木から神が出現した直後の、荒々しくも、慈恵深いお姿をしています。
福(幸福)禄(金運)寿(長寿)を心こめてお祈り下さい。


毎年4月29日(昭和の日)と11月3日(文化の日)の「けまり祭り」
が催される「けまりの庭」の前にある総社拝殿に祀られています。

御祭神の藤原(中臣)鎌足が、中大兄皇子(後の天智天皇)と飛鳥法興寺の蹴鞠会で出会い、後の「大化改新」の発端となった故事に因んだお祭りです。

645年の5月「大化改新」の談合が行なれた地。
二人は、多武峰(とうのみね)の山中に登って密談したゆえに、
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

鎌足没後、天武天皇7年(678年)長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥。
世界中で現存する唯一の木造十三重塔です。


結局、今回の談山神社は参拝というよりは、桜を見に行ったので。
50分ほどの滞在時間、境内もさら~っと通過して、
バスの駐車場にあった茶店でフローズンブルーベリーと草餅食べて時間つぶしてた。


談山神社がある多武峰は、初瀬・宇陀・三輪・飛鳥と吉野を結ぶ交通の要所。 
多武峰への道は、推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇などの女帝たちの神々への道でもありました。

明日香や宇陀へ行った折には 「⇒談山神社」看板見たことありましたが、
行ったことなかった。

以前、定恵さんを調べて不思議に思ったことがあります。
2013-08-27 

うーちゃんとして穏やかな余生過ごすハルウララ

2019-04-10 | 世情雑感


現在は千葉県のマーサファームで余生過ごすハルウララ。
月曜の朝のワイドショーでみました。

ハルウララが突然マスコミで話題になった2003年、たまたま中学の同窓生が高知に転勤なって、電話で話題にしてました。
2005年にこのブログ始めた頃も、ハンドルネームにハルウララのうららもベースにありました。
敏感で怖がりでわがままなのに、馬場でたら豹変して必死に一生懸命走る。
でも勝てない(*´-`)


負け続けて話題になり、113戦一度も勝つことなく現役引退。
武豊騎手にまで騎乗してもらえ、そして現在なお生きながらえてある意味幸せな馬ですよね。

 
平成31年2月8日現在の馬の紹介に載ってます。
    馬名:うーちゃん(ハルウララ)
    年齢:23歳  性別:メス  毛色:鹿毛
    種類:サラブレッド
    馬主:春うららの会
   高知競馬で113連敗「負け組の星」として一躍有名になりました。 


奈良の一本桜めぐりツアーで15,566歩

2019-04-07 | おでかけ・近畿
奈良県宇陀にある又兵衛桜です。
大勢の方が押しかけるだけあって、見事でした。
一番の見ごろだったようです。
6時に家を出て帰宅が18時。
梅田発のバスツアーで楽勝かと思ってたけど、
甘かった。
 
一番最初に談山神社
ここは標高あるので、樹齢600年の薄墨桜はまだ咲いてなかった。
続いて、本郷の瀧桜「又兵衛桜」


午前中にもう1箇所、室生の大野寺


昼食後、奈良市の法華寺へ




最後に當麻寺
奈良中が桜で溢れてました。
先週気温低い時あったからか、ハクモクレンやレンギョウ、ユキヤナギなどなど、みな満開。
 





先週教えてもらった月桂樹も
 
車窓からもあちこちで満喫できました。
 
明日香の石舞台

 


駐車場からかなり歩く所多かった。
バスツアーのつもりが桜ウォークのごとし
 
 

久延毘古神が示した竹の音は?

2019-04-05 | 古代史のミステリー
画像だけで音がないのが残念 、その2.
前記事に続いて動画でないので、一番伝えたい音はでません。

実は、この項を入力するの3回目です。
何度やっても消えてしまう、今度こそアップできますように。


大神神社の末社に久延彦(くえびこ)神社があり、くすり道を通って狭井神社へ向かうまでに、
「知恵の神様 久延彦神社 →」
標識案内板があるのは、以前から十分認識してました。


大神神社には2001年三巳の日参拝以来20回以上行ってます。
でも久延彦社は参拝したことなかった。
なんか行こうと思ったことなかった。


小学校唱歌でよく知られる「案山子」
♪山田の中の一本足の案山子
天気のよいのに 蓑笠着けて
朝から晩まで ただ立ちどおし
歩けないのか 山田の案山子

山田の中の 一本足の案山子
弓矢で威して 力んで居れど
山では烏が かあかと笑う
耳が無いのか 山田の案山子 

知恵の神様が案山子といわれてもね。

でも、三諸の神奈備というしおりには、
久延彦神社のご祭神久延毘古命は
「山田の曽富騰(そほど)」と申し、所謂山田の案山子であられます。知恵は世に類なく優れておられ、「足は行かねど天下の事を、尽に知れる神」さまです。
古くは鳴宮とも称され、・・・ 


3/31の日曜日は、大美和の杜の桜みる目的もありましたが、やっと巡ってきました。

枝垂れ桜以外は八分咲きの桜が見事でした。
展望台から桜越しに大和盆地も眺望よく堪能できました。
その展望台降りてさらに進むと鳥居あって階段参道が始まります。
御諸山を守る北西の丘で見張り櫓にも最高の立地。

竹林トンネルのような階段参道でした。
カーンと乾いた大きな音が一度ならず何度も。
最初は何の音かわからなかったけど、強い風で竹がしなり隣の竹にぶつかって出る音でした。
この日は風が強かったから。

なんかもうコレで頭いっぱい。
かなり心動かされ他に久延彦社での画像一枚も撮ってないのです。

古事記にのみ記されているという久延毘古神は、 
誰も知らなかった少名毘古那神の名を知って た唯一の存在。

一本足でず~っと立ってるから、定点観測する視点を持ってるとか、
鳥を追い払うふりして、実は鳥と仲良しで鳥から情報得てたとか、
風の中で風の便りも聞いてるとか、・・・

三諸山の北西の丘の高みに居て、四方を見渡して情報蓄積してたのかな。

初参拝で、記憶に刻まれたのが、竹のぶつかる音だけって、どうなん?
久延毘古神は何をお示しになられたんだろう。
今にして鳴宮というのも気になる。


参拝後、正面階段降りて、こんなとこに出るんだと初めて知る。

おおたたねこ神社に参拝して


にゅうめんと つくしご飯。
二の鳥居の左わき道入ってすぐの所。
ホントは大神神社着いて駐車後に覗いてみたら、たまたま一卓空いてた。
12時過ぎてたのでお参り前にいただいてました(^^;


威嚇

2019-04-04 | ギズモ&もぐ&メルキー
画像だけで音がないのが残念。
ものすごーーくデッカい鳴き声で、お隣さんも窓から顔出されてたぐらい。

黒い猫の縄張りなんだろうか?

黒ちゃんはまた違う猫と威嚇しあってた。

 

最初の画像の耳が茶色い猫は目がブルーで美しかった。

夕方、少し離れた所の自販機上に居るのをみかけた。

 

ブリティッシュショートヘアかな、上等っぽい猫だった。

野良ちゃんではなさそう。


16本が融合した高井の千本杉

2019-04-03 | おでかけ・近畿

宇陀の高井千本杉の下に落ちてた枝を拾ってきました。

こんなふうに花がついてるのかとしばらく眺めることにしました。

スギ花粉がアレルゲンでも今のところは大丈夫。

それよりも花冷えを超える桜も凍りそうな冷え、さすが令和。

昨夕のニュース映像で富山では桜に2cmの雪が積もってました。

 

先の日曜日、大神神社で参拝とお昼すませて

次に向かったのが伊勢街道の高井。

2013年6月に長谷寺から墨坂神社を経て歩いた、その日伊勢街道ウォークの終点が高井の千本杉だった。

伊勢までの道6回目、長谷から高井の千本杉まで

 

迫力ある融合した杉が目に焼きついてて、巨木好きのお連れを案内した。

 

 

 



 

ひょっとしてクロモジ?

見上げると

今は杉の木の下ではなくて傍に井戸があり水を汲むことができる。

けど飲水は遠慮して、下に落ちてた枝を拾い持ち帰った。

杉枝の横、新たにアボカドの水栽培の発根したところ。

その横はサツマイモの成長し過ぎた茎上部を切り取ったもの。


大和神社ちゃんちゃん祭り

2019-04-01 | おでかけ・近畿

2018 4 1 ちゃんちゃん祭り の様子を大和神社が公開している映像です。

今年もちょうどいま挙行されてる頃です。
昨日、石上神宮から大神神社へ向かう途中にあるので、本日のちゃんちゃん祭に向けて準備中の大和神社へ。
たまたまお宮参りされてるご家族に出会いました。
表が菊紋で背面に橘紋の提灯がだいぶ年季入って痛みがひどい。
この代がわりに新しくされたらなんて、準備中のオッチャンと話したり。

ちゃんちゃん祭りで随行する人が持つ鉾などが飾られてあった。
それぞれの鉾に札がついてて、花飾りは一人が担当と、持ってみたらめっちゃ重い。

社務所で聞いてみると、ホンマに一人で持って2キロは御旅所まで担ぎ歩くと伺った。

それって何処にあるんだろう?

お守りとか並んでる中に、歯定神社


ここが渡御先だと知り、行ってみることに。

道は細い農道やけど軽自動車ならいけると。


想像以上に大変で脱輪しないかヒヤヒヤものだった。
ナビに出ないから不安ながらも2kmやしと進んだ。
轍が残ってるということは通れるはずでもコワかった。




説明書きには

 

御旅所に並んで歯定神社があり三毛猫が番してた。

 


大美和の杜展望台から大和盆地を眺望

2019-04-01 | おでかけ・近畿

あと3時間もすれば新元号発表、もう今日の4/1が改元がごとくの加熱報道ですね。
その元号が知らされる最後の日3/31は大和にいました。
同行のお連れから、帰宅後に今日の逸品と届いた画像です。

同じ展望台で撮影した私の画像は


大美和の杜の桜越しに、大和盆地の耳成山、畝傍山、さらに後ろの葛城の山々、写す方向は同じです。
おそらく桜メインの撮影だった彼女の一枚。
私は大神神社の大鳥居に焦点置いて撮影してる。

そしてスマホカメラも機種によって写り具合異なるものですね。


昨日は風が冷たかったけれど、あちこちで八分咲までの桜を楽しめました。