秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

やっと、一つが終わる

2019-09-14 | 日々是好日


店の前のマンションが防水か塗装かの補修工事してました。
たしかGWころに足場組んだような。
組立も解体も金具叩く音がカンカンと脳に響く。
もちろん吹き付け塗装工事してる時はモーターがもっと煩かった。

こういった足場の賃料は月額か週単位か知りませんが高額だと聞いてます。
ほぼ半年何してたんだろう。
マンション住民も足場に黒メッシュが覆い、鬱陶しかったに違いない。

やっと終わる。
今宵、満月さわやかに見れそう。

運気が変わってほしいものです。



国道1号線挟んで向かいに建つ守口市役所旧庁舎。
戦後すぐの建物でアスベスト問題で解体に時間かかってます。
去年の台風で、解体直前にもかかわらず窓ガラスいっぱい割れて台風の暴風で辺り一面飛び散った。
いっとき国道通行止めなってたもの。

台風去って、解体直前なのにアスベスト飛散を避けるため窓補修してた。
あれから1年、こちらはまだ終わってない。

R1のこちら側、守口市民会館は3年ほど前に解体。
国際交流センターは解体ほぼ完了。
そのうち教育文化会館も壊すでしょう。

近隣にマンション林立ラッシュが続き、守口小学校と第1中学校は教室足りなくなってるそうだ。

町はどんどん変貌していく。

次々と続く建築や解体現場から半径100m以内にある当店。
ここ数年どれぐらい迷惑被ったことか。
営業妨害も甚だしいけど補償はない。





今朝は樟風中学校の体育祭でした。
開会式から1時間だけ見せていただいた。

秋晴れで体育祭日和。
生徒たちはキビキビして声も大きく立派。
気持ち晴れ晴れとする。

鬱陶しいこともあれば、
清々しいこともある。

ものなべて こんなものかな


★追記
台風15号の被害は凄まじいものがあり、今なお停電や断水が続いている地域は大変なことと思います。
あらためてお見舞い申し上げます。


興味深い画像見つけたので、拡散協力しようかなと。

この夏、那須動物王国にて



なんか庶民的というか、・・・
下々の民のような風情で、・・・

令和の祭祀一家を拝見すると
国土の安全安心と、民の安寧は、国民自らが祈らないといけないですね。


2度目の筑後吉井で覚えていたのは

2019-09-13 | 旅・九州
筑後吉井、行ったことあります。
13年前にお雛様巡りでこの町歩きました。
だごじる定食が美味しかった。
泊まった日田のホテルの夕食より記憶に留まっています。


お雛様はブログの写真みて、そうだったという程度。
ほかに白壁の街並みがうっすらと。
やっぱり花より団子ですね。


13年過ぎて新鮮に見学できました。
ボランティアガイドさんが2人おられたので2つのグループに分かれ散策。



堀川だそうです。
筑後川の大石井堰から取水し町なかに5本の堀川を通しています。

※ いつ誰がつくったか聞いたけど忘れたので、後で確認して追記します


大勢いると説明が全部聞こえない。
となると、人は自分の興味惹かれたものに目がいくもの。



カッパ?

※ 調べてわかったら後で追記します



通過しただけの素戔嗚神社。
鳥居入ってすぐ右手に石碑

※ 調べてわかったら後で追記します




堀はあちこちに張り巡らされてあった。
町造りの根幹はやっぱり水ですね。



土曜日だけれど観光客にあわない。
町はひっそり静まりかえっていた。

立派な江戸時代のお屋敷2軒、共に入場無料で見学できた。

つづく


長梅雨明けたら猛暑に豪雨、変な夏は作物にも

2019-09-12 | 旅・九州

10時頃うきはの巨峰園に到着し、まず試食。
今年は天候不順で不作なのに来園ありがとうと感謝された。
まだ色づいてないそうだ。

房に被さった白い紙袋に赤で丸を記したものを採るように指示うける。
大きな房2つがほぼ1000円で、旅費に含まれてる。
はみ出た重量分は各自追加で支払う。
1000円満たなくても返金しない。

その房小さいね、と言われ、
1000円より少しはみ出るつもりで3房収穫した。
なんとはみ出た分960円。
1房あたり653円、高っ!

この金額なら大阪でいいの買えたね。
巨峰潰れないよう大阪まで持ち帰るの大変だった。
豪雨の被災地支援ということで。


ぶどう狩りの後、道の駅で時間調整。
ここで夕食用に買ったお弁当がめっちゃ美味しかった。



天気に恵まれず、ちょうどこの土日のひまわりフェア中止だって。

ひまわり全く開花せず、
ってこの夏サイテー!
令和とは名ばかりでどくなことないね。



11:40撮影。

原鶴温泉ホテルバーレンス小野屋。
なかなかしつらえの立派ないいホテルでした。
お料理もどれも美味しく完食。

朝は5時に起きても着岸6時で忙しかった。
結局お菓子や太宰府天満宮の梅ヶ枝餅しか食べてない。
やっとちゃんとしたお食事でした。

ちゃっちゃと食事済ませて
立派な庭を通り露天風呂へ


まったりと、いい美人の湯でした。


原鶴温泉って全く知らなかった。
朝倉市の筑後川に面した温泉街で
2017年7月の豪雨で大きな被害受けた地でした。


朝早くから観光して、ホテルに入り食事して温泉浸かったら、1日が過ぎたような錯覚に陥る。

旅の2日目のような午後の行程が始まる。

つづく


紀子さま お誕生日おめでとうございます

2019-09-11 | 世情雑感


 

 

 

 

 

これらの画像を頂戴してきたブログは ☞ こちら

多くの画像を紹介してくださって、最後にこう書かれています。

外国ご訪問も多く素敵なお写真をたくさん拝見出来ました。
ただお忙しすぎてお体が心配です。
それなのにマスゴミと無知な日本人(?)に叩かれてお気の毒でなりません。
私たちも何もできないし・・・

これからの1年、そしてその先もずっと、国内でも紀子様の本来の輝くような笑顔が見られますことを切に願っております。

最近知ったある方の座右の銘「いつでも笑顔でいられますように」
素敵な言葉だと思いました。
眉間に皴の寄りがちな私自身も心に置き、そして紀子様のために心から祈りたいと思います。 


この一年間の紀子さまの様々な画像は、どれも所作が美しい。
あらためて日本の誇りだと思いました。



令和で有名になった坂本八幡宮

2019-09-11 | 旅・九州
村の鎮守さまみたい。
のどかなこじんまりした神社でした。

鳥居くぐってすぐ左手に歌碑がありました。
大伴旅人の歌が彫られてあります。

わが岡に さ男鹿来鳴く
初萩の 花嬬(はなつま)問ひに 来鳴くさ男鹿


案内板には
この辺りは、大宰帥(だざいそち)大伴旅人(おおとものたびと)の邸跡と伝えられている。旅人邸は、「万葉集の華」ともいうべき梅花の宴が開かれた場所としてよく知られているが、赴任後間もなく妻を亡くした旅人の暮らしは心淋しいものであった


撮影時間8:40
プレハブの社務所前で行列が。
ご朱印書いてもらえるのが9時からだそうです。

Wikipediaによりますと
「令和」発表直後に中央メディアなどが今も有力説のように報じたため、新元号ゆかりの地として一躍脚光を浴びるようになった。以前の参拝者は1日あたり20人ほどだったが、「令和」発表直後には3000人に急増したという。

坂本八幡宮でご朱印授与見合わせ=氏子ら疲労で体調崩す
-福岡・太宰府
時事通信      2019年05月07日17時38分
 新元号「令和」ゆかりの地として注目を集める福岡県太宰府市の坂本八幡宮の氏子会は7日から、ご朱印の授与を見合わせることにした。参拝客が殺到し、ボランティアとして対応してきた氏子たちが疲労困憊(こんぱい)したためという。
神社は新元号の出典となった万葉集にある「梅花の歌」の序文で舞台となった歌人大伴旅人邸の所在地として一躍脚光を浴びていた。氏子会の木原一臣会長(79)によると、改元後は氏子会が用意したご朱印を求めて参拝客が殺到し、連休中は1日で5000人が訪れたという。
神社には常駐の神職がおらず、70代の氏子ら20~30人が中心となって行列の整理などの対応を続けてきた。しかし、多忙のために疲労で体調を崩す氏子が相次いだ。       

まさかの令和ブームで、境内にあった歌碑も違う歌やし。

坂本八幡宮は大宰府政庁跡の整備された公園左側を5分ほど行ったとこにあります。
北西の裏鬼門の位置ですね。




実際の邸宅跡は別の場所?
戦後間もない頃、竹岡勝也(九州大学教授)が、坂本八幡宮の周辺の台地にかつて大伴旅人邸があったと考えられなくもない、と言及した。これが発端となり、坂本八幡宮が大伴旅人の邸宅跡であると通説のように語られるようになった。
昭和61年(1986年)、この説を検証するため、九州歴史資料館(九歴)による坂本八幡宮付近の発掘調査が行われた 。祭祀用とみられる土製馬形「土馬」などが出土したものの、8世紀前半の建物遺構は検出されなかった。
このため当時の九歴は、坂本八幡宮付近は違うと判断している。坂本八幡宮の真下は発掘調査が行われていないため、坂本八幡宮にあった可能性が完全に消えたわけではないが、坂本八幡宮付近が邸宅跡であるとする説は長年の通説的地位を喪失した。 

        

 大阪からの船旅は早朝に九州に着きます。
そんな早くから開いてるところといえば、神社

そういうわけで、今回も太宰府天満宮と坂本八幡宮を参拝。
神社好きな人には、船旅おすすめです^^

午前9時過ぎてご朱印もらう人たちを待った。
9時15分ごろ次の観光地向けて出発したのだった。

つづく





3回目の太宰府天満宮参拝

2019-09-11 | 旅・九州
9/7(土)朝6時に新門司港に着岸。
船の旅は着いたらすぐに待機してるバスに乗り出発できるのが魅力です。
7:15ごろには太宰府天満宮の駐車場に到着。
今回は太宰府駅が目に留まりました。

5年前も同じ参道歩いていても、もっとたくさん人いたからわからなかったのでしょう。
あの時は新幹線で早朝に新大阪を出て、小倉に着いてからの移動だったからすでに11時近くなってたのかもしれない。


スタバは以前と同じファサードだったからよく覚えています。
まだ開いてない。



本殿裏にも回って、5年前と同じローケーションで記念撮影

2014-06-13

大宰府三回来ても、やはり団体ツアー、
今回も九州国立博物館見学は組み込まれてなかった。
いつか自分で行かないとね。

参拝終えたら、帰りは駅舎を観察

前にあるコンビニ入ったら、キャッシュディスペンサー もいつもと違う。
さすがに外国人観光多いから両替機なんですね。

一軒だけ開いてた大宰府の梅が枝餅店は70個だけ今焼き立てがあるという。
日持ちしなくて今日9/7中に食べてといわれたし、
買いたい人皆で分かち合って、お土産に3個だけ包んでもらった。

そして一つは自分用にとバス車中で食べた。
焼きたての梅が枝餅美味しかった。
この撮影時間8:14
次に向かったのは・・・つづく


台風一過で残れされた猛暑に停電が酷すぎる

2019-09-10 | 世情雑感

7/10 朝の気象衛星画像
すでに次の台風が発生直前らしいです。

北朝鮮がまた何か飛翔体を2つ日本海に打ち上げたと臨時ニュース。

もしこれらがパルス弾で日本上空で破裂したら、
電磁波攻撃で電気も止まれば、水道浄水場もポンプも止まる。
通信障害でモバイル機器もPCも使えない。
今回の台風以上のすさまじさが延々と続くのですって。



昨日 9/9 9:00

すさまじい台風15号は甚大な爪痕残して去って行きました。
被害に遭われた方々や、今なお停電・断水から回復してない地域の皆様に心よりお見舞い申します。


過去に2回大きな台風体験してます。
昭和36(1961)年の室戸第2台風、882hPaなんて、あれ以来ないですね。
幼かった頃なので、台風トラウマをもたらしました。

そして、去年の台風、
24回目の誕生日だった関空をまた海に戻したような被害残した暴風でした。
大枝神社集会所の屋根も飛んだし、市内の樹木も多数倒れました。
昼間に来たから、午前中で鉄道も計画運休。
TV中継やSNS発信の動画で色々見れたことも時代を感じました。


ところが今回の台風15号は深夜から未明にかけての来襲。
明るくなってあちこちの被害状況判明し、さらに停電がいつになっても終わらない。
すぐ復旧するだろうと駅で開通待つ通勤者の大行列。
去年関西直撃した台風よりえげつないですね。
お気の毒を通り越してます。

来夏の東京五輪2020開催が、さらに心配になりますね。



台風15号の通過した地点をたどってみました

拡大してみると
三浦半島先の城ケ島に上陸し、武山を通過
ヤマトタケルが東征の際に、走水から上総へ渡るのに、
この山に登り房総半島を見晴るかしたので武山と名付けられたそうです。


東京湾を斜めに横切り、千葉県で再上陸したのは幕張

鹿島灘へ抜けていきました。





★9/19 追記



 千葉県の停電は 
9日午前8時のピークには約64万軒

9月18日午後5時 約4万2400軒 
(東京電力ホールディングス)


この差は納得いかんけど、

2019-09-08 | 世情雑感

金曜夕刻、泉大津を出港して福岡行ってきました。
往復フェリーで土曜日丸一日観光のお得なツアーです。

6月に国東半島の先にある姫島へ行ったことは長々と記録しました。
なんとコスパのいい旅なんだと感激。
そのヴィーナストラベルから、過去の利用者限定ツアーの案内届きました。

お友達誘ってすぐに申し込んだにが7月10日。
最近の船旅経験ないお連れも楽しみにしてました。

台風13号が日本よりは朝鮮半島へ進んでくれて、台風直撃は免れた。
でも雨は覚悟して出かけました。




6月に利用した時は、通常料金が片道13800円の部屋を往復で利用できた。
阪九フェリー傘下の旅行社なればこそのサービスなんでしょう。

今回は3人グループで申込みました。
門司着いたら、巨峰狩り行って昼は温泉つかって、…

ところが、案内された部屋がデラックス洋室4人部屋。
利用料金表見たら9770円。
その差4110円。
どなたが見てその差ははっきりわかるレベルでした。
これなら、最初から3000円安いスタンダード洋室で申し込んでるでしょう。

部屋にわずかに残る臭いや、アメニティグッズの違いに愕然、ショック。

添乗員携帯に2回掛けてもでないので留守電入れた。
折り返し返答ないのでお連れの電話からも掛けても反応なし。
部屋のクレーム受け付けませんの頑なな拒否感丸わかり。
長い時間荷物を解かず待ったが諦めた。

翌朝聞いたら電波繋がらないとか弁解がましい。
やっと部屋の苦情言うと、その部屋番号は添乗員やドライバーが割り振られる部屋だという。
どうりでおっさん臭がしてたもの。

部屋割りは添乗員ではなく会社が決めるし先着順だと、開き直る。

帰りは変えてねとお願いして楽しみにしてた。
でも結局は5階の同じランクの部屋だった。
満室なので変更不可だと。



今朝帰港寸前に下船口で並んでたら

上の6階から迷彩服きた自衛隊員がどんどん降りてくる。

8月末の佐賀豪雨で駆り出されて過酷な救出や復旧作業に従事されてたに違いない。
彼らが所属に戻る船に乗り合わせてたんだろう。
それなら納得。
お疲れさまと労いの気持ちが湧いた。
旅行社のアウトな対応は消えはしないし、それをちゃんと説明できない添乗員もどうかと思う。

でも台風や雨に遭わずお天気に恵まれて、無事帰ってこれた。

昨夕、明石大橋くぐる「ひびき」



上弦半月が美しく、すぐ近くに木星が輝いてた。


月曜日の読売新聞に載ってた記事。

船旅のコスパには惹かれるし体もラクなので、きっとこれからも利用すると思います。




スマホ決済PayPay その2

2019-09-06 | 日々是好日

今日は悠仁さまのお誕生日。
大阪は朝からいいお天気です。

昨日夕方、東北東の空にキレイな虹🌈
昼下がりに突然豪雨あったから。
三階の窓開けてたとこは水たまりできてた( ; ; )

急に降るし雨量はハンパない昨今、日本各地で起こってますね。
対応が大変です。


昨日登録してたメールに、200円ギフトと案内届きました。

PayPayアプリで手順通りにすると





これは8/8にエントリーした記事
スマホ決済PayPay で書きましたが、
5000万円山分けで200円のおこぼれ無事ゲット

タダほど怖いもんないというけど
このキャンペーンはセブンペイが失敗撤退して、その時に用意されてた資金が回ってきた可能性あるかな。


10月から消費税上がるから、軽減とかいろいろややこしい。
ポイント還元もキャッシュレスでないとあかんらしい。

スマホ決済使いこなすまでいってないので、チャージにカード登録してない。
7payのようにトラブルに巻き込まれたら困るから。
銀行口座登録したら1000円プレゼントも無視した。

で、あのお盆前にセブン銀行から2000円チャージして、キャンペーン参加したのだった。


8/23にコンビニでのランチキャンペーンで




1000円当たった!!


気をよくして、ヤフオク売上金の一部をPayPayにチャージした。

その都度手順を精読して、ボケ防止になりますわ。

今んとこ順調ですが、
これからも慎重にスマホ決済利用したいと思います。



菅浦の須賀神社は裸足で参拝

2019-09-05 | おでかけ・近畿


須賀神社の長い坂の石畳参道の先に階段があるので
そこから先は土足厳禁。
部外者用にスリッパ用意されてます。


上の拝殿、本殿後ろに舟形古墳があり、淳仁天皇が葬られているとのこと。

上から階段参道見おろすと


わずか15分ほどの参拝時間でしたが、
靴を脱ぐって初体験。

淳仁天皇の伝説
菅浦には淳仁天皇の伝説がある。
淳仁天皇は、天步天皇の皇子・舎人親王の第7皇子で大炊王と呼ばれていたが、
天平宝字2年(758年)藤原仲麻呂(恵美押勝)に擁立され孝謙天皇から譲位を受け即位した。
しかし、天平宝字8年(764年)9月、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱により廃帝され淡路国に流されその地で亡くなったとされている。
ところが菅浦には、淳仁天皇は淡路国ではなく菅浦に流されたという伝説がある。
須賀神社に淳仁天皇が祭神として祭られており、神社の背後には淳仁天皇の墓と伝えられる墳墓がある。
なぜ、菅浦にこのような伝説があるのかは不明であるが、この伝説が菅浦の文化的景観に重要な意味を持つことからここに記しておく。
長浜市「菅浦の湖岸集落景観 」 PDFより引用

毎年4月8日はお祭りがあって、お神輿が渡御される。


ガイド男性の話によると、お神輿は3基あるが、担ぎ手の若者人口減って昨今は1基しか出てないとか。
もちろん村から出てる人も祭には帰郷する。
1トン近くある神輿は担ぐと肩は大きく腫れあがるとのこと。

そしてもっとびっくりしたのが、
淳仁天皇の1250年祭が2013年に挙行されてた。
その時の様子は ☞ 須賀神社 鎮座1250式年祭

一部画像拝借してきました





なんとこうした式年祭が50年ごと。
次の式年祭は1300年の2063年。
50年毎の御遷宮の維持には、お金も力もあらゆる面で負担がかることでしょう。


日常の暮らしには難儀そうなこの地で、
うちら大阪のおばちゃん4人は、絶対無理、ここではよう暮らさんな、と話した。

それがこうして綿々と受け継がれた歴史。
ふしぎ~

ちょっと面倒でしたが、国宝指定された菅浦文書をみてみることに。

つづく





菅浦集落見たまま聞いたまま

2019-09-05 | おでかけ・近畿

この石垣が、かつては琵琶湖湖岸の波除けでした。
救急車が通れる道を石垣下に造られた。
ガイドしてくださった男性は見た目50台半ばかな?
子どもの頃にこの石垣に腰掛けてる写真は白黒でした。



去年の台風21号の風は凄まじく、波除け石垣越えてあちこち被害出たそうだ。



山がギリギリまで迫った狭隘地は水があまり湧かない。
集落には三箇所の井戸が掘られ共同で使ってたそうだ。
そのうちの二箇所を案内されたけど、白濁して淀んでる感じ。

あの高島の安曇川伏流水地とは雲泥の差。
あちらでは澄んだ地下水が湧き上がりじゃーじゃー流れてた。

菅浦では水がないのでお風呂は琵琶湖。
冬はどうしてたのか聞き漏らした。
今は水道あるけど、水が無いとこは想像するだけでも大変。
私には住めないわ。



お寺の名前聞いたけど忘れました。
現在の人口は110人程度。
世帯数も100軒ないでしょう。
排他的な村だから人口減ることはあっても増加が難しい。
しかしお寺は4寺だったかしら?
宗派も異なるって不思議。



阿弥陀寺あたりかな?
ものすごく変わったアカマツのような木が目に留まった。
根元から枝が分かれて見たことないよ。


うつくしまつ、という名。
移植したようです。
何年に何処からか聞き漏らした。
昭和天皇が見に来られたとも言われたので、ネット検索したが不明。



小さな集落ですから村巡るのに30分も歩けば十分。

41人は2グループに分かれて見学した。
私たちのグループは最後に須賀神社参拝した。


須賀神社は、天平宝字8年(764)の創建と伝えられる。
祭神は、三柱を祀る
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
大山咋命(おおやまぐいのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)

元は、保良神社(菅浦大明神)と称していたが、
明治42年(1909)に小林神社、赤崎神社を合祀して一つの神社としたものである。


つづく

あれから1年、アボカドは育ってます

2019-09-04 | アボカド観察記録


 
アボカド発根した(^。^)V 台風21号が来る朝
以前から画像で紹介してた方はまだです。根が出たアボカドは、尖ってる方が上なのに底と勘違いして切れ目入れてるのに少しして気付いた。改めて底に十字切れ目入れて上下反転したも......
 

 


今朝のアボカド。
ぼちぼち鉢を大きくしないとね。



菅浦の油桐と四足門

2019-09-04 | おでかけ・近畿

菅浦の西の入口に四足門があったけど、写真撮り忘れた。
右手に須賀神社。
ちょうどその前でバス降りて、パンフレットと惣の焼印入った木札もらった。




うちのメルキィも興味津々、
猫レベルの好奇心で私もタネがたいそう気になった。


まず最初に見学した郷土資料館入口に
へぇ~そうなん?
油桐って初めて聞いたよ。

資料館建物外にその木が植わってて、下にいっぱい実が落ちてた。


油桐 あぶらぎり というそうだ。
このタネから絞る油を灯明用に使ってた。
迫り来る急峻な山で農地はないから、年貢はお米では無理。
30%がこの油桐で、江戸時代に盛んに栽培されたようです。


郷土資料館出てすぐに撮影してるロケ隊に遭遇。
三宅さんがレポーターで写真撮影しないでと制止された。
そんなこんなで、資料館全景も万葉歌碑も撮り忘れた。

高島の 阿渡(あど)の湊(みなと)を 漕ぎ過ぎて 
塩津菅浦 今か漕ぐらむ


昭和46年まで陸路ではなく船に頼ってた菅浦集落。
かつては東西南北に四足門があったが、今残るのは西と東の二箇所。



村の右端の東門

現在少し移築されたが、元は説明してくださるガイド男性が立ってるところ。
昔はそこが道で東の四足門が境界だったという。
茅葺で補修費用も莫大らしい。

あえて不均等な造りにしてあって、
前に置いた大きな石をどけると境界外に倒れる仕組み。


でもこの先、山が湖に迫り道はなさそう。
道がないなら敵もやって来ないはず。

岬の先には葛籠尾崎の湖底遺跡があるという。


村の結界みたいな感じでしょうか。
他のものを寄せ付けない強靭な思いがありそう。


地図見てると、集落の上、山間部に奥琵琶湖パークウェイが走ってて、端に展望レストランがあるようです。
そこからの眺めは





つづく


奥琵琶湖の隠れ里★菅浦集落

2019-09-03 | おでかけ・近畿

現地到着してバス下車したら配布されたパンフレット

手前に竹生島、葛籠尾崎の入り組んだ入江にある菅浦集落を訪れました。

昭和46年まで陸路ではいけなくて交通手段は船のみ。
今は奥琵琶湖パークウェイの終点です。




13時に湖西にある安曇川の針江を出発し、40分ちょっとで菅浦に到着。

白洲正子さんの「かくれ里」には

「…菅浦は、大浦と塩津の中間にある港で、岬の突端を葛籠尾(つづらお)崎という。竹生島とは目と鼻の間で、街道からは遠く外れるため、湖北の中でも全く人の行かない秘境である。つい最近まで、外部の人とも付き合わない極端に排他的なでもあったという。
 それには理由があった。菅浦の住人は、淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、その誇りと警戒心が、他人を寄せ付けなかったのである。…ここには淡路の廃帝が、一つの信仰として生きているのはおもしろい。神を創造することが、日本のかくれ里のパターンであることに私は興味を持つ。人里離れたところに住む人々は、何か心のより所がほしかったのであろうか。不幸な貴人に同情することが、貧しい人々の真情なのか。…そこには必ず信じるに足るだけの、事実と根拠があったに相違ない…」



興味そそりますでしょう。
二つのグループに分かれ16時まで散策開始。
つづく