私のハンドル・ネーム"miro"の一部は画家のミロに由来する。
私の一番好きな画家はオーストリアのフンデルトワッサーだが、フンデルトワッサーを知る以前、小中学生の頃はミロが大好きだった。象形文字のような単純化された線画、鮮やかな色使い。子どもの描くような天真爛漫さがミロの魅力だ。
ミロは1893年4月20日スペインのカタルーニャ地方の中心都市バルセロナ生まれ。ちなみにガウディ、ダリもカタルーニャ出身である。バルセロナには前衛芸術を産む土壌があるのだろうか。
20代でパリへ出てピカソやアンドレ・ブルトン、マグリッド、ダリらと交流しシュールレアリズム運動を推進する画家となった。作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーとも交流があったことがミロを他のシュールレアリズムの画家とは異なる抽象画法に進ませたのだろう。日本にも2度来日し、1970年の万博ではガス館に巨大壁画を描いたそうだ。
1983年12月25日に死去するが、奇しくも12月25日は私の誕生日である。不思議な縁を感じる。
ミロを観ろ
ミニを見るより
色がある
久しく日本で回顧展は行なわれていないがそろそろ再評価の時期であろう。
私の一番好きな画家はオーストリアのフンデルトワッサーだが、フンデルトワッサーを知る以前、小中学生の頃はミロが大好きだった。象形文字のような単純化された線画、鮮やかな色使い。子どもの描くような天真爛漫さがミロの魅力だ。
ミロは1893年4月20日スペインのカタルーニャ地方の中心都市バルセロナ生まれ。ちなみにガウディ、ダリもカタルーニャ出身である。バルセロナには前衛芸術を産む土壌があるのだろうか。
20代でパリへ出てピカソやアンドレ・ブルトン、マグリッド、ダリらと交流しシュールレアリズム運動を推進する画家となった。作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーとも交流があったことがミロを他のシュールレアリズムの画家とは異なる抽象画法に進ませたのだろう。日本にも2度来日し、1970年の万博ではガス館に巨大壁画を描いたそうだ。
1983年12月25日に死去するが、奇しくも12月25日は私の誕生日である。不思議な縁を感じる。
ミロを観ろ
ミニを見るより
色がある
久しく日本で回顧展は行なわれていないがそろそろ再評価の時期であろう。