Aidan Baker LIVE IN JAPAN 2014
Live:Aidan Baker/グンジョーガクレヨン/group A/秋山徹次 + Cal Lyall
DJ:Evil Penguin
アンビエント・ドゥームの旗手NadjaのAidan Baker、2年ぶり来日公演
灰野敬二とのNAZORANAIに参加するスティーヴン・オマリーのバンドSunn O)))や先日来日したEarthと並ぶドゥーム・メタルの極北NADJAの再来日ツアーが6月20日から始まるのに先立って中心メンバーのエイダン・ベイカーのソロ・ライヴが企画された。といっても、NADJAやエイダンのことを知っていた訳ではない。グンジョーガクレヨンの組原正からスーデラ出演の知らせを受けて「是が非でも観なければ」と駆けつけた次第。実は一昨年、組原と知り合ったばかりの頃に、グンジョーとして精力的にライヴをしたいとの意向を受けて、スーパーデラックスのブッキング担当者に紹介メールを送ったことがあるのだ。その時は梨の礫だったが、2年経って初出演が適うとは誠に目出たい。非常階段と同じく結成35周年を迎えた鬼才前衛バンドへの注目が高まってきた。対バンもとても興味深い優良企画。
●秋山徹次+Cal Lyall
(写真の撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)
日本の即興ギタリストの中でストイックさにかけては右に出るものがいないと筆者が断じる秋山徹次と、スーデラや落合Soup界隈の外国人ミュージシャンの顔役キャル・ライアルのデュオ。秋山の演奏を観る度に、前回どんなプレイをしたのか思い出せなくなるという不可思議な感覚に襲われる。デジャヴ(既視感)の正反対のジャメブ(未視感)または非視感とでも言えばいいのだろうか。それだけ抽象度が高い証拠だろうし、デレク・ベイリーの言う「ノンイディオマティック」に即しているのかもしれない。秋山に比べればキャルのプレイは「音楽」の残滓が感じられるが、二人が同時に音を出すことで、音楽vs非音楽/即物的vs概念的/ノイズvsサイレンスの境界は曖昧になり、冷徹な音空間が聴き手の心の温度を3~5℃低くする。語り合いでも独り言でもない両者の軽やかな音の解放を観ながら「COLD WAVE/Ice Age Improvisation(氷河期即興)」という造語を思い付いた。
●グンジョーガクレヨン
以前グンジョーガクレヨンのことを「セルフコンテインド」即興バンドと呼んだことがある。Self Containedとは「自己充足の」という意味で、他者の助けが無くとも自分(たち)だけで生きる(活動する)ことが出来る存在ということ。また、「打ち解けない」「無口な」という意味もあり、外部のミュージシャンと交流せずにバンド内の結束を固めてきたかつてのグンジョーのスタンスに合致するように思う。しかし、現在の彼らは完全に開かれて、外へ向かうベクトルが著しく増大している。そのエネルギーは最近活動のベースにする阿佐ヶ谷Yellow Visionや八丁堀七針クラスの小さな小屋ではこんがらがって渦を巻くカオス状態に陥るが、スーデラの広い空間だと、遮るもの無く拡散し、聴き手の知覚を気持ちよく刺激する。ビリー・ホリデイへのオマージュのような組原の異形もヌケのいい解放的な演奏により浄化された美を生み出す。前田がベース弦を掻きむしり、宮川が敵討ちのようにスティックを打ち付ける。その類い稀な密度とスケール感は間もなくスーパーデラックスでも手狭になるかもしれない。
●group A
2012年結成、Tommi Tokyo (vocal/synthesizer/ beat)とSayaka Botanic (violin/keyboard)んp二人からなる女子アヴァンギャルドユニット。Sayakaは灰野敬二の海外ライヴのオーガナイズのサポートもしている。三度笠に白いニッカーズに上半身は裸に白のペイントというコスチュームはダダイスティックなコンセプトがある。壁面に映像を映写してトータルアート空間を生み出す。トライバルなテクノイズに電気変調したヴァイオリン。音の感触は80年代インダストリアル風味たっぷりで、女性らしいバイオニックな官能性をアピールする。蟲が増殖する映像に舞う二人の姿には原始的な表現欲求が満ちていた。
●Aidan Baker
「ドゥーム(Doom)」とは「運命,破滅,滅亡,死」という意味で、ドゥーム・メタルは、初期ブラック・サバスの「終末」やオカルトといった世界観と重々しく遅いサウンドを継承したバンド群を指す。海外で高い人気を誇るBORISもDoomと呼ばれることが多い。時にリズムレスで徹底的にダウナーな重低音ノイズが「メタル」と語られるのは日本人には違和感があるが、海外でのへヴィメタルのシーンは、日本のヘビメタとは全く別の文脈で発展しており、極めて先鋭的だという。その中心メンバーのソロ演奏が、爆音や暴力性とは無縁のアンビエントサウンドになるのは、元来彼が平和主義者で哲学者の素質があることを示しているのだろう。ギター一本抱えて消え入るような微弱音を紡ぎ出し、じわじわと音量を上げていく辛抱強い演奏は、秋山徹次に似たストイックさだが、即興演奏の気紛れすら許さない厳格さは、原理主義的禁欲過激派と呼びたくなる。その辺のヘビメタバンドが裸足で逃げ出す超ヘヴィな音世界を堪能した。
ヘビメタと
ヘヴィメタルは
別モノです
四者四様のバラエティのあるイベントだったが、いずれもエクストリームミュージックの極北を体現するスタンスが共通した、異形の越境者たちの宴だった。