ヤコブ・ブロ・トリオ来日公演 (SONG X LIVE 019)
[出演]
ヤコブ・ブロ(ギター)Jakob Bro : Guitar
トーマス・モーガン(ベース)Thomas Morgan : Bass
ヨン・クリステンセン(ドラム)Jon Christensen : Drums
故ポール・モチアン率いるエレクトリック・ビバップ・バンドに参加し、若手有望株として注目を集めたデンマーク出身のギタリスト、ヤコブ・ブロ。近年はポスト・ロック的とも言える非ジャズ系空間サウンドを響かせ、絶妙なストーリーを奏でるユニークなギタリストへと成長。様々な音楽の持つアンビエントな質感を自分の中に取り込むことに成功し、そのギターから発せられる不思議なサウンドはそれらを包み込み、美しいサウンドスケープを醸し出す。待望の初来日公演はベースにトーマス・モーガン、ドラムスに巨匠ヨン・クリステンセンを迎えてのトリオ編成!
⇒【合法☆危険ギタリスト初来日決定!】アシッド・スローモ・ジャズの旗手「ヤコブ・ブロ」
(写真の撮影・掲載については主催者の許可を得ています。以下同)
合法だが危険な音楽を携えて北欧デンマークからやってきた三人組は、当局に通報されることもなく無事に初日本ツアーの最終日を迎えた。ここ十年の間に外観は大きく様変わりした公園通りの並びに潜む地下倶楽部(公園通りクラシックス)には、何処から嗅ぎつけたのか、禁断の果実を味わおうという男女比4:1の観衆が集った。
地下倶楽部と呼ぶには明るくて清潔な店内照明が堕ちると、三名の演奏家がステージに登場。大学で言えば教授・助教授・助手といった風情のメガネトリオだ。気の弱そうなベーシストの意外な程骨太のタッピングに、ロバート・フリップ似のギタリストのピッキングの深い残響が音の虹を描き出す。クリーム色のテレキャスターがグンジョーガクレヨンの組原正を思わせるが、演奏の方は女装の奇人(組原)とは逆のベクトルで突き抜ける。すなわち自己主張の放棄である。それは決して自我(アイデンティティ)の欠如ではなく、共演者に媚び諂(へつら)う誤った謙遜でもない。また、喜怒哀楽を無理矢理封じ込んでに平静を装う訳でもない。いわば老子の説く「道」すなわち無為自然の境地に近い。心を無にして鳴らすギターの音は、ベースとドラムの音と戯れ抗い睦合う。音楽に音楽の行き先を任せるという心境こそ、新時代の音楽家の生きる道のひとつに違いない。
道(TAO)の思想は60年代末のサイケデリック/ヒッピー・カルチャーの基本理念であり、現在も様々なエコロジー/自然派思想/反戦運動/大麻解禁運動の根本に流れている。ヤコブのプレイに筆者は二人の先人ギタリストの影を嗅ぎ取った。ひとりはアメリカのサイケデリック・ロックの第一人者であり、世界のカウンターカルチャーの象徴であるグレイトフル・デッドのリーダー故ジェリー・ガルシア。もう一人はポストニューウェイヴ期に、痛々しいほど痩せた体躯にレスポールを引っさげ、鳥肌が立つほど美しい旋律をつま弾いたドゥルッティ・コラムことヴィニ・ライリー。歪み系エフェクターを使わずクリーントーンで延々と精神解放プレイを繰り広げる「キャプテン・トリップ」ことガルシアと、淡々としたリズムボックスに繊細で朦朧とした歌とギターを聴かせる「ニューウェイヴのギター詩人」ことライリーもそれぞれの時代のTAOの実践者であった。
ベースのトーマス・モーガンとの甘い旋律のランデブーが、ヨン・クリステンセンの老獪なリズムレスビートに脅かされるスリルに身を任せた休憩なしも100分勝負は、予想していた眠気を感じる間もなく過ぎ去った。物理的な演奏スピード(BPM)の遅さはロックで言えば日本を代表するサイケデリック・バンド割礼に匹敵する。もたらされる幻惑感も割礼に勝るとも劣らない。有名なアムステルダムのコーヒーショップは勿論、コペンハーゲンやブリュッセルのハッパ公認地区の店先で、一服キメた人々がヤコブ・ブロ・トリオの音楽に心からリラックスする光景がまざまざと目に浮かんだ。
⇒来日直前インタヴュー「Jakob Bro/ヤコブ・ブロ (g)」(JazzTokyo)
精神の
穢れを洗う
ヤコブ風呂
終演後にヤコブに確認したら、ドゥルッティ・コラムは勿論、グレイトフル・デッドも知らないとの応えだった。直接の影響がないにも拘らず同じ志向性を育んだ事実こそ、雲の上のHEAVEN'S DOORの番人の血が時代や場所に関係なく隔世遺伝されることの証明に他ならない。