A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【ペル・ウブに萌ゆ】愛好家の異常な愛情 またはヲタクは如何にしてBiSを心配するのを止めてペリ・ウブを愛するようになったか

2017年01月05日 02時13分19秒 | 素晴らしき変態音楽


昨年夏にBiSの再始動が発表になった時、プールイがアイドル活動を再開することは嬉しかったが、新メンバーには興味がなかった。オレにとってのBiSはひたすら解散へ向けて摩耗し続けた最後の6人でしか有り得なかった。だから新メンバーのオーディションやデビュー・イベントは完全にスルー。それよりMaison book girlのコショージメグミを推す方が100倍大切だと思った。しかし!である。11月にリリースされたアルバムの告知ツイートを読んでオレの心はひっくり返ることになった。その名は「ペリ・ウブ」。これは反則だろう!同じ想いを抱くご同輩も多いに違いないが、名前だけで「推せる!」と確信したのは初めて。マルコム・マスク・マクラーレンもそれに近いが破壊度がケタ違い。その一週間後、タワレコ新宿のBiSリリイベに参戦。どの娘がペリ・ウブか知らずに観てたら、最も好みの茶髪ツインテ蛙顔の娘がペリ・ウブだった。「ペリたんって呼んでね」「ペリたーん」と即リプ、特典会ツーチェキのテレ顔にオレの純情が迸っている。しかしながらドルヲタにして地下音楽愛好家の妄念は、ペリ・ウブ本人とは関係ない(といっても全く無関係とも言えない)方向へと暴走することとなった。彼女の芸名を考えた運営も予想だにしなかったであろう「ペル・ウブ愛の再燃」である。


ペリ・ウブ @UBU_BiS
BiS(@BiSidol )のぺりうぶちゃん かしこいし人生楽勝だったらいいよね



ペル・ウブ(Pere Ubu)は、オハイオ州クリーヴランドで1975年に結成されたアメリカ合衆国のポストパンク・バンド。自らの音楽をインドストリアルフォークと称し、様々な音楽性を内包するその音楽は、当時の音楽シーンで異彩を放った。バンド名はアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」に由来する。過去何度ものメンバーの入れ替えを行っており、結成当初からのメンバーはボーカルのデヴィット・トーマスただ一人である。 1999年に初来日公演を行っている。(Wikipediaより)



最初に聴いたペル・ウブのアルバムは2nd『DUB HOUSING』(78)。1979年高1の春休みに旅行したロンドンで買い込んできたLPの中の一枚だった。頭のてっぺんから声を出すような素っ頓狂なヴォーカルと調子外れのオルガンにレジデンツが好きだった当時のオレは狂喜して、パンク好きの友人に聴かせたら「これは酷過ぎて聴けないよ」と突っ返された。同年彼とGLANDES(亀頭)というバンドを結成しパンクのカヴァーで学園祭のヒーローになった。



その年に吉祥寺ジョージアの傷ものコーナーで安く購入したのがレッド・クレイオラ Red Crayolaの『SOLDIER-TALK』(79)だった。クレイオラが60年代から活動するサイケバンドということは知らなかったが、リーダーのメイヨ・トンプソンの名前は一部の雑誌で紹介されていた。高音が耳障りなギターと不安定なヴォーカルのオルタネイティヴロックだったが、盤が反っていて回転数が安定しなかった。このアルバムにペル・ウブのメンバーが全員参加していた。



ペル・ウブの3rdアルバム『NEW PICNIC TIME』(79)はジョージアのお薦め盤として広告や店頭で盛んに宣伝されていたし、4th『THE ART OF WALKING』(80)とライヴ盤『390° of Simulated Stereo』 (81)はラフトレードで日本盤がリリースされた。この頃グンジョーガクレヨンの組原正は「ペル・ウブ以外のパンクはクズ」と言い放っていた。またデヴィッド・トーマスはクリス・カトラーやリンゼイ・クーパーなどレコメン系ミュージシャンと共演し、当時パンクよりもプログレやサイケに興味が移っていた筆者の心をトキメかせた。しかし積極的に聴くこともなく、いつしかレコード棚の肥やしになっていった。

Pere Ubu - Breathe & Waiting for Mary [live UK]


そんな記憶がペリ・ウブの登場と共に津波のように蘇ってきて、レコード屋に訪れるたびに「P」コーナーまたは「NEW WAVE」コーナーを掘ること2ヶ月で初期ペル・ウブのアナログ盤をコンプリートすることが出来た。今改めて聴いてみると、とんでもなく音痴に聴こえたヴォーカルが実は完全にコントロールされたヴォイス・パフォーマンスだったことや、パンクというよりサイケデリックなガレージロックにルーツがあり、ポスト・パンクではなくネオ・ヒッピー的感性を持っていたことに気がつく。そして当時デブのロッカーの代表格とされたデヴィッド・トーマスが意外に太っていないことにも。同じオハイオ州出身として比較されるDEVOに比べると、恰もピンク・フロイドとクラフトワークほどの違いがある。最新作の『CARNIVAL OF LIFE』(14)まで、一貫してポップソングを自分だけの感性で解釈・提示し続けるアートロック界の「ウブ親父」に最大級の親愛の情を捧げたい。

PERE UBU Navvy Live 2016


ペレ・ウブと
BiSの対バン
希望します

BiS - アイドル甲子園 2017 @赤坂BLITZ




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