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海賊盤(ブートレッグ)に目覚めたのはいつ頃だったろう。初めて買ったブートレッグはセックス・ピストルズの『100 CLUB SEX PISTOLS PARTY』だった。吉祥寺のF+Fというショッピングビル1階の名曲堂は普通のレコードチェーン店だったが何故かブートレッグ・コーナーが充実していた。パンク雑誌『ZOO』で紹介されたこのアルバム見つけて即座に購入したのは1978年高1の秋だったと記憶する。モノラルの客席録音で、グラスの音が混じる粗悪な音質だが、当時既に解散していたパンク・ヒーローの荒々しい演奏は、酷いサウンド故に逆に迫力があった。
新宿西口の輸入レコード店街にKINNIEというブートレッグ専門店があった。後にプログレ/ユーロロック専門店も併設されたこの店は、ロックの深みに徐々に足を踏み入れつつあった高校生にとって正に天国だった。ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリン、クリムゾンなどロックレジェンドの海賊盤に心弾ませたが、値段はかなり高く試聴も出来なかったので、少ない小遣いを工面して一枚選ぶのは賭けに近い気持ちだった。オールカラーのジャケットに惹かれて買ったザ・フーの『TALES FROM THE WHO』は74年ワシントンでのQuadropheniaツアーのライヴで、映画『さらば青春の光』の元になった『四重人格』のナンバーを生演奏で聴けることに大昂奮した。ザ・フーは他にもモンタレーポップやウッドストックのライヴ盤、未発表デモテープ集など何枚も購入した。
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ニューウェイヴ系のブートレッグはKINNIEよりもディスクユニオンや吉祥寺TONYレコードのような中古盤店で見つけることが多かった。ギャング・オブ・フォーの『ANTHRAX MARXISTS』は84年にTONYレコードで購入。彼らの1stアルバムの硬質なカミソリギターを完コピしていたので、この80年ドイツでのライヴ盤もプレイヤーに乗せてスイッチを入れたらライヴ・アット・マイルームの始まりだった。ひとりでジャンプして騒いでいたらマンションの下の階の住人から苦情が来た。
トーキング・ヘッズの透明レコード『TALKING HEADS and RHYTHM SECTION』は84年に大学生協の中古レコードセールで購入。年二回くらい開催される生協レコードセールは貴重盤や珍盤が驚くほど安価で買える穴場だった。当時の筆者のギターヒーロー、エイドリアン・ブリューの変態ギターが堪能できるこのライヴ盤は絶品。トーキング・ヘッズの作品はこれ以外は正規・ブートともに所有していない。
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テレヴィジョンの『DOUBLE EXPOSURE』は91年に新宿ディスクユニオンで中古で購入。ハーフオフィシャル風のジャケットだが、ブライアン・イーノ・プロデュースのスタジオデモと75年のCBGBでのライヴを収録した非公式盤である。オリジナル・アルバムより初期デモの方がいい、と言われるのはストリート出身のロックバンドの常識といえる。
90年代以降のブートはレコードからより簡便で安価なカセットテープに代わり、さらにCDやCDRになるに至っては、曾ての「一か八か」のギャンブル性が減り魅力が失せてきた。またオフィシャルで未発表のライヴやデモ音源がリリースされることも増え、非合法の罪悪感やスリルも無くなった。そのため暫くブートを買うことは無かったが、敢えて言えば2000年代の裸のラリーズのブートの乱発には心を痛める一方で、裏腹の罪深い悦楽に耽溺しもした。特にアナログ盤ブートはCDよりも遥かに愛着が沸き、折に触れてターンテーブルの上で愛でながら禁断の快楽に身悶えする日々である。
海賊盤
犯罪だけど
憎めない
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