A Challenge To Fate

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【勝手に翻訳】オリヴァー・レイクのブラック芸術主義。 彼のアーティスト・グループがニューヨークのロフトシーンをどう変えたか?

2020年04月07日 00時24分12秒 | 素晴らしき変態音楽


コロナウィルス予防対策で在宅していて暇なので部屋の片づけをしていると、昔買ったレコードを掘り出してついつい聴いてしまう。40年近く前高校時代に初めて買ったフリージャズ系レコード、ヒューマン・アーツ・アンサンブル『アンダー・ザ・サン』の中心メンバーでアルトサックス奏者のオリヴァー・レイクは、筆者のアヴァンギャルド衝動のきっかけの一人として常に意識してきた。77歳の現在も精力的に活動するレイクのレコードはたくさん持っているが、中には買って以来ほとんど聴いていない作品もある。この機会に彼のレコードをターンテーブルに乗せ、ときに破天荒にときに理知的にときに甘くしみるアルトの響きに浸っている。その合間に彼の公式サイトに最新記事として紹介されていたBandcampのインタビューを、最近評判のDeepL翻訳を活用して勝手に翻訳した。

オリヴァー・レイクのブラック芸術主義。彼のアーティスト・グループがニューヨークのロフトシーンをどう変えたか
Seth Colter Walls セス・コールター・ウォールズ/Bandcamp Daily 2017年5月17日


過去50年間、サックス奏者であり作曲家でもあるオリヴァー・レイクは、即興演奏と作曲の世界でリーダー的存在であり続けている。セントルイスの有名なブラック・アーティスト・グループ(BAG)の共同創立者であり、60年代後半から70年代初頭にかけてのブラック・アート・ムーブメントの一員として、レイクは芸術分野を超えた黒人実験主義者たちのパフォーマンスを組織する上で重要な役割を果たした。俳優、詩人、ダンサー、ミュージシャンなどがBAGに参加している。組織が解散した後も、レイクは人気の高いワールド・サックス・カルテットでジュリアス・ヘンフィル等のBAG卒業生と活動を続けている。レイクは今でも様々なグループとのコラボレーションを行っており、彼のビッグバンドでラッパーのOutkastやMystikalの曲を再解釈したり、今月開催されたBang On A Canマラソンでは完全即興セットで演奏したりしている。

『Right Up On』は、彼のインディペンデント・レーベルPassin' Thruからの最新作。このアルバムは、しばしば別ものとして考えられている伝統を融合させる彼のユニークな方法を強調している。このアルバムには、過去20年間に現代古典派ストリングスグループFLUXカルテットのために書かれた作品を収録。これらの作品の中で、レイクはスリリングで多様なアプローチを探求している。このグループのために書かれたスコアの中には、伝統的な書き出しのものもあれば、即興演奏を可能にするために図式的に表記されたセクションを持つものもある。

アルバムの3曲でレイク自身が弦楽四重奏団に参加しており、オープニングの「Hey Now Hey」、アヴァンギャルド・ブルースの「5 Sisters」、そしてラストナンバー「Disambiguate」で、すぐにそれとわかるアルト・サウンドを披露している。先日、ニュージャージー州モンクレアの自宅にレイクを訪ねた。リビングルームはアートや音楽の本に囲まれ、レイク自身の絵画が飾られていた。彼のアート作品は『Right Up On』のCDジャケットにもなっている。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーインタビューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q, 弦楽のための音楽を書くことに興味を持ったきっかけは?

A. セントルイスに住んでいた頃、ブラック・アーティスト・グループの後期に弦楽四重奏曲を書き始めました。その後、ニューヨークに引っ越してきて、リロイ・ジェンキンスと知り合い、デュオ・コンサートを何度もやっていました。私の心に響いたのは弦楽器というより、バイオリンだったと思います。リロイと出会い、一緒に演奏するようになってからは、そのことが前面に出てくるようになりました。

それから私は弦楽四重奏曲を何曲か書いて、レコーディングのためにメンバーを募って弦楽四重奏団を作りました。そして「すでに結成されている弦楽四重奏団と一緒にやるべきだ!」と思ったのです。何故なら彼らはお互いに演奏に慣れた独自の音を持っているからです。私は弦楽四重奏団を探し始めました。そしてその中心的存在のFLUXと出会い、コラボレーションを始めることができて本当に良かったと思っています。

Q. ニュー・アルバムは本当に変化に富んでいますね。オープニングの曲は憂いがあり、「5 Sisters」では、とても突飛な旋律を披露しています。「2016」では、チクチクとしたピチカートのような音から、甘くも不機嫌なハーモニーへと変化していく。作曲は正確にこの順番でしたのでしょうか、それとも...

A. いいえ、「Hey Now Hey」は1998年に書きました。最も最近の曲は「2016」で、「Sponge」も同じく昨年書きました。「Einstein 100」は2005年に書きましたが、その年はアインシュタインが相対性理論を発表してから100周年にあたります。「5 Sisters」は2013年に作曲しました。曲から曲へと色彩を考えました。インストゥルメンタルの色の変化を意図したのです。1998年に書いた「Hey Now Hey」はFLUXが以前にコンサートで演奏したことがありましたが、レコーディングしたのは今回が初めてです。

Q. FLUXはその曲をあなたが参加しなくても演奏できるんですか?

A. ええ、私がいない時も時々演奏します。でも幾つかの四重奏曲では、敢えて私は参加しません。例えば「Einstein 100」のような曲は全く私は演奏しません。弦楽四重奏だけの表現を求めたからです。

Q. どのような文脈であれ、これらの曲では、演奏していなくても、あなたの音楽だとすぐわかりますね。

A. まあ、それは私の音楽の系統の一部であり、すなわちブルースだと思います。弦楽四重奏であろうと、4本のサックスであろうと、バンド「トリオ3」であろうと、ソロであろうと、私がすることすべてで私のサックスの音はブルースのラインを持っています。そして、自分の好きな様々なことをやって、それがアイデアから始まって、完成した作品となって終わるのを見ていると、とても成功していると感じるんです。私にとってそれは成功に等しい。経済的・金銭的な意味ではありませんが(笑)。また『Matador of 1st & 1st』という演劇の音楽を手がけた時もありました。

Q. レコーディング作品は知っています。強烈です。でも、演劇作品だったとは!?

A. 衣装替えやBGMや舞台設定がありました。ビデオがネットのどこかにあると思います。私はキャリアの中で、このように様々なプロジェクトをやってきましたが、とても楽しかったです。

Q. BAGを立ち上げた時は何歳だったのですか?

A. 30歳くらいでした。大学を卒業するのに時間がかかりました。何度も通い続けました。最終的に大学を卒業した時には、セントルイスの公立学校で教鞭をとり、小学校で3年間音楽を教えました。その頃ブラック・アーティスト・グループが始まったのです。

Q. 『Matador of 1st & 1st』のような、音楽と演劇が融合した作品は、BAGのアプローチの延長線上にあるのではないでしょうか?

A. そうですね、僕の大学、アーティストとしての大学はブラック・アーティスト・グループだったと思います。そこでやっていたことはすべて、自分のキャリアに繋がっています。「Put All My Food on the Same Plate(すべての食べ物をひとつの皿に盛る)」という詩を書きました。それは私のクリエイティビティの哲学というか、いろいろなプロジェクトをやり、自分のサウンドを爆発させるための異なるオーバーレイをもつことで、この社会の中で私がどのように機能しているかということを表しているのです。

Q. BAGについて書かれたベンジャミン・ルーマーの本の中には、ファースト・アルバムのライナーノーツに引用されている、ブラックミュージックのさまざまな側面が、市場で如何に人為的に分離されているかについての、あなたの詩が引用されています。

A. ええ、同じ詩ですね。ジャンルが分断されていて、そのために観客も分断されていることについて述べています。それは良くないことですよね(笑)。なぜなら、全て一つのものであり、全ては一つのソースから来ているからです。創造性には、完全で正直なコミュニケーションが必要なんです。ジャズと呼ばれる音楽はそういうものだし、素直なコミュニケーションをしてはじめて、オーディエンスもそれを感じることができるのです。個々の表現のスタイルは本当は重要ではないと思います。ただ、それが自分の心の表現であるかどうかが重要なんです。

Q. BAGを立ち上げようと思ったきっかけは、AACM(Association for the Advancement of Creative Musicians)を立ち上げたシカゴのミュージシャンたちを訪ねたことですよね

A. そうです。AACMに出会う前、セントルイスでほぼ毎日我々ミュージシャンのグループが集まってジャム・セッションをしていました。10人か15人くらい。セントルイスのフォレスト・パークという公園に美術館があって、その前で演奏していました。66年か67年頃のことです。私たちは組織化されてはいましたが、それはゆるやかな結びつきのようなものでした。その後、AACMに出会って、彼らがとても正式に組織されているのを見て、いいアイデアだと思いました。「僕等もグループがあるのに、自分たちの存在をアピールすることもなく、ただジャム・セッションをしているだけじゃダメだ」と思ったんです。

セントルイス出身で、アート・アンサンブル・オブ・シカゴに所属していたレスター・ボウイを訪ねるためにシカゴに行きました。インスピレーションを受けて戻ってきた私は「AACMのセントルイス支部にしよう」と言いました。そしたら確かジュリアス・ヘンフィルだったと思いますが、「いや、自分たちのグループを立ち上げよう」と言ったのです。その頃我々はジャン・ジュネの「The Blacks(黒子)」という作品を上演するために、俳優やダンサーや詩人と連絡を取り合っていました。その制作途中だったので、ジュリアスが「ジャンルの違うアーティストとの繋がりを活かして、ダンサー、俳優、詩人、ミュージシャンを含むグループを作ろう」と言ったのです。そうやってブラック・アーティスト・グループが誕生したのです。

Q. その組織は数年しか続きませんでしたが、そのメンバーがニューヨークに引っ越してきた時に、NYの「ロフト」シーンを変えることになったんですね。

A. ええ、BAGは正式には3年か3年半くらいしか続きませんでした。私は1972年にパリに引っ越して、2年間滞在しました。そのあと1974年にニューヨークに移ったのです。

Q. アンソニー・ブラクストンのアリスタのアルバム『New York, Fall 1974』にジュリアス・ヘンフィルを一緒にサックス・カルテットの一員として参加したのはその時ですね。

A. そうです!それがワールド・サクソフォン・カルテット(WSQ)を始めるきっかけになったのか?と聞かれたことがありますが、実は、WSQを始めたきっかけは、ニューオリンズのキッド・ジョーダンというサックス奏者でした。彼は我々の4つのグループの演奏を聴して、我々全員を招聘したいと言ってきました。でも4つのグループを全部呼ぶ予算がなかったのです。そこで彼は「ニューオーリンズに来て、ニューオーリンズのリズム・セクションと一緒に演奏してくれ」と言いました。そして私たちはそうしました。

反応がどうだったかって?凄かったです。観客は狂喜乱舞して叫んでいました。子供も年配の人もいました。大興奮していました。我々の演奏に、こんなにも心から反応してくれたことに驚きました。ステージが終わって「僕等はこのバンドを続けなければならない」と決心しました。ニューヨークに戻りましたが、ベース、ドラム、ピアノを誰にするか決められませんでした。で、やはりジュリアスだったと思いますが、「誰もいらないよ。4人でやろう!」と言ったのです。確か1976年のことです。

Q. 今ベテランの目で見て、他の組織で同じような伝統を受け継いでいるところがあるでしょうか、創造的な音楽の世界では。

A. ええ、もちろんありますよ。最初に思い浮かぶのは、(ブルックリンの会場の)ルーレットですね。彼らこそ実例、事件です!(笑)。グループには、以前に起こったこと、そして今も起こり続けていることまでの連続性があります。AACMや黒人アーティストグループから、ビジェイ・アイアー Vijay Iyerのような若いミュージシャンまで。彼はトリオ3とレコーディングをしましたし、何度か一緒にライヴをしたことがあります。彼はミュージシャンズ・ミュージシャンで、細部にまでこだわりを持っています。レコーディングでは、ミックスの面で彼が重要な役割を果たしてくれました。彼の作曲、または我々の作曲につけ加えたものは何でも、クリエイティブで、とてもオープンなんです。

Q. あなたもオープンでいようと努力していると思いますが、現代のヒップホップやR&Bはチェックしていますか?

A. はい、多少は。息子の一人がDJ兼レコード・プロデューサーで、Passin' Thruレーベルの幾つかのCDをプロデュースしています。彼のおかげで最新のトレンドについていくことができています。ラップはあまり聴きませんが、自分のビッグバンドのために2曲アレンジしたことがあります。Outkastの「The Whole World」とMystikalの「Bouncin' Back」。だから、彼らの曲を聴いています。何に対してもオープンであることが大事です。ミュージシャンとして、リスナーとして、クリエイターとして、作曲家として、我々には多くの選択肢があるということを言いたいだけです。様々な選択枝のために、すべてのドアを開けておきたいのです。

Oliver Lake & FLUX String Quartet - at The Stone, NYC - Oct 26 2014


サックスの
音の真ん中
ブルースあり

▼オリヴァー・レイクが参加したブルージーな新作。近日レビュー予定。
Ross Hammond, Oliver Lake, Mike Pride ‎– Our Place On The Wheel
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