浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

報道

2024-05-28 08:02:57 | メディア

 メディアを注視していて、ときにその内容をメールで送っていただいているが、そのなかに、静岡県知事選について、NHKは、朝のニュースの6時台、6時30分台ニュースでは伝えたが、7時のニュースではまったくとりあげなかった、という。

 この県知事選は、SUZUKI康友浜松市政を批判してきた私にとっては、決して与野党対決ではなく、与党と野党の名を騙った与党との対決で、そのなかみは、SUZUKIのトップ鈴木修の地方政治への容喙を認容するかどうかの選挙であった。SUZUKI康友は決して野党候補ではないことは、前回のSUZUKI康友の市長選に、菅義偉が選挙応援に来ていたことで示されている。

 とはいえ、自民党が推薦した候補が落選したことは事実であって、この事実は自民党・公明党政権にとってはあまり知られたくないことであろう。これが全国に波及していけば、彼らの政権は危機状態になる。NHKは政権の意向を十二分に意識して、報じなかったのだろう。NHKの政治的立場は、いよいよ明確である。

 私はテレビを見ない。テレビを見ている人からは、NHKのニュースは問題だけど、良い番組がある、という。では、良い番組と悪い番組の割合はどの程度なのだろう。すべてのテレビは、今や政権の広報機関と化している。見る価値はないと、私は断じている。

 いずれにしても、NHKの政権の広報機関化は顕著である。

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『朝日新聞』の変質

2024-05-23 22:13:26 | メディア

 もと朝日新聞の外岡秀俊が語る『外岡秀俊という新聞記者がいた』の内容を紹介しはじめたが、かつては朝日新聞には、良い記者がいた。「かつては」と書いたのは、もうそうした記者がほとんど残っていないからだ。

 私は、小泉内閣の郵政選挙の際の同紙の社説を読んで即購読をやめた。その一本の社説は、当時の小泉首相の演説を聴くとうっとりするというような内容であったと記憶している。それは私にとって、大きな衝撃だった。

 その後の朝日の動向をみていると、若干の変動はありながらも、「読売」「産経」と同質的な方向へと歩んできているように思える。

 その決定的な言説が、『朝日新聞』紙上に出現した。

「朝日新聞を読むの、もう止めようかな」

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良い番組だった

2024-05-18 21:11:21 | メディア

自民“金権病”にクスリなし 「つばさ」3人逮捕・特捜本部も

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政治権力と大手メディアの腐った関係

2024-05-17 23:13:02 | メディア

“絶対に断らない女”山田真貴子元報道官がフジテレビに天下りへ 総務官僚時代に高額接待で猛批判浴びる

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メディアの罪

2024-04-28 21:30:55 | メディア

 新聞やテレビは、ときに大きな犯罪を犯す。空疎な人物を祀りあげ、さもすごい人だともちあげる。残念ながら、多くの人々は、テレビに出ている人をじかに見ることが好きのようだ。私はそんな趣味を一切持っていないが、あるときちょうど浜松駅を通りかかったとき、余りに多くの人が集まっていたので驚いたことがある。その時は有名人(タレントか政治家か忘れた)が、浜松駅に来るというので一目見たさに集まっているということだった。

 メディア、とりわけテレビは人を画面に映し出すことによって(テレビは多くの場合、空疎な人物をとりあげる)、その空疎さを消し去るような効果を引き出す。テレビに出ていた人だから、空疎な人物ではないだろう・・・・というように。

 東京都知事の小池某も、何の定見もない目立ちたがり屋だけの空疎な人物だとみている。空疎だから、彼女のことばは重みを持たない。都知事として、彼女は何ごとかをなし遂げたかを振り返るとき、何もないことがわかる。たとえば満員電車を「ゼロ」にすると言っていたが、今ではそんなことを口にすることもない。「築地を生かす」と言っていたが、あそこはスタジアムが建設されて巨人軍が本拠地にするという案が出されている。

 空疎な人物を祀りあげたのがメディア、とくにテレビである。しかしメディアは反省しない。自民党や統一教会などと同じである。

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「記者たち 多数になびく社会のなかで」(毎日放送)

2024-03-08 22:06:43 | メディア

 毎日放送の斎加尚代さんが制作したドキュメンタリーである。

 新聞の購読者数が激減している。その理由は、わからないでもない。新聞記事が、政治権力に忖度し、協力しているものが多いからという理由もあるだろう。その理由で私は新聞購読をやめた経験があるからだ。

 今までも私は、購読する新聞を替えてきたが、現在は『東京新聞』である。『東京新聞』の姿勢、立場を、私は支持しているからこそ購読している。政治権力への忖度がないからである。

 さて、このドキュメンタリーは、『琉球新報』の明真南斗記者、もと『毎日新聞』の小山美砂記者、そして『神奈川新聞』の石橋学記者に焦点をあて、彼らがどのような取材をし、どのような記事を書いているかを紹介するなかで、彼らがどのような姿勢を堅持しているかを提示したものだ。

 素晴らしい記者たちである。しかし残念ながら、こういう記者は少なくなっている。

 若い頃、私は多くの新聞記者と交流があった。『産経新聞』や『日本経済新聞』ですら、ジャーナリズム精神をもった記者がうようよといた。しかし今はほとんどいない。私と共鳴するような問題意識をもった記者がいなくなった。

 だが、このドキュメンタリーが取り上げた3人の記者は、私の問題意識と共鳴する。私は3人の記者の頑張りをみて、エネルギーをもらった。

 

 私は、いろいろな仕事を引き受けてきたが、私自身の思想や考え方を常に明確にしながらやってきた。「私はこういう思想を持っていますが、しかし仕事は完璧にやります」という姿勢でやってきた。仕事の結果をだすためには、最善の努力をしたから、いろいろと仕事が舞い込んできたし、今もやめようとしてもやめられない仕事もある。

 私の人生訓は、「出過ぎた杭は打たれない」である。常に出過ぎること、である。出過ぎることとは、みずからを鮮明にするということだ。多数になびかないことでもある。

 このブログを読んでいるかはわからないが、記者になった者たちよ、出過ぎた杭となって世のため人のために尽くせ!

 

 

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「報道のTBS」の名を使うべきではない!!

2023-11-27 11:11:48 | メディア

 テレビ局は腐敗している。テレビを見ないのは、正解だ。

【TBS、草彅氏の退避認める/嵐ハワイコンサートでは豪華招待旅行/甘すぎる認定

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豊かさ

2023-11-25 17:31:27 | メディア

 最近の『週刊金曜日』の記事には、「豊かさ」があると思う。その「豊かさ」とは、怒り、悲しみを抱く現実社会との関わりのなかで、報じなければならないことを、多様な視点から浮き彫りにしようとしているように思われる。

 昨日届いた『週刊金曜日』11月24日号、今までのなかでとりわけ「豊かさ」を感じた。

 その一つは、ガザに対するイスラエルの許すベからざる蛮行の記事である。今、アメリカの支持を得ながら行っている軍事作戦は、ガザからパレスチナ人を一掃するために行われているもので、それはシオニズム運動が当初から企んでいたことであることを明確に記していることだ。ユダヤ人を迫害していた西欧社会が、このイスラエルの蛮行に「寛容」であることの問題性、しかし今イスラエル国家が行っていることは、ナチスドイツがユダヤ人に対して行ったことと相似形であること。だからこそ世界の良識ある人びとが、どこでもイスラエルを批判しているのである。

 もう一つは、古謝美佐子さんが今度出すアルバムのこと、古謝さんへのインタビューもまた「豊かさ」にあふれている。古謝さんのうたそのものが「豊かさ」にあふれているからでもある。よいインタビューである。

 「福田村事件」についてのインタビューもある。私は映画を見ていない。見ていないのはなぜかというと、ベッドシーンがあると聞いたからだ。この事件を描くのにベッドシーンは必要はないだろうと思ったし、見た人からの感想を聞いて、みなくてもよいと判断した。『週刊金曜日』では、この事件について地元で調査をしている市川正廣さんへのインタビューが掲載されていて、市川さんはこの映画に違和感を持っているという。いろいろな意見があってよいが、見た人の評価は概ね良いからこそ、市川さんの意見は重要だ。

 またイギリス人平和活動家のアンジー・ゼルターさんのことが紹介されている。アンジーさんの『非暴力で世界を変えるー活動家という生き方』という本が来年出版されるという。読まなければならないと思う。

 今週号の『週刊金曜日』は多彩な内容で、読み応えがあった。

 

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斎藤茂男

2023-11-10 16:02:23 | メディア

書庫に、本多勝一の『再訪・戦場の村』を出してきた際、その隣に並んでいた斎藤茂男の「取材ノート」全五冊をいっしょに持ち出した。

斎藤茂男も、今はもう亡い。共同通信社の有名な記者であった。今や、共同通信にそうした記者はほとんどいない。いや、共同通信だけではなく、どこの新聞社にもほとんどいなくなっている。残っているのはサラリーマン記者かヒラ目記者かどちらかである。こう書くと怒る人もいるのだろうが、それだけパンチのあるジャーナリストがいなくなったということである。

本多勝一のと斎藤茂男の本は、並べている。捨てるに捨てられないからだ。

斎藤の「取材ノート」の第一冊を読みはじめた。最初は下山事件である。斎藤の文章は歯切れが良くて読みやすい。そしてそこに欠くべからざる論点がきちんと記されている。Journalistとしては名文であると思う。読みはじめたら、最後まで読まなければならなくなる。

1949年7月に起きた国鉄総裁、下山定則が消えた事件、下山事件は今もって解決されていない。他殺説、自殺説が入り乱れているが、私は権力による謀殺説である。斎藤も同じだと思う。

事件がおきたことにより誰がもっとも利益を得たかということを考えるとき、回答は簡単である。時の権力者であるとしかいいようがない。

松本清張、佐藤一など、私もかつて下山事件に関するいくつかの本を読んだが、権力による謀殺であることは確かであると思っている。

『週刊金曜日』今週号の諸永裕司のプロフィールに、下山事件に関する本を出しているとのことを知り、図書館で借りることにした。

諸永も、斎藤茂男について言及している。斎藤の「メディアは構造を描け」という文章について考えたとのこと。

私が主に携わってきた歴史叙述も、煎じつめれば「構造」に肉迫することである。どういう「構造」のなかで「事件」が起きたかを描くこと、時間的、空間的な広がりの中での構造を捉えないと、「なぜ?」に答えられない。

今は、その「なぜ?」が消えている。「なぜ?」を考えるためには、鮮明な問題意識が求められる。その問題意識が鍛えられる場が、きわめて少なくなっているのが残念だ。

下山事件に関する文の、斎藤の末尾はこうだ。

下山事件の確たる真相は、私にはわからない。しかし、あの事件が起きた1949年の夏が、戦後の歴史と、日本人の民主主義への希求とをねじ曲げ、ねじ伏せた政治的な夏であったことは、確かなことのように思われる。そのとき、歴史の流れを誰が、どのように変えようとしたのか。あれから今日まで、少なからぬ人々の下山事件にかけた執念は、自分たちの歴史の転換点を見すえようとする願いからであり、また、別のいい方をすれば「あの転換点から由来する日本の現代を、自分たちは承服してはいないぞ」という意思の表明である、といえるかもしれない。

   

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「朝日新聞」の凋落

2023-11-07 11:44:13 | メディア

 送られてきた『世界』12月号に、南彰さんの文があった。南さんは朝日新聞の記者、新聞労連の委員長も務めた。その南さんが「朝日」を辞めた。

 私の知り合いの記者も最近辞めたと聞いた。「朝日」が退職勧奨をしているようなことも聞いた。「朝日」は新聞社としてではなく、不動産業で生きていくつもりなのかと思った。

 私は、これも何度も書いているが、小泉政権の郵政選挙の際にずっと購読していた「朝日」をやめた。小泉の選挙演説に感動した旨のことが、社説に書かれていたのだ。私はすぐに新聞販売店に連絡して購読をやめた。

 「朝日」はもうだめだが、中にはよい記者もいると思ってきたが、よい記者はもういない。みんな辞めてしまった。

 「朝日」は、ジャーナリズムの精神を捨て去り、御用新聞へと方針転換したようだ。そうなると、もう「朝日」の存在価値はない。そうした新聞として「読売」があるから、「朝日」は今後消えゆくしかない。

 南さんは「いまの朝日新聞の組織には、絶望感ではなく、絶望しかない」と書いている。

 私は20年以上前に「朝日」に見切りを付けた。「朝日」を去る人が増えている。いずれ「朝日」は完全に見捨てられるだろう。

 

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堕落への道を走るテレビ

2023-09-24 16:33:24 | メディア

 テレビのない生活は静かな日々である。長年テレビを見ない生活をしているのに、友人のなかには、私にテレビの話をする。その都度、「ボクはテレビを見ていないから」と口をはさむ。

 こんなにも、こんなにも、テレビがくだらないことを流し続けているのに、なぜ人はテレビを見続けるのか。

 「良い番組もある」という意見をする人がいるが、ではその割合はどのくらいかと、私は問う。ほとんどないに等しいではないか。テレビを捨て去れば、日本は少しはよくなるのではないかと思う。

 ジャニーズに関する問題が報じられているという。カネ儲けに目が眩んでいるメディア、それには新聞もはいるのだが、ジャニーズ所属のタレントをつかえばテレビでは視聴率が稼げて、雑誌なら売り上げが伸びるのだという。

 朝日新聞が発行していた『週刊朝日』、ジャニー喜多川が亡くなったとき、「追悼 ジャニーさん ありがとう」という特集号を出していたという。2019年7月だ。

 読んでいないのでわからないが、最近朝日新聞社は、社説でこの問題を厳しく断罪していたらしい。しかし、『週刊朝日』や『アエラ』がジャニーズ事務所と手を結んできたことをどう考えるのか。

 朝日新聞社は、私にとってはいかがわしい新聞だという認識がある。たしかに良き記者はいる。だが、リベラルであるかのようなそぶりを見せながら、本質はいかなる体制をも、社としては批判しない。批判は、社と関係ない文化人に書いてもらう。

 今や新聞は、私の目が届く範囲でいうと、『東京新聞』のみジャーナリズムの範疇に入る。

 テレビなんぞは、ジャーナリズムのジャもない。見る価値はない。テレビを棄てて書を読もう。

 さて、テレビ批判の文書をみつけた。その通りだと思う。

ジャニーズ性加害問題の本質はテレビ局の堕落 「視聴者がそういう番組を欲しているから」の言い訳はもはや通用しない

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デモクラシータイムス

2023-08-26 08:13:58 | メディア

 自宅にはテレビはないが、実家などに行ってついているテレビを時々見る機会があるが、テレビは能天気で、くだらないものばかりで、その都度テレビをみないようにしたことが正しかったことを確信させられる。

 だから、私はYouTubeチャンネルから選んでみることが多い。そのなかでも、もっとも多いのが「デモクラシータイムス」である。そこでは現在知ったり考えたりすべきテーマがとりあげられ、とっても有益である。

 「デモクラシータイムス」の番組はすべて有益であるが、最近みて、私が知らなかったことを教えられたのが、これである。 

ジャニーズだけじゃない~国連作業部会が明らかにしたもの【竹信三恵子の信じられないホントの話】

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ことばにこころを動かされる

2023-08-02 21:37:10 | メディア

 今日の『東京新聞』に、「今こそ読みたいロシア文学は?」をテーマに一面がつかわれていた。ロシア文学者の沼野充義さん、群像社の島田進矢さん、ロシア文学者の奈倉有理さんがそれぞれ一冊を推薦している。

 沼野さんはトルストイの『戦争と平和』、島田さんは『ポトウダニ川』(群像社)。著者はプラトーノフという人。はじめてきいた名前である。その書き出しが、「国内戦の間じゅう踏み固められて道になっていた土の上に、また草が芽を出しはじめた。」だとのこと。

 僕はこの書き出しの文を読んで、それだけで感動してしまった。事実を描いているのかもしれないが、そこにものすごい意味が込められていると思った。

 奈倉さんが推薦したのが、ゲルツエンの『向こう岸から』(平凡社)。この名前も初めて知った。彼の言葉としてこういうことばが紹介されている。

 言葉が滅びないところでは、なすべきことも滅びない。

 このことばにも豊かな世界が描かれていると思った。

 ロシア文学は、とても深いと思う。高校生から大学生にかけて、プーシキン、ツルゲーネフ、ドストエフスキーらのロシア文学をよみふけった。ロシア文学の作品それぞれに、私は大いにこころを動かされた。

 沼野はこのように書いている。納得である。

 (ロシアでは)政治的な弾圧で自由な言論が許されなかった。だから哲学も政治思想も、宗教論もすべて文学に託された。まるで一切のものを包み込む合切袋のような存在。それがロシアにとっての文学なのです。

 

 

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ジャーナリズムの精神

2023-07-07 18:46:48 | メディア

 『世界』8月号が届いた。目次を見ていたら、「「空前絶後」の朝日新聞編集長ー早すぎる死」を見つけた。そのページにいってみたら、外岡秀俊さんの顔があった。その「編集長」とは、外岡さんのことであった。

 すでに朝日新聞は、ジャーナリズムの点では「死」を迎えているが、もし外岡さんがもっと長く編集局長をやっていたら、また外岡さんの主張していたことが、社内で「世論」になっていたら、朝日新聞は現在のような体たらくにはなっていなかっただろう。

 これを書いた松本一弥さんは、外岡さんが言っていたことを紹介する。その最後に、「僕らは会社員だと思ったらダメだということなんですよ。『上がおかしいことをいったと思ったら、歯向かえ』ということなんです。その議論がなくなってしまったら、言論機関としては、おしまいだということです。」が紹介されている。

 『上が・・・』は、いかなる場でも主張すべき正論である。おかしいことはおかしいと主張することが間違いを修正する方法である。そういう強さを持たないと、どこでも、社会全体でも、よくはならない。

 朝日新聞は、外岡精神(まさに媚びない、今はやりのことばでいえば忖度しない、ファクトを中心に動くジャーナリズム精神)を、外岡さんが退社したことを契機に捨て去ってしまった、そのことが朝日新聞を退廃においやったのだ。

 朝日新聞の『新聞と戦争』は、外岡さんが編集局長時代に、朝日新聞社の良識が、ジャーナリズム精神が花開いた作品である。

 今私は、書庫に保存していた『日本史研究』、『歴史評論』、『歴史学研究』をぱらぱら見ながら処分しているが、それらの雑誌にも、健全な批判精神が横溢していることをみつける。私はよい時代に生きた、と思う。いろいろなことを自由に論じることができた時代、鋭い問題意識が生きていた時代、そういう時代はもうこないのだろうか。

 

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『朝日』記者の記事はだめだが、こういう人の文はすばらしい

2023-06-29 20:29:40 | メディア

「人権小国」日本を問い直す視座 意図的に作り出される無知とは

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