残念ながら、日本のメディアは、さまざまな「悪」に加担している。
ジャニーズ事務所に所属する多くのタレントに対して、そのトップであったジャニー喜多川により性暴力が繰り広げられていたことを、その被害者がみずからの体験を外国特派員協会で明らかにした。
芸能界にまったく関心を持たない私自身ですら、ジャニーズ事務所におけるその問題を知っていた。しかし、性暴力であるにもかかわらず、メディアは、『週刊文春』を除いてみて見ぬふりをしていた。今回、カウアン・オカモト氏が、みずからの被害体験を明らかにしたことから、やっと新聞は報じた。しかしテレビメディアは、NHKは数分報じたが、民放はまったく報じなかった。
報じなかったということは、ジャニーズ事務所における犯罪を黙認した、見逃したということである。ということは、テレビメディアは、ジャニーズ事務所の犯罪に加担しているということでもある。
本来、メディアは、「公共性」を旗印にして様々な特権を保持している。とりわけテレビメディアは、電波を独占しているのだ。
しかしながら、はたしてテレビメディアは「公共性」の原則にたっているのであろうか。最近問題になっている「放送法」には、その第一条には「放送を公共の福祉に適合するように」という原則が示され、さらに第四条には、「公安及び善良な風俗を害しないこと。」と謳われている。
ジャニーズ事務所における性暴力を報道しないことは、「善良な風俗を害」することにならないであろうか。
テレビメディアは、こうした「公共性」については無視し、いかにスポンサーから気に入られ、多くのカネを稼ぐことができるのか、それを基本にして運営されている。したがって、ジャニーズ事務所のように犯罪とつながっていても、それはそれ、とにかく稼げればよいという運営をし、また政治権力ににらまれるよりも協調した方がトクということから、批判精神をずっと前からかなぐり捨てている。ジャニーズ事務所を批判的に報道するよりも、忖度した方が経営的にプラスだと考えているのだろう。
先の統一地方選挙で、「維新」が躍進したといわれているが、躍進したところは関西のテレビが放映されているところだ。関西のテレビメディアは、「維新」と結託し、「吉本」と提携する方がカネが入るし、視聴者を喜ばせることができると踏んで、彼らをヨイショするだけではなく、頻繁にテレビに出演させ、「維新」の政治家を「有名人」に仕立てているのだ。
IRといい、コロナでの死者がもっとも多い・・・という大阪の負の問題はとりあげず、「維新」をヨイショし続けるテレビメディア。
これでも、テレビメディアを見続けますか、と私は問いたい。