しばらく留守にしていた。パソコンを持参しているので、その間、Amazon primeで見られる「ぽつんと一軒家」をずっと続けて見ていた。時間があれば、本を読むよりこの番組を見ていた。
効率が至上価値となっている現代社会で、不便な山の中、それも周囲に人が住んでいないようなところに住んでいる人々。テレビ局が、そういう人びとを突然訪問して撮影し編集する。
一度見たらやめられなくなった。
というのも、そこに住む人びとには、そういうところに住む哲学があったり、あるいは家族の歴史があったり、教えられ、考えさせられることが多いからだ。
なぜあえて辺鄙なところに住むか。そこには必ず深い理由があり、その理由が効率優先の社会に生きる私たちに考える契機を与える。
こういう社会になる前、山の中にもふつうの生活があった。山の中であろうと、平地であろうと、人びとの生活はあまり変わらなかった。しかし高度経済成長政策により大きな変化が、とりわけ山の中に引き起こされた。現金収入がないと生きていけなくなったのだ。多くの人々は、山を降りていった。
しかし降りていかなかった人びともいた。その理由が、私には理解できる。家族が長い間暮らした時空の「現場」を捨てられない人びとがいたし、今もいる。
私も今は実家を離れて生活しているが、実家には無数の思い出が刻印されている。兄弟も子どもたちもいなくなっている家だが、私はほとんど毎日行っている。窓を開け、草をとり、植木を刈り込み、近所の人びとと会話し・・・・この家をなくしたくないと考えている私を見つめる。
この家には、毎年夏、それぞれが家族を連れて集まる。今はばらばらに住んでいるが、この場所に共通の思い出を持つ、
最近、「現場」というか場所は、単なる場所ではなく、そこに蓄積された時間や空間が存在するところであるという気持ちが強くなっている。年齢を重ねたせいかもしれないが・・・
この番組を見る前から、そういう気持ちを持っていたが、この番組によってより強くなってきた。この番組で取りあげられる人びとは、蓄積された時間や空間を、自分の代で切断させたくない、継続させたいという暗黙の情念がある。
そういう暗黙の情念が、歴史を支えてきたのではないかと思う。
それぞれの場所に蓄積された歴史の時空から人びとを切り離し、「個」ではなく「孤」に分解する政策が進められている。根を失った人びとは、流浪の民となるしかない。その民を資本が「物」として金もうけの手段とする。
終末期、それをテレビ番組が記録しているように思える。
効率が至上価値となっている現代社会で、不便な山の中、それも周囲に人が住んでいないようなところに住んでいる人々。テレビ局が、そういう人びとを突然訪問して撮影し編集する。
一度見たらやめられなくなった。
というのも、そこに住む人びとには、そういうところに住む哲学があったり、あるいは家族の歴史があったり、教えられ、考えさせられることが多いからだ。
なぜあえて辺鄙なところに住むか。そこには必ず深い理由があり、その理由が効率優先の社会に生きる私たちに考える契機を与える。
こういう社会になる前、山の中にもふつうの生活があった。山の中であろうと、平地であろうと、人びとの生活はあまり変わらなかった。しかし高度経済成長政策により大きな変化が、とりわけ山の中に引き起こされた。現金収入がないと生きていけなくなったのだ。多くの人々は、山を降りていった。
しかし降りていかなかった人びともいた。その理由が、私には理解できる。家族が長い間暮らした時空の「現場」を捨てられない人びとがいたし、今もいる。
私も今は実家を離れて生活しているが、実家には無数の思い出が刻印されている。兄弟も子どもたちもいなくなっている家だが、私はほとんど毎日行っている。窓を開け、草をとり、植木を刈り込み、近所の人びとと会話し・・・・この家をなくしたくないと考えている私を見つめる。
この家には、毎年夏、それぞれが家族を連れて集まる。今はばらばらに住んでいるが、この場所に共通の思い出を持つ、
最近、「現場」というか場所は、単なる場所ではなく、そこに蓄積された時間や空間が存在するところであるという気持ちが強くなっている。年齢を重ねたせいかもしれないが・・・
この番組を見る前から、そういう気持ちを持っていたが、この番組によってより強くなってきた。この番組で取りあげられる人びとは、蓄積された時間や空間を、自分の代で切断させたくない、継続させたいという暗黙の情念がある。
そういう暗黙の情念が、歴史を支えてきたのではないかと思う。
それぞれの場所に蓄積された歴史の時空から人びとを切り離し、「個」ではなく「孤」に分解する政策が進められている。根を失った人びとは、流浪の民となるしかない。その民を資本が「物」として金もうけの手段とする。
終末期、それをテレビ番組が記録しているように思える。