浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2020-08-14 22:36:56 | 芥川
 貧しさは、その真っ只中でなくなった女を、天国に行かせなかった。

 悲しい話だ。「六の宮の姫君」は、父母と静かな日々を送っていた。しかしそのうち、父が亡くなり、次いで母も亡くなった。

 そうなると、姫君の生活は、貧に向かっていく。そこで働いていた人はひとり、また一人と去って行き、ただ一人乳母だけが残った。

 乳母は、あるとき、丹波の前司なにがしが会いたいと言ってきていると告げた。姫君はこのまま静かな日々を過ごしたかったが、彼を受けいれた。彼は姫君の美しさの前に、穏やかな日々を過ごしていた。その間、姫君の暮らし向きも良くなっていった。
 しかし、彼の父が陸奥の守に任じられ、父とともに陸奥へ下ることになった。彼は、5年経ったら戻ってくると言い置いて旅だった。しかし5年経っても、彼は帰ってこなかった。彼は常陸で妻を得ていた。

 姫君の住まいは朽ち果て、誰も住めないようになり、姫君と乳母はそこから消えた。

 彼は九年目に都へ帰った。すぐに姫君のもとへ行ったが、そこには姫君はいなかった。彼はさがした。さがした。すると、朱雀門の前の曲殿の窓の内側に、一人の尼が破れた筵をまとった女がいた。姫君であった。男が声をかけると、姫君は死出の旅路に立とうとしているところだった。尼は近くに居た法師に読経を求めた。法師は「阿弥陀仏の御名をお唱えなされ」と語りかけたが、眼に見えるもの、そして何も見えないことなどを口に出しながらこの世を去って行った。

 その後、朱雀門付近に、女の泣き声が聞こえるという噂が立った。一人の侍がその声を聞いた。法師はこう語った。

 あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ。

 「六の宮の姫君」は、あの世にもいけず、現世の空間を漂っている、というわけだ。

 極貧に生きざるを得なくなった女は、成仏もできないということか。何とも悲しい話だ。よくもまあ、こういう話をつくるものだ。豊かな想像力が、貧しいひとりの女の話を創造したのだ。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕顔と暑さ

2020-08-14 19:20:39 | その他
 毎年夕顔をフェンスにはわせている。夜、月の光に映える大きく白い花弁はとても高貴でもあり、また寂しさもあわせもつ。

 今年もたくさんの苗をつくり、多くの人々に苗をあげたが、たくさん咲いているというような通信があるととても嬉しい。

 さて今日は猛暑で、家の中が35度を超えていた。私自身は家にいるあいだずっとエアコンを稼働させていたが、戸外は太陽の光線も強く、また風も熱風であった。

 だからか、今夕顔を見に行ったが、まだ咲いていない。咲き始めたというところか。暗くなる少し前から咲きはじめるというのが毎年のこと。猛暑は、夕顔の顔を閉ざしてしまうのだろうか。実際咲かないままに朽ちてしまった花弁が見られる。

 夕顔という花のイメージは、『源氏物語』の夕顔という女性のイメージである。繊細で控えめ、そっと生きているという感じか。花弁に顔を近づけると、淡い甘い香り。

 猛暑と夕顔とはまったくあわない。この猛暑、去って欲しい。

 【追記】20時頃見に行ったが、開きかけたところで止まっている。暑いからかも知れないと思い、如露で全体に水をかけてあげた。21時頃行っても、同じ状態。今日浜松は39度。猛暑に夕顔も耐えられないのだろう。
 明日は夕方水を撒いてあげようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い人も警戒を!

2020-08-14 14:41:02 | コロナ

若い世代 “入院後の重症化 大人と同程度” 米CDC
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今ごろ・・・?

2020-08-14 14:36:41 | コロナ


PCR検査拡充へ大学保有の機器活用 文科省 新型コロナ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑誌を読む

2020-08-14 14:10:55 | メディア
 私は幾つかの雑誌を購読している。そのひとつ、今月号の『Journalism』8月号の特集「8月ジャーナリズム」の論考はよかった。いろいろ教えられた。

 ノンフィクションライターの石戸諭さんの百田尚樹現象、黒崎正己さんの桐生悠々、佐々木亮さんの朝日新聞地方版での「ナガサキノート」の連載、大矢英代さんの沖縄戦、読んでいてとても刺激を受けた。メディアのなかでも頑張っている人々がいることに力強さを感じた。

 もう一つ、『世界』9月号。まだあまり読んではいないが、いつも真っ先に読む「メディア時評」は今回も鋭い指摘を行っている。

 そのなかに、メディア関係者が「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」を発し、それにたくさんの記者が賛同している。提言は、賛同できる内容で、こういうことが実現したら、メディアへの信頼もまた回復するだろうと思う。

 しかしその賛同者の数が先ず少ないことが気になる。メディア関係者はたくさんいるはずなのに・・・・もうひとつ、女性記者が多いことだ。肩書きに「朝日新聞記者」としているのはほとんど女性である。

 これはよくわかることだ。私も在職中感じていたことだが、男性というのはどういうことを主張していても、どこかに権力とつながる筋というか道を持っていた。
 私は闘う労働組合に属していたから、権力とはつながりようもなく、また権力から「よくしてもらった」経験もない。
 私などの主張に同調する人々もいたが、彼等は絶対に組合には入らなかった。「出世」という管理職への登用を目指していたのかどうかは知らないが、権力者に「よくみられたい」という態度はつねにあった。権力者との間に、非敵対的でも敵対的でも、矛盾をつくらなかった。
 しかし女性は、明確に「出世」志向の人を除き、あんがい自由に行動していたような気がする。

 日本は、「男女平等」ということばをつかえばすむのに、「男女共同参画」というわけのわからないことばをつかい、管理職に女性を積極的に登用していくとか言うが、そんなことはなく、やはり男性が管理職になっていく。そういうことがわかっているから、女性は権力におもねる必要もない。

 男性という者は、他の人よりも優位に立ちたいという欲望がある。聞きたくもない自慢話をするのは、男性がほとんどだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介の戦争観

2020-08-14 11:57:53 | 芥川
 芥川龍之介(1892~1927)は、1916 年東京帝国大学英文科を卒業後、同年12 月、横須賀にあった海軍機関学校の嘱託の教官(英語)となった。芥川は1919 年3月まで同校に在任した。海軍機関学校は、「海軍機関官ト為スヘキ生徒ヲ教育シ海軍機関官ニ必要ノ学術ヲ教授シ及海軍特習兵タルヘキ海軍下士卒ニ機関術其ノ他ノ技術工芸ヲ教授シ且其ノ改良ヲ図ル所トス」(1914 年海軍機関学校令)とあるように、軍艦の機関の運転、ボイラーおよび電気機械の取扱いなどに当たる将校などを養成するところであった。海軍機関学校は、1881 年海軍兵学校機関科が分離独立して横須賀に設立されたが1887 年海軍兵学校へ合併、1893 年再び独立し、1925 年に舞鶴に移転し、1944 年海軍兵学校舞鶴分校となった(『日本陸海軍総合事典』)。

 芥川の英語を受講した第28 期の篠崎礒次がその思い出を語っている。その一つは機関学校『五十六期々会々報』第26 号(1927 年2月)、もう一つは諏訪三郎に語ったもの(「敗戦教官芥川龍之介」、初出は『中央公論』1952 年3月、『芥川追想』岩波文庫、2017 年に所収)である。後者について紹介したい。

 「敗戦教官芥川龍之介」は、諏訪三郎が篠崎から聞いたことをまとめたものである。芥川は教材として生徒の士気を鼓舞するものではなく、敗戦の物語や衰亡の歴史を使っていた。そのため「敗戦教官」といわれていたそうだ。芥川は、「君達は、勝つことばかり教わって、敗けることを少しも教わらない。ここに日本軍の在り方の大きな欠陥がある。むろん、敗けてはならない。しかし勝つためには、敗けることも考えるべきだ。さらにいうが、戦争というものは、勝った国も敗けた国も、末路においては同じ結果である。多くの国民が悲惨な苦悩をなめさせられる。」と語った。また第一次世界大戦中だったことから「いまごろ、ヨーロッパでは、ばかなことをしているだろうな」と語ったとき、生徒から「どうしてばかなことですか?」と問われた芥川は、「君には、それがわからんのか?人殺しをやってることがばからしいことなのだよ」と答えた。
 教官は芥川を除き短髪にしていたが、芥川は長髪で通したそうだ。

 あるとき生徒が「小説は人生にとって必要ですか?」と問うた。それに対し芥川は、「それなら君にきくが、小説と戦争とどっちが人生にとって必要です?」と問い、こう答えたそうだ。「戦争が人生にとって必要だと思うなら、これほど愚劣な人生観はない」。

 21 世紀に入って20 年、芥川の戦争観はいまだコモンセンスとなっていない。それどころか、昨今の情況を見ると、「愚劣な人生観」を持つ者が増えているような気がする。篠崎は、こうした芥川のことばを心に深く刻んで海軍軍人として生き、そして芥川の姿を伝えてきたのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】ヒロ・マスダ『日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー』光文社新書

2020-08-14 09:40:32 | 政治
 鳴り物入りで始められたクールジャパン。しかしそれは今や何も報じられない。ここにも、経産官僚の暴走とみずからへの利益誘導がある。

 この本の副題は、「経産官僚の暴走と歪められる公文書管理」である。要するにクールジャパン事業で経産省が「暴走」し、それに疑問を持った著者が公文書の開示を求めても、近年の公文書開示の状況と同様に隠蔽体質が如実に示されているというのである。

 実はこの本は図書館から借りてきて、半分ほど読んだのだが、すでに返却期限が来ていて、今日返さなければならない。仕事が立て込んでいて、今の処この続きを読む時間がないので、返却する。

 しかし、経産省が持続化給付金の事業で、トンネル会社をつかって電通に大儲けをさせているということが明らかにされたが、クールジャパン事業も全く同様なことがなされているのだ。

 クールジャパン事業を通して映画産業が本当に活気づくように、多額な国家予算がつぎ込まれるというのがこの事業なのだが、しかし実際は日本の映画産業にはいかず、たとえばアメリカの企業に多額のカネが振り込まれたり、日本の映画産業を興隆させるためにはつかわれていない。

 とりわけ、映画制作の現場で忙しく、低賃金・長時間の労働をしている人々には、まったくビタ一文もそのカネは流されない。

 それどころか、日本政府はそれを売り物にしているのだ。海外の映画製作者に対して、日本でのロケを誘致することについて、「外国とは違い、日本で撮影を行う場合、日本のクルーは週末、深夜、長時間労働に対応が可能、日本のクルーには残業代がかからない、エキストラを無償で用意することができる」と宣伝しているのだ。

 ヒドイ話しだ。日本国家が、どのような政策を展開しても、どう国家財政をつかおうとしても、利権につながらない限り何もしない、マイナスのことしかしないということだ。

 韓国の映画やドラマが、韓国だけではなく、日本でも、それ以外の国々でもたいへんな賞賛を浴びている。それは韓国政府が、映画産業を、韓国を元気にさせ、韓国を世界に知らせ、また外貨を獲得する重要な手段として重要視し、映画産業に従事する末端の人にまで国家のカネが行き渡るようにしているためである。

 この本を読んで、日本政府、とりわけ経産省の思いつき的な事業に多額の予算を投入し、担当する官僚にはその分野にほとんど知識を持たないが故に、いいようにカネをつかわれ、また足りなくなると次々と国家予算が投入されるという実態を知った。

 昔、日本の官僚は優秀だと言われたが、現在の官僚は腐っている、腐臭を放っている。そういう輩が、安倍晋三=自民党・公明党政権に協力しているのである。
 日本国全体が腐臭にまみれていることに、日本国民は気づかなければならない。

 本書はもっと読まれるべきである。著者ははじめてこういう本を書いたという。しかし、きわめて緻密で論理的で、みずからのヒドイ体験をきちんと検証しようとした、素晴らしい内容の本である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする