浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

金石範のことば

2022-10-18 22:08:14 | 日記

 本を捨て続けている。これは「雑紙」として、これはブックオフ・・・というように。

 その時々の政治の動向を書いた本は、すべて「雑紙」である。しかし文学作品は、そうはならない。

 文学作品は、フィクションではあるが、一定の「事実」を書く。なかには現実と接点のない「事実」もあるが、しかし多くはその時々の現実と接点をもちながら描かれる。その「事実」が、現実をはるかに凌駕するほど現実に肉迫する場合もある。

 金石範の『火山島』はフィクションなのか、と思う。済州島4・3事件を描いた『火山島』。

 『世界』11月号の金石範の文に、「政治的であっても、政治を超えた文学、芸術の絶対性はついには政治を支配するものだ。政治は歴史の信仰とともに抜け殻となる。芸術は永遠である。」があった。文学は、「事実」をもって現実を変える力がある。

 だから捨てられない。

 

 

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ことばの重さ

2022-10-18 08:40:29 | 読書

 講談社文芸文庫の『故郷と異郷の幻影』を読む。読み終えたら私の元を去る本である。

 木山捷平の「ダイヤの指環」は、日本の敗戦直後に「満洲」に生きたことを回顧する。国家の後ろ盾など支えるものが消えた状況の下では、ひとりの人間として生きていくしかない。ただの人間同士の交流を振り返る。

 辻邦生の「旅の終り」。辻邦生の作品は読んだことがない。この小品を読んで、このひとの作品は読まなくてもよかった、と思った。少しも心が動かされることはなかった。

 石牟礼道子の「五月」。重い、重い作品である。強いられた水俣病、それに苦しめられる患者たち。肉体の苦しみを描く場面は重く迫ってくる。反面、ふつうに生活できていた時期の回想は、軽やかに語られる。重く、また軽やかに、それが交互にやってくる。

 「安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる。」

 綴られたことばが、ことばなのに重い。重いことばは、しかし創造的なのだ。

 『世界』に金石範の「夢の沈んだ底の『火山島』」が掲載されている。これにも、私は支えられない重さを感じた。

 重いことばの背後にぴったりと人びとの生死がくっついているからだ。

「記憶を喪失した人間は人間ではない。」「眼は開いていて見えない。耳は眼の横についていて聞こえない。口があっても話せない。」「ことばが、軀のなかから離れない。ことばが離れようとしても恐ろしい苦痛で、ことばが軀から取れない。出てこない。」「忘却に歴史はない。」

「記憶の殺戮と記憶の自殺両方を背負って、限りなく死に近く沈んでいた忘却からの蘇生。それが歴史に対する意志であり、完全に死に至っていなかった記憶の勝利だ。生き残った者たちによる忘却からの脱出、暗闇の底から一人、二人と語り始めた証言が、氷河に閉じこめられていた死者の声をよみがえらせる。はじめの一歩だが、その記憶の勝利は歴史と人間の再生と解放を意味するだろう・・・」

ことばが新たな意味を持って創造されていく。文学の有効性は、こうしたことばの創造をおこなうことにより、実証されていく。

私がやってきた歴史叙述の力のなさよ。

 

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ロシアという国

2022-10-18 07:29:18 | 国際

 ずっと前に買ったチェーホフ全集を少しずつ読みはじめているが、一方に諧謔があり、他方に明白な不平等社会が描かれる。かつてのロシア文学は、抑圧下の精神の苦悩と自由を求める意志、そして何が善であるのかを描いていた。ロシア帝国の時代の話である。

 ロシア革命は、不平等社会を破壊したはずなのに、担い手を変えた新たな不平等を生みだした。共産党員を中心としたノーメンクラトゥーラという支配階級は、無数の特権をもち、民衆に対して抑圧的に、民衆の生命を意に介することなく収容所に送り込んでいた。

 1991年のソ連邦の崩壊は、ノーメンクラトゥーラの一部を壊したが、しかしノーメンクラトゥーラとつながる新興財閥をはじめとした新たな支配階級が権力と富とを独占するようになった。

 ソ連邦は大国であった。収容所送りになるかもしれないという恐怖を抱きながらも、庶民は物不足に苦しみながらも「大国意識」をもち、プライドをもって、そのなかで生きていた。

 その影響は今も続く。今も続く貧しい生活、それであっても、だからこそ自らが「大国」の国民であるというささやかな自信。

 プーチンに隷属するロシア国家の重鎮たちは、プーチンに言われるままに、過去に実在したロシア帝国やソ連邦の復活を夢みる。貧しい生活を強いられる庶民も、同じ夢を見たいと願う。

 しかし、同じ夢であっても、「同床異夢」ならぬ「異床同夢」である。「床」は「床」でも、ほんものの「床」である。ロシアの動員兵は、「床」で寝る。

 ロシアという国家は、権力の変遷はあったが、歴史的に同じ状況が続く。庶民は貧しく、である。

 国家に動員された兵士たちも、である。

【映像】「靴も、お金も、マットレスも盗まれた」ロシア軍キャンプの絶望的な様相

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