『選択』10月号に、「ウクライナ「過激民族主義」の危うさ」という記事がある。
「過激民族主義」が論じられるようになったのは、2014年である。『現代思想』も、2014年に「ロシア 帝政からロシア崩壊、そしてウクライナ危機の向こう側」という特集をした。
2014年の頃、親欧米派が激しい抗議活動を行い、親露派のヤヌコヴィッチ政権が崩壊した。そしてロシアは、クリミアや東部ウクライナに軍事介入をした。
その抗議活動で中心となったのは、ウクライナの「過激民族主義」者たちだ。ウクライナの戦闘部隊である「アゾフ大隊」も、この頃発足した。
しかしここで注意しなければならないのは、だからといってウクライナ全体を「過激民族主義」で染め上げることをすべきではない。
『選択』の記事に、こうある。
「ウクライナにおける極右の政治的影響力は限定的で、国全体がネオナチの影響下にあるように喧伝し、侵略を正当化するロシアの主張は荒唐無稽だ。とはいえ、アゾフ大隊ら民族主義者に潜む過激主義の危険性を矮小化する「ご都合主義」にも違和感を禁じ得ない」
同感である。論者のなかには、ウクライナのロシアへの激しい抵抗を、「過激民族主義」者、「右派セクター」が主体であるとする者もいる。しかし私はそうは思えない。2月からのロシアの侵攻は、軍事施設だけを攻撃するのではなく、住民の住居、スーパーなどの生活の場、学校や病院などもその対象となった。また攻撃のエリアも、ウクライナ東部だけではなかった。
その結果、多くの人的・物的被害が生じたことは、私たちが報道で見ることが可能な光景である。そのような攻撃に対して、ウクライナの人びとが強い怒りをもって激しく抵抗することを、私は理解できる。ちょうど、日本軍の侵略により、中国の人びとが激しい抵抗を繰り広げたように、である。
抵抗する人びとのなかに、もちろん「過激民族主義」者はいるだろう。ロシアの侵攻は、ウクライナの人びとを反ロシアに導き、彼ら「過激民族主義」の勢力を強化したはずである。もう、ウクライナとロシアは、長期間敵対関係が続く国家関係となった。それをつくりだしたのは、ロシアである。
ウクライナの人びとはロシアの侵攻に対して、強い怒りを持ち、強靭な戦意を持って抵抗している。しかし、ロシア軍の兵士は、どれほどの戦意をもっているのだろうか、なぜ戦うのかを教えられているのだろうか、また戦闘の目的をきっちり認識しているのだろうか。
戦闘において、個々の兵士や住民がもつ戦意は、重要な戦力のひとつである。それは日中戦争でも明らかである。私は日本軍兵士が友人に送った手紙の中に、日中戦争下の中国人の激しい抵抗精神、戦意を教えられたことがある。日本軍の進軍を遅らせるために、ここまでやるのかというそういう事実。侵略された側の人びとの抵抗精神や戦意は、自然に醸成されるのだ。
ロシアとの戦争が終わったときに、ウクライナの「右派セクター」は、問題化されるだろうが、その際、旧ソ連圏内にあった東欧地域に、そうした動きが多発していることに留意しなければならない。なぜそうなのか(日本でも右派的な動きが広まっているように、アメリカでもトランプ支持者が増えているように、それは世界的な潮流ではある)。
スターリンのことばとして、「一人の人間の死は悲劇だが、100万人の死はもはや統計である」が伝えられている。
ロシア国内で、多くの男性が召集され、満足な訓練も受けずに戦地に派遣されているということが報じられている。ロシアの施策の背後に、このスターリンのことばが生きていることを感じる。
プーチン政権の施策は、ソ連という国家の歴史の頃から検討されなければならない。
現在の統一教会と政治の問題を考えるに際して、これほど参考になるものはない。鈴木エイトさんが、長い間、しつこく丁寧に取材されたことがたいへんよくわかる。現在のメディアの報道において、彼の長年の取材がなければここまで詳しく報じられることはなかっただろう。
しかし読んでいて、恐ろしくなった。ここまで統一教会と自民党が密着していること、それも統一教会がわの「国家復帰」(統一教会の教義を国家の宗教とする)という教義があり、教会側はそれを実現すべく政治家に接触していること、である。政治家や政治権力を掌握する者を、韓鶴子に侍らせようとしているのである。
統一教会が清和会(安倍派)の政治家に働きかけ、「国家復帰」の実現に向けて着々と影響を強めていたことが、本書で明らかになる。
そして自民党の議員たちが、日頃は反韓を声高に主張しているが、統一教会のトップ韓鶴子が、日本の植民地支配に対して憤りをもち、信者にその謝罪を求めているのに(朝鮮植民地支配の研究をしてきた私としては、謝罪は当然のことと考えている)、それを知ってか知らずか、ベッタリとくっついているという不可思議な姿に、私はあきれてしまう。
自民党が常日頃主張していることのいい加減さ、無責任さが、にじみ出てくるというものだ。
統一教会と自民党の国会議員がくっついている状態を、エイトさんは克明に取材し、取材したあとは確認をとるということをしているが、多くの議員やその秘書は無回答。
本書は、すでに5万部を突破しているようだ。もっともっと売れて、多くの人が読むことが重要だ。日本の政界が、これほどまでに統一教会に汚染されていることがはっきりと示される。
今後の政治との関わりは、統一教会の動きを意識して行われなければならない。
日本政府は、まさに宗教政権である。統一教会と創価学会による宗教政治。おかしい!と思わなくてはならない。