浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

国会の質問、山添拓が切れ味鋭い!

2022-10-23 21:00:03 | 政治

切れぬ癒着 統一協会接点 党として調査せよ

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ウクライナ侵攻のこと(続)

2022-10-23 07:52:55 | 国際

 nationとしての「国」が軍事攻撃された場合、そこに住む人々が武力抵抗することは理解できることだ。

 第二次大戦中、アメリカの植民地であったフィリピン(独立が約束されていた)に日本軍が上陸したあと、日本軍の蛮行に対してフィリピンの人びとは武力をもったゲリラ的な戦いで日本軍を苦しめた。

 先に指摘した日中戦争では、中国の人びとが日本軍に激しく抵抗した。私が発見した軍事郵便の中に、こういうものがあった。日本軍が行軍する道路を、中国の人びとが短期間のうちに膨大な土砂で塞ぎ、日本軍の行軍を阻止しようとしたのである。その軍事郵便には、図まで添えてあった。私はそれをみたとき、中国の人びとの激しい抵抗精神を発見した。

 人びとが住む家屋、学校、病院・・・・・生活をしている場、生活に必須なものが破壊され、人びとが殺されるとき、黙って侵略軍に降伏するのが正しいのだろうか。降伏するという選択も、私は排除しない。どうするのかは、その地の人びとが判断することなのだ。

 ロシアによるウクライナ侵略においては、ウクライナに降伏を勧めることは、すなわちロシアの言うことを聞きなさい、ということになる。日本など他国の人びとがそう諭そうとすることを、はたしてウクライナの人びとはどう捉えるだろうか。

 ウクライナの戦争が、米露の「代理戦争」とよばれることがある。ウクライナは、アメリカやNATO諸国の命令のままに抗戦しているのだろうか。ウクライナの人びとは、アメリカなどの指令に基づいてロシア軍と戦っているのだろうか。私はそうは思わない。そのことばは、ウクライナの人びとは主体性をもっていない、ということを意味する。nationとしての「国」が他国に破壊されるとき、それに対して人びとが憤激し侵攻してくる軍隊に抵抗する、それは間違いだと言えるだろうか。

 侵攻しているロシア軍の戦意と、ウクライナの人びとの戦意、戦意を支えるのは正当性である。前者に戦意がないのは、正当性を持たないからだ。プーチンによる動員がかかったとき、多くのロシア人が国境を超えたことに、それが現れている。後者にはみずからのnationとしての「国」を守るという正当性がある。

 私には、ロシアを擁護する気持ちはない。プーチン政権後に国内外で行われた様々な謀略事件、軍事侵攻をみれば、である。stateとしてのロシア国家は、決して平和的な・民主的なものではない。それは、ソ連時代でも、さらにさかのぼってロシア帝国時代でも、である。だからといって、nationとしての「ロシア」を嫌うわけではない、何度も記すが、ロシア文学、ロシア音楽は、私にとって大切なものだ。

 ロシアのウクライナ侵攻を正当であると考える人々は、東部ウクライナの問題を挙げる。侵攻前、東部ウクライナで、どのようなことが起きていたのか、私は知らない。彼らのいうように、もしそこでのウクライナ側の攻撃を止めるための行動ということなら、ウクライナの軍事施設のみに対する攻撃など限定的であったはずだ。そうではなかった。

 プーチン政権は、旧ソ連構成国のなかで、政権のいうことをきかない国に対して、ウクライナと同じことをした過去がある。ウクライナ侵攻も、そうした線上にあると、私は思っている。

 

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