釜山の町を一人で歩いているとき、何度も地元の人から道を聞かれた。日本語で「ゴメンナサイ」といいながら、ぼくはコリアンに間違えられるほどの人なんだと思った。きっとぼくの先祖は朝鮮半島から渡ってきた渡来人なのだろう。
ぼくには子どもの頃からの在日コリアンの友人がいる。でも彼はみずからが在日コリアンであることを明かしたことはない。しかしみんなそれを知っている。彼がそれを明かさないことが、日本と朝鮮半島の歴史を象徴している。
ぼくは、在日コリアンや朝鮮人女子勤労挺身隊のこと、「強制連行」に関わる文をたくさん書いてきた。日朝関係の歴史は、ぼくの専門分野でもある。だから韓国や朝鮮への偏見はまったくない。
はじめて韓国に行ったとき、金浦空港からソウルにむかう車の中で、ハングルばかりの文字に圧倒された記憶がある。韓国語を話せないまま、小学生の長女を連れて韓国の一部をまわった。そのとき、おおくの韓国の方々にお世話になった。天安に向かうバスがわからなかったとき、そのバスを教えてくれた大学生。彼らも天安の大学に通っているとのこと、ほんとは天安のインターでおりなければならなかったのに、ぼくらが独立紀念館に行くことを知って、わざわざバスターミナルまで行ってくれた。そして紀念館行きのバスを教えてくれたばかりか、運転手さんに伝言までしてくれた。見ず知らずの旅行者にそこまでしてくれたことを、今も鮮明に覚えている。カムサハムニダ、である。
さてこの本を読むのは二度目である。詩人の茨木さんはハングルを学ぶ。あなたも学びなさいよという気持ちでこの本を書かれたのだという。日本の歴史と密接な関係を持ち続けた国のことば、隣国である。在日コリアンもたくさんいる。素直に、隣国のことばや人びとと接することは当たり前のことだ。
韓国(人)に対して罵詈雑言を吐く人びとの心根はいったいどうなっているのだろうかと思う。
茨木さんは熱心にハングルを学ぶ、その成果が各所に記されている。韓国を旅して、そこで触れた風景や人びととの交流も記す。まったく自然体で、韓国を味わっている。いい文章だ。
私は、そのなかでも、浅川巧、尹東柱について書いた文が好きだ。浅川の墓はソウル近郊の山の中にあるという。自然体で、韓国の風土、文化、人びとと接した浅川。そして日本で若くして殺された尹の詩と共に、尹の弟との交流なども書かれている。
韓国に関わるヘイトスピーチ、ヘイトクライムに心を痛めながら、何故に一部の日本人は韓国(人)に憎悪を示すのだろうか。
尹の詩に、弟との問答がある。
「大きくなったらなんになる」/「人になるの」
「人になる」っていいことばだ。みんなが「人になる」ことができれば、この世は住みやすくなるのに、そうでない輩がたくさんいる。
尹の詩には、若さ故の感受性の豊かさと奥深い思索がある。それを圧殺したのが日本の官憲であった。
韓流の映画やドラマなど韓国の文化が若者に絶大なる人気を得ている。とてもよいことだ。
この本も是非読んで欲しいと思う。心優しくなるはずだ。