今日は全国的に高校の卒業式が行われた。
私が高校生の頃は、日の丸や君が代斉唱もなく、また来賓の祝辞もほとんどなくあっという間に終わった。もちろん生徒の送辞、卒業生の答辞はあった。私は答辞作成委員となって、K君が読む答辞の内容をみんなで考えて作成した記憶がある。詳しい内容は忘れたが、政治のこと、社会のこと、学校教育のことなどを厳しく批判したものであった。
1980年代半ばだったか、県教委の強い指導により、日の丸、君が代が導入され、どこの高校も、戦前の儀式と同様な「厳粛な」ものに変えられていった。またこのころから、話をする管理職が、壇上に登る際に舞台正面に向けて何もなくても頭を下げるようになった。まだこのころは、東京など大都市の卒業式は、まだ日の丸・君が代がなかったように思う。東京でそれらが強制されるようになったのは、石原慎太郎が都知事になってからだ。
文科省官僚の脳髄には、戦前の天皇制教育の記憶がきちんと伝えられていたのだろう。現在はどこの学校でも、ワンパターンの卒業式が行われるようになった。
[追記]そして卒業式は、「卒業証書授与式」という名に統一された。「授与」することが目的だというのである。そこには、タテ関係を墨守する意味が込められている。
ところが、YouTubeチャンネルの北海道のニュースで、札幌南高校の卒業式が映し出されていた。ここは道内でも有数の進学校で、文藝賞を獲得しながらも朝日新聞に入社した故・外岡秀俊が卒業したところでもある。
その卒業式にも日の丸・君が代が押し付けられてはいるだろうが、しかし卒業生の自由なパフォーマンスが行われている姿を見て、私は快哉を叫んだ。
こうでなければならない、教育は!!