浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

笛吹けど踊らず

2023-03-10 18:40:10 | メディア

 昨日、Choose Life Projectの動画を紹介した。長時間だから見ていない方もいると思うが、要するに小西洋之参議院議員は、第二次安倍政権時代に放送法の解釈が、一つの番組が公平でなかったら、それだけで国家権力は電波の使用を停止できるというものに変更された、その変更は首相補佐官礒崎某の暴力的な恫喝でなされたこと、小西議員が公表した行政文書にその顛末が書かれていること、小西議員は変更された有権的解釈をもとにもどすこと、すなわち一つの番組ではなく、その放送局全体の放送内容から公平性を判断することへと戻したいこと、そのためには国民だけではなく、テレビや新聞もしっかりと報道してほしいこと、これがその動画で小西議員が主張したことだ。

 しかし今日、「日刊ゲンダイ」の政治評論家角谷浩一氏の話によると、この事態は、高市某つぶしのために行われていること、その背景には奈良県知事選を巡る暗闘、二階や世耕らとの権力争いがあること、テレビや新聞は、放送法の解釈をもとにもどそうなんて考えていないこと、が語られた。

 テレビをみればわかるけれども、すでにテレビは政治権力(統一教会党=自民党)に忠誠を誓うポチのようになっている。テレビにとって法解釈なんかどうでもよいのだ。現在のような、権力ににらまれない状態が心地よいのである。

 ということは、小西議員の放送法の有権的解釈を元に戻そうという意図は、テレビ局によって無視されているのだ。小西議員は、テレビや新聞が、この行政文書をもとに政府批判をはげしく展開することを期待していたが、しかしそれは無理であることが、角谷氏の話でわかった。

 権力のいうことをはいはいと素直に聞くほうが生きやすいのだ。権力に逆らってもトクはないと考えている人たち、すでに日本にはそういう人たちが75パーセントとなっているのである。テレビ局が、そうした国民意識に逆らって権力と対峙するわけがない。かくて、日本には、忠犬たちの声が充満している。

 

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政治家はそんなに偉いのか?!

2023-03-10 08:53:39 | 政治

 大人同士の話し合いでは、感情を高ぶらせることなく、冷静でなければならない。私の経験では、話し合いではなく、最初から激高していた大人はたったひとりだ。最近まで隣で畑を借りて耕していた自慢たらたらの男。磐田南高校から法政大学社会学部に入り、卒業後は民間企業に入り、おじさんが中小企業の社長をしていて・・・・という男で、農業用水の使用の問題で、怒鳴ってきた輩。彼はその前に、お前とは話はしない、と言っていたのに、急に怒鳴ってきて、私が彼の主張に沿って黙っていると、なぜ答えないと声を荒げた。彼の言動はふつうではないので、近所からは総スカンを食っている。

 しかし、そういう輩は、政治家にはあんがいいるようだ。

 放送法に関わって、第二次安倍政権下で法解釈が変更させられた経緯が記された総務省の行政文書が公開された。私も小西洋之議員のTwitterからPDFファイルをダウンロードして読んだが、法解釈の変更を総務省に働きかけたのが、当時補佐官であった礒崎某である。

 その文書には、礒崎某が「もともとご機嫌が悪かった」、「激高し」という文言がある。役人を前にして、みずからの「ご機嫌が悪」いことを露骨に示し、役人に「激高」するということだけでも、私には驚きであった。ふつうの大人はしないことだ。こういう態度は、ほんとうに少数のひとだけが行う。

 今までの生活の中で、そうした大人にあったのは、私の場合、上記の畑の一件だけである。

 役人は、そうした者を相手に、さらに高市某の暴言をも糊塗してあげなければならない立場にあるようで、政治の世界は魑魅魍魎が跋扈するところだと認識した。

 そういう輩によって、私たちの生活を左右する政治が行われているのだということを肝に銘じなければならないと思う。選挙民は、魑魅魍魎を国会に送っているのである。

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