ひろたまさきさんは、2020年6月17日に亡くなられた。ひろたさんとは、メールや手紙をやりとりしていたが、この頃は止んでいた。手紙は、ワープロで印刷したものもあったが、ほとんどは絵ハガキに、そこには小さな字がいっぱい書かれていた。端正な字であった。
ひろたさんが肺がんであることは聞いていたし、治療に励んでいたことも知っていた。そして長年に亘って研究していた竹久夢二を何とか完成させようとされていた。夢二に関する文章を何度かもらっていたし、私自身も夢二の絵が好きだったし、ちょうど某所での講座で何か話さなければならなかった時だったので、「竹久夢二ー~生の軌跡」をテーマに掲げた。2018年であった。
私が、夢二の足跡をたどって、夢二が亡くなった信州の高原日光療養所跡(現在はJAの病院になっている)にいったことを報告すると、ひろたさんは私も行きたかった、というハガキをもらったこともある。
夢二が書いたものをすべて集め、関連文献を渉猟してまとめたものを講座で発表し、私自身の夢二の見方をひろたさんに送ったこともある。
ひろたさんの夢二研究にかける情熱を知っていた私は、ひろたさんが亡くなられた報せをうけ、夢二研究はどうなるのだろうかと心配していた。ひろたさんは、亡くなられる前、もう八割は完成していると言っていた。
ひろたさんの夢二研究は、高木博志さんらの手で整理され、本になった。嬉しい限りである。ひろたさんも天国でさぞ喜ばれていることであろう。まさに「遺著」である。
ひろたさんには、私が書いたものも送っていた。送るたびにきちんと読んでくださって、何らかの批評をいただいた。それが楽しみで書き綴っていた。
しかし、ひろたさんが亡くなられてからは、書く意欲が私のなかから消えていった。私が教えを受け、親しくしていただいた方々が、次々と物故され、私だけが取り残されたような、そんな気がしている。
今日、恵贈されたこの本を、さっそく読もうと思う。ひろたさんとは、1997年頃からのつきあいであった。たくさんの本をいただいた。ひろたさんには、感謝しかない。