猪瀬直樹、この人都知事だった。東京都民はすごい人を選んだものだ。
この「世の為 人の為」は、戦前静岡県社会事業協会が発行していた機関誌の名称である。同協会は、被差別部落の人々や貧しい人々などに手を差し伸べていた。実際調べてみると、それらの行動は不十分であり、方向性がおかしいのではないかと思うこともしていた。しかしその行動は善意から出発している。そういう協会だけではなく、善意をもって良いことをしている人は多い。
私たちは、困っている人や戦争で苦しんでいる人、不治の病で苦しんでいる人などをみると、心が痛み、何か自分ができることはないだろうかと思う。そして自分自身ができることをしていく。これはずっと前から、人間社会のなかで行われてきたことだ。
ところが、現代社会では、善意でもってよいことを行っている人に対して揶揄したり、攻撃したりする人々がいる。
通常であったなら、ある人はそういうことをしている人びとになんらかの手助けをしていく、あるいは、そういう行動をしている人がいると知るだけの人がいるのかもしれない。少なくとも、善意でもって何かをしている人びとの行動を妨害する人は、いなかった。
しかし、今はいる。悲しい時代である。
本来ならば、困っている人びとを救うのは、政府自治体の責任であるはずだ。憲法25条など、日本国憲法は人権を保障し、その保障のために公的機関はなんらかのことをしなければならない責務を負っている。ところが、利権まみれの、民間企業の金もうけにひたすら協力している政府自治体は、やらない。
だから見るに見かねて行動する人びとがでてきた。しかしそういう人たちを攻撃する者が出現し、活発にうごめいている。
悲しい時代だ。