いよいよ本を整理しないと何もできないという状況となった。某所で歴史講座を引き受けているが、そのレジメを作る際に、必要な本のありかがわからない。今の私の部屋は、本棚はあるが、床に無数の本が積み重なって、どうしようもない状態である。
今までも、新しいテーマがでてくると、関連する文献を入手し、資料をコピーするなどしてきた。それが積み重なって、もうにっちもさっちもいかなくなっている。
そこで、本を整理することを決意し、まず雑誌の整理から始めた。
退職と同時に購読をやめた雑誌として『歴史学研究』がある。そのバックナンバーが実家の書棚に並んでいるが、まずそれを捨てようとしているのだが、なかには読んでしまうものもある。
今日読んだのは、1988年8月号の小松裕さんの「自由民権運動とは何であったのか」である。小松さんは、私より若いのにもう亡くなってしまった。広島の研究集会で一緒になったとき、江田島を一緒に訪問したことがある、それ以後も、田中正造に関わる書簡の研究などでお世話になった。
この「自由民権運動とは何であったのか」は、高知で開かれた第三回自由民権全国集会に参加しての批評である。いまさら驚くことではないが、高知では中江兆民や植木枝盛はあまり注目されていないという状況があることを知った。私にとっては、自由民権運動といえば、この二人を想起するほどであるのに、である。自由民権の思想家として、この二人を除外することは決してできない。
さて小松さんは、この集会での遠山茂樹さんの総括批評を紹介している。もちろんすでに遠山先生もいない。私は、遠山先生の、「歴史研究は現代的な課題を意識しながら行われなければならない」ということばに沿って歴史研究を行ってきた。私にとってもっとも影響を受けた人である。
遠山先生は、「この自由民権運動の時代というものは実におもしろい時代だと、民衆史あるいは地域史の観点から見て、こんなおもしろい時代はなかったのではなかろうか、というふうなことをやはり感ずるわけでございます。」と言って、次のように語ったようだ。
・・・今まで研究者の方もご指摘になっておいででしたけれども、こんなに人々が生き生きできて、その人々が、日本の人民が、様々な階級、様々な職業を持っている日本の人民が、これほどに各自の要求を持ち、そして自分自身が立ち上がって生きる、そういう生き生きと行動した時代は、他にはないのではないかと。20世紀に入って、これに匹敵するような時代が、いったいあったかどうかということになると、私はないのではないかと思います。こういう生き生きとした活動をした時代とはいったい何であろうかということを追求していくことが、やはりこれからも必要ではないか。
私は、民衆が生き生きと活動した時代は、いわゆる「大正デモクラシー」の時期、そして私たちが生きてきた「戦後民主主義」の時代も、質的には異なっているだろうけれども、あった、ということができると思う。人びとが、未来を信じて、自由に活発に動く時代。
私の某所での歴史講座のテーマは、「近代日本の転換点」である。「大正デモクラシー」が「戦時体制」に呑み込まれていく歴史をふりかえるとき、「大正デモクラシー」が消されていく契機とはなんであったのかを探ることである。そしてそれとパラレルに、「戦後民主主義」がまたまた「戦争の時代」へと呑み込まれていくその時期が、現在ではないのかという、現在を「現代日本の転換点」としてとらえようとする試みである。おそらくそこには共通点があるはずだというところから、私は話をまとめるつもりである。
自由民権運動の時代は、これからどのような国家社会ができあがるのか、その像が明確でないときに、民衆は様々に考え、動くことによって、彼らの未来像を描いていたのだろう。そしてその未来は、おそらく明るいものであった。だからこそ、民衆は、遠山先生が指摘するような時代をつくっていたのである。
もちろん、その後の歴史は、専制的な近代天皇制国家へと帰結したのだが、歴史というのは、民衆が躍動することによって、そして民衆の中に無数の未来像がつくられることで、発展していく。
そういう時代は、現在では想像すらできなくなっている。啄木が言う「時代閉塞」の状態が、今私たちを取り囲んでいる。
小松さんは、この文の末尾にこう書いている。私が属している研究会が忘れ去っていること、わが研究会も「歴史運動」として組織されたはずなのだ。
歴史学が変革をまざす学問でありつづけようとするかぎり、国民の歴史意識の変革にいかに寄与するかという問題は、すべての研究者が避けて通れない問題であり、その方途は多々あるにせよ、「歴史運動」というスタイルが最も新しくかつ有効であることを自由民権百年運動は教えている。だが、一口に地域住民の歴史意識の変革といっても、その困難さは想像を絶する。歴史を学ぶことが歴史意識の変革につながらない、地域をかえてゆこうとする運動にならないのが現実であることは、身近な存在である大学生を例に出すまでもなく明白である。しかし、その困難さにたちむかおうとしないかぎり、展望は切り開かれないだろう。そのためには、職業的研究者一人ひとりが強くならねばならないし、市民の中で、市民の問題関心に学びながら、自らの学問を検証し鍛え上げていくことが大事であろう。私が自由民権100年運動から学びとった最大なものは、これであった。
小松さんはじめ、私が交流した歴史研究者はほとんど逝ってしまわれた。そうなると、研究会も、研究テーマも、研究スタイルも、変わってしまう。