16時台のしなの鉄道に乗ったら、高校生がたくさん乗っていた。私服の高校生もいた。
私が高校生だった頃、新一年生のオーバーコートが規制され、男子は「黒か紺」、女子はグレーの一種類(学校指定)に統制されることとなった。私たちは「コート規制反対」の運動を開始した。生徒会で「コート問題小委員会」を組織して、この問題に取り組んだことがあった。私はそのまとめ役であった。
指定された女子のコートは評判が悪く、その品質も問題となった。指定されたコートを提供したのは遠州鉄道であった。生徒会のメンバーは遠鉄(当時の遠鉄名店ビルの一室)にも足を運び、女子のコートの品質などについて協議をした。結局女子のコートは返品可能となり、コートの規制は撤回された。
その後、なかなか目立つコートを着た女子生徒を見かけることがあり、感謝してもらいたいと思ったことがある。その後なぜか高校生はコートを着なくなった。今も、である。
さて、このコート問題を取り上げた際、私はどんな服を着るのかも表現の自由の問題だと考えていたから、制服自由化をも模索した。当時発行されていた旺文社の受験雑誌の投稿欄などから無作為に全国の高校にアンケートを送り、コートだけではなく制服の有無について問い、その報告書も作成した。報告書はもう持っていないが、当時、制服がない高校は全国にあり、北海道や長野県では制服がない高校が多く、東京でも制服自由化の波があった。
しかしその後、制服が採用されていく流れもあり、制服のない高校は減っていった。また私が大学を卒業して浜松に戻ってきたとき、高校生から制服が好き、といわれたときには「ええっ」と思った。
昨日、しなの鉄道に乗っていたとき、私服の高校生を多数見て、長野県はがんばっていると思った。
制服なんかがあるために、生徒は統制されるのである。私は、今も制服は「管理・統制」の手段だと思っている。自由があってもその自由を行使できない高校生、そういう若者をつくることが失策なのである。
なぜ?長野に制服がない高校が多い理由