演劇というのは、実際に演劇を鑑賞しなければわからない。しかし、東京周辺にいれば、いろいろな演劇を実際に見ることができる。その点では、地方に住んでいるということは不利である。
くるみさわしんの戯曲「あの瞳に透かされる」を送ってもらった。これは二度読んだ。劇そのものを見ていれば納得できるのだろうが、見てはいないので、了解不能な部分があったからだ。
この戯曲は、「従軍慰安婦」をテーマにしたものだ。今では、自由民主党関係者や右翼らの攻撃により「従軍慰安婦」はあたかもなかったかのような存在にされているが、吉見春雄の詳細な研究にみられるように、「帝国軍隊」の管理下に国内外の女性たちが「従軍慰安婦」として扱われたことは確かである。旧軍人の回想記を読んだことがあるが、中国戦線で女性を拉致し「慰安婦」にした事例が記されていたし、わたしが発見した南京虐殺に加担した兵士の軍事郵便には、兵站部隊の業務として朝鮮人の「従軍慰安婦」を輸送したりしたことが書かれていた。
さてこの戯曲では、日常生活を攪乱するものとしての「音」、それはもうひとつの攪乱者である「高田靖」が引き起こしたものであるが、この二つによって日常生活が乱されていく。
この戯曲は、ニコンサロンで、韓国の写真家による「従軍慰安婦」の写真をめぐって起こされた事件を前提としている。その写真展開催の予告に対して、右翼等が攻撃を行った結果、ニコンサロンは、その写真の展示をとりやめた。写真家はそれに対して訴訟を提起した。仮処分により写真展は開催され、写真家の勝訴で終わった。
その写真展に関わったニコン(戯曲ではクノックス)側の責任者として坂中正孝を配し、坂中が妻とともに、訴訟の後に地方のクノックス所有の家で生活している。坂中は、クノックス社の取締役でもある。坂中は、「陶器でつくられた天使」をフリーマーケットで買い集めることが日課となっている。
そこにまず「音」がやって来る。そしてその音をたてた団体職員の高田靖がその家にやってくる。ひとつの謎は、この高田とクノックス社との関係が不分明であることだ。クノックス社が送り込んだともとれるし、勝手にやってきたとも推測できる。それでもクノックス社とはまったく無関係というわけではない。高田は、「従軍慰安婦」の認識については、歴史修正主義者のそれである(もうひとつの謎は、もと内科医という建築家の小竹さなえ、この登場人物も了解不能であった。なぜもと内科医?など)。
この高田の登場が、この劇のスタートとなる。日常生活を揺り動かすのである。なぜ写真展は中止となったのかを探りながら、中止の決定は正しいと高田は言う。高田は、「従軍慰安婦はなかった。反日のデマ」だとクノックス社は明確にすべきであったと主張する。
それに対して、このクノックス社所有家屋の管理者である82歳の池田千江は、「従軍慰安婦は事実」だと明言する。「上に怒られるのが怖くて写真を蹴散らし」、写真展を中止した坂中も、「従軍慰安婦はデマじゃない。デマだという連中のほうがデマだ。ウソをついている」と語る。坂中は、「従軍慰安婦」についての認識を深めたのである。
さらに新しい事実が提示される。この家屋があるところ、戦時中は海軍の飛行基地があって、そのための慰安所があったというのだ。そこには17人の女性がいたという。そして空襲時に、この建物が焼け、中にいた女性たちが亡くなった。逃げられないように門が閉められていた。
そして戦後、その後に建てられた建設会社の「アートサロン」では、戦争に関する写真展が開かれていた。その際のパネルが、地下室などに保管されていたのである。「音」は、そのパネルが倒れた「音」だったのだ。
劇は、高田とそれ以外の登場人物との「従軍慰安婦」をめぐる葛藤の中で展開されていく。そのなかで、見る者に、あなたはどこに「立つ」のか、と問う。わたしは「ここに立つ」が、「君はどこに立つ」というように。
それは、「陶器でできた天使」(舞台上ではそれが示されているのだろう)の瞳が、いつも見つめているからでもある。その「天使」は、おそらくその家があるところにあった慰安所で亡くなった人びとの瞳でもあり、「帝国軍隊」が戦場に連れ回した「従軍慰安婦」の瞳でもある。
何度も繰り返される台詞があった。「強い風を翼に受けて、未来に吹き飛ばされながらも後ろを振り返り、目を見開いて遠ざかる過去の残骸を見つめる」。「残骸」とは何か。「従軍慰安婦」が存在したという歴史的事実か、いやそれなら「残骸」ということばはふさわしくないだろう。過去の歴史的事実は、「残骸」ではなく、いまだ生命を持ったものとして現在や未来を照射する。「見えているのに見えない、聞こえているのに聞こえない、嘘を張り巡らせる」というような、過去の歴史的事実をみつめようとしない姿勢ではなく、現在や未来を照射する光を「集め」ることにより、その光は「輝きを増していく」のである。
※ストーリーに、どうも無理な展開ではないかと思われる箇所があった。