今日は9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が虐殺された日である。1923年のことである。関東大震災の混乱のなか、多数の朝鮮人・中国人が虐殺され(これは誰もが否定し得ない歴史的事実である!!)、また亀戸で労働運動家の平沢計七らも虐殺された。平沢は、浜松の鉄道工場に勤めていたこともあり、当地で文芸・演劇活動を行っていた人物である。亀戸事件は9月3日から4日にかけて(4日から5日にかけてという説もある)事件は起きている。
上記の事件は、「震災の混乱のなか」という形容はできるが、しかし16日に行われた大杉らの虐殺事件には、そうした形容はできない。だからわたしは、大杉らの虐殺は、陸軍憲兵隊など軍部の意図的な計画のもとで遂行されたと考えている。その背景にはシベリア出兵、朝鮮での3・1独立運動における日本軍の行動があるはずだ。
さて、大杉らの虐殺の後、三人の遺骨は分割され、野枝の故郷(福岡)、橘宗一の故郷(名古屋)、そして静岡の市営の沓谷霊園へ埋葬された。静岡には、栄の父東(あずま)の墓があった。東は、晩年、清水で暮らしていた。その経緯については以前書いたことがある。
昨年まで静岡で墓前祭が行われていたが、2023年、100年で終止符をうつこととなった。今年も、名古屋、福岡では何らかの行事が行われている。
大杉や野枝は、歴史上の重要人物であり、今でもなんらかのかたちで振り返られる存在である。であるが故に、墓前祭は「全国」に呼びかけながら開催されてきた。しかしそうした行事を毎年開催することは、なかなかたいへんであった。午前中の墓前祭、午後の集会、そして「沓谷だより」の発行など。
今年は、16日当日の墓参と、9月1日付けの「沓谷から」の発行だけを行った。
16日の墓参への参加は5人であった。「沓谷から」は、今年中にもう一号出すつもりである。
ところで、墓参の際、墓に供えた花にクロアゲハがとまった。蝶は、魂を運ぶ、と言われている。彼らの魂が運ばれてきたのだろうか。