今日、『さようなら!福沢諭吉』第18号が送られてきた。熱心な読者ではなく、惰性で購読しているのだが、この号に、映画「福田村事件」についての議論が紹介されていた。
わたしは「福田村事件」をみていない。浜松市でも上映されていたがみたいとは思わなかった。予告編をネットで見て、そこに性描写があり、なぜこの事件を描くのに性描写が必要なのかと思ったからだ。要は、そういう場面を入れることにより、観客数を増やそうとしているのではないかと思った。「福田村事件」を描くに、性描写はいらない。関東大震災に関する虐殺事件を描くというとき、やはり史実をもとに忠実に描くべきだというのが、わたしの意見である。
さて『さようなら!福沢諭吉』に、増田都子さんが「映画『福田村事件』性描写問題&趙博氏の「マンスプ」&歴史事実の改変(創作)」という文を寄せている。
この映画について、『東京新聞』のコラム「大波小波」も性描写などを俎上にあげて批判し、また有田芳生さんも疑問を呈したことが紹介されている。それを紹介した増田さんも異和感を持った。
しかしそれに対し、趙博さんが増田さんの批判に反批判を加えた。わたしは趙博という人を知らない。有名人らしいが、その反批判の文には、上から目線というか、謙虚さがない。増田さんの批判に、わたしは同意する。
労働問題を研究されている熊沢誠氏の、この映画を賞賛する文も載せられているが、熊沢さんが高い評価をするとは思わなかった。
増田・趙間の批判、反批判について言及したくはないので、これでやめるが、しかし、予告編だけをみて、わたしはこの「福田村事件」という映画について、見る価値はないと判断したことだけは記しておきたい。
映画をどうみるかは、それぞれの主観的判断であるから、これ以上は言及しない。「大波子並」や有田さん、増田さんの意見にわたしは同意する。