『高橋源一郎×SEALDs民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)は、今を考えるときに読まないではいられない、そういう本だ。
「参戦法案」反対のmovementのなかで、ひときわ目立っていたのは、SEALDsの動きだった。彼らは、この運動の先頭にいた。いつも「現場」(それは単なる現場ではなくて、「民主主義」の「現場」だ)にいる彼らは、行動する人びとであったように見えた。
だが、この本を読んで、彼らが行動だけの人ではなく、思索の人であり、学ぶ人であり、討論する人であり、読む人である、そしてバイトに汗を流す働く人・・・であったこと、それを発見した。高橋源一郎という作家兼大学教授との討論内容が掲載されているのが本書であるが、その内容は思いの外深くまた実践的だ。
彼らの行動の背景には、読書体験や思索体験などがある。それも単なる知識としてではなく、行動しながら思索し、学んでいくというものだ。
こういう学生がたくさん出現したこと、いや出現させたことが安倍政権の功罪の「功」であることは重要だ。悪政は、それに対するmovementを引き起こすのだ。
最近ボクは、「民主主義を生きる」という小文のなかに、このSEALDsについて言及した。
彼らの行動の大きな特徴は、参加者一人一人が自分自身のことばでみずからの考えを綴っていることだ。iPhone(スマホ)を見ながら、用意してきた原稿を読み上げる姿を、私は何度か見ている。1970年頃までのデモは、組織や団体が用意したことばを唱和するだけだった。そうではなく、個人個人がみずからのことばで、なぜ「参戦法案」に反対するのかを綴り、訴えるのだ。その綴られたことばを、私はきわめて清新なものとして聞く。
しかし、ことばを綴るというのは、そう簡単なことではない。多くの人々に訴えるためには、その綴られたことばの背後に知の集積や論理性がなければならない。それなしにことばは力を持たない。
SEALDsのホームページには、「本をもって路上に出よう」というPDFファイルがある。そこには高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)、西谷修『夜の鼓動にふれる-戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)、中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書)などの本が紹介されている。
彼らは、学び、討論し、デモに参加し、そして自分の言葉で訴えるのだ。組織として参加してるのではない、誰かに指示されたからでもない。ひとりひとりが、みずからの意志で参加しているのだ。
まさに彼らは、丸山真男がいう「永久革命」としての民主主義を生きているのである。果たして大人たちは、民主主義を生きているか。日常の惰性のなかにみずからを置いていないか、そういう問いが、本書を読んで感じられた。
彼らは「民主主義ってなんだ」と問いながら、その問いの答えをさがしながら、その都度その都度、「これだ!」と確認しながら生きている。しかしそのときの「これだ!」は常に結論ではない。「これだ!」は常に追究される問いでもある
そういう厳しさを、大人たちも学ぶべきではないか。本書を、とくに老いてきた人たちに勧める所以である。
「参戦法案」反対のmovementのなかで、ひときわ目立っていたのは、SEALDsの動きだった。彼らは、この運動の先頭にいた。いつも「現場」(それは単なる現場ではなくて、「民主主義」の「現場」だ)にいる彼らは、行動する人びとであったように見えた。
だが、この本を読んで、彼らが行動だけの人ではなく、思索の人であり、学ぶ人であり、討論する人であり、読む人である、そしてバイトに汗を流す働く人・・・であったこと、それを発見した。高橋源一郎という作家兼大学教授との討論内容が掲載されているのが本書であるが、その内容は思いの外深くまた実践的だ。
彼らの行動の背景には、読書体験や思索体験などがある。それも単なる知識としてではなく、行動しながら思索し、学んでいくというものだ。
こういう学生がたくさん出現したこと、いや出現させたことが安倍政権の功罪の「功」であることは重要だ。悪政は、それに対するmovementを引き起こすのだ。
最近ボクは、「民主主義を生きる」という小文のなかに、このSEALDsについて言及した。
彼らの行動の大きな特徴は、参加者一人一人が自分自身のことばでみずからの考えを綴っていることだ。iPhone(スマホ)を見ながら、用意してきた原稿を読み上げる姿を、私は何度か見ている。1970年頃までのデモは、組織や団体が用意したことばを唱和するだけだった。そうではなく、個人個人がみずからのことばで、なぜ「参戦法案」に反対するのかを綴り、訴えるのだ。その綴られたことばを、私はきわめて清新なものとして聞く。
しかし、ことばを綴るというのは、そう簡単なことではない。多くの人々に訴えるためには、その綴られたことばの背後に知の集積や論理性がなければならない。それなしにことばは力を持たない。
SEALDsのホームページには、「本をもって路上に出よう」というPDFファイルがある。そこには高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)、西谷修『夜の鼓動にふれる-戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)、中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書)などの本が紹介されている。
彼らは、学び、討論し、デモに参加し、そして自分の言葉で訴えるのだ。組織として参加してるのではない、誰かに指示されたからでもない。ひとりひとりが、みずからの意志で参加しているのだ。
まさに彼らは、丸山真男がいう「永久革命」としての民主主義を生きているのである。果たして大人たちは、民主主義を生きているか。日常の惰性のなかにみずからを置いていないか、そういう問いが、本書を読んで感じられた。
彼らは「民主主義ってなんだ」と問いながら、その問いの答えをさがしながら、その都度その都度、「これだ!」と確認しながら生きている。しかしそのときの「これだ!」は常に結論ではない。「これだ!」は常に追究される問いでもある
そういう厳しさを、大人たちも学ぶべきではないか。本書を、とくに老いてきた人たちに勧める所以である。