くるみざわしんさんから、演劇の台本を送っていただいた。「蝉丸と逆髪」という今年10月に上演されたものである。この台本を読みながら、この劇こそ実際に観ないとわからないと思った。
台本はことばだけで綴られている。台詞だけではなく、ト書きも書かれてはいるのだが、しかしこの台本のもとは、能の「蝉丸」である。「蝉丸」を改作してつくられた台本が、この「蝉丸と逆髪」なのである。
能は、舞台上で演じられはするが、舞台背景は他の演目と変わらない。少しはいくつかの装置が用意はされるが、ふつうにみる演劇のような丁寧な装置は用意されない。能舞台は、橋懸かりとともに一定の構造をもち、そこで演技はなされる。そしてそこでは演者だけではなく、囃子や謡を担当する人びとが座っている。だから、演者の台詞だけでなく、笛や鼓の音もある。それに演者は仮面をつける。
だから、実際に演じられるその場にいて、観なければならない。若い頃、水道橋の能楽堂で能楽を観たことがあるが、そこには独特の雰囲気があったことを覚えている。
さて、この台本を理解するために、わたしは「蝉丸」を読んだ。「蝉丸」は、「百人一首」にもある「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関」という歌の作者である。盲目の琵琶奏者で、逢坂の関、山城国と近江国の境界の山に住まいしていたという。
謡曲「蝉丸」は、「蝉丸」を醍醐天皇の第四皇子とする。生まれつき盲目の「蝉丸」を、醍醐天皇は逢坂山に捨てるように、廷臣の清貫に命じる。「蝉丸」は、父醍醐のこの措置を、「前世の戒行が拙」かったためで、現世で「過去の業障」(ごっしょう、と読む。悪業によって生じた障害)を果たして来世に備えろということだろうと善意に解釈する。清貫は、「蝉丸」の髪をおろし、蓑を着せ、笠と杖を置いて去っていく。宮中でしか生活していなかった「蝉丸」は、「乞食坊主」となったのである。「蝉丸」は琵琶を奏でる。
そこへそれ以前に捨てられた醍醐の第三皇子、「逆髪」(さかがみ)が登場する。「逆髪」は「狂人」となってさまよっている。琵琶の音を聴き、「蝉丸」のいる「藁屋」に行き、「蝉丸」の声を聞いて弟であることを知る。二人はこの境遇を嘆きしばし語らうが、「逆髪」は去っていく。なお「逆髪」は「翠の髪は空さまに生い上って」撫でつけても下がらないという頭髪であるが故に、「逆髪」という。
ではこの「蝉丸」の意味はどこにあるのか。非情にも、盲目の「蝉丸」を宮中から追い出し、「乞食坊主」とした皇室への批判?「狂女」である「逆髪」も宮中から出ているが、出されたのかはわからない。「心より 心より狂乱して 辺土遠郷の狂人となつ」たのである。宮中から出た二人の姉弟がみずからの境遇を嘆き悲しみ、そして別れていくその二人がかわすことばと情感の機微を主眼にしたのかもしれない。
わたしはここに着目した。「逆髪」は、「童部」(子どもたち)に笑われる。それに対して「逆髪」は、その笑うという行為を「逆さま」だという。「花の種は地に埋もって千林の梢に上り 月の影は天にかかって万水の底に沈む 是等をば何れか順と見 逆なりと謂はん」。何が「順」で、何が「逆」なのかは、最初から決まっているわけでもなく、相対的なのであるということを言おうとしたのか。
画家の香月泰男は、「東洋画と西洋画の違いの一つは、余白にあると思う。東洋画に独特の余白の存在は、カッチリ描き込まれた西洋画のバックとはちがって、なんとも融通無碍なものである。西洋画のバックには一つの解釈しかないが、東洋画の余白は見る人次第で、どうにでもなる。」(『シベリア鎮魂歌』50頁)と語っているが、能にも「余白」があると思う。その「余白」とは、観る者の想像力に依拠する部分というか、それが大きいように思われる。能楽堂という空間、あるいは簡単な装置、謡のことば、そして笛や鼓の音、それら全体は、こうである、という主張をするのではない。観る者がそれぞれに「空白」を埋めていく、そういうものが能にはある。
この項続く。