ずっと前に買ったチェーホフ全集を少しずつ読みはじめているが、一方に諧謔があり、他方に明白な不平等社会が描かれる。かつてのロシア文学は、抑圧下の精神の苦悩と自由を求める意志、そして何が善であるのかを描いていた。ロシア帝国の時代の話である。
ロシア革命は、不平等社会を破壊したはずなのに、担い手を変えた新たな不平等を生みだした。共産党員を中心としたノーメンクラトゥーラという支配階級は、無数の特権をもち、民衆に対して抑圧的に、民衆の生命を意に介することなく収容所に送り込んでいた。
1991年のソ連邦の崩壊は、ノーメンクラトゥーラの一部を壊したが、しかしノーメンクラトゥーラとつながる新興財閥をはじめとした新たな支配階級が権力と富とを独占するようになった。
ソ連邦は大国であった。収容所送りになるかもしれないという恐怖を抱きながらも、庶民は物不足に苦しみながらも「大国意識」をもち、プライドをもって、そのなかで生きていた。
その影響は今も続く。今も続く貧しい生活、それであっても、だからこそ自らが「大国」の国民であるというささやかな自信。
プーチンに隷属するロシア国家の重鎮たちは、プーチンに言われるままに、過去に実在したロシア帝国やソ連邦の復活を夢みる。貧しい生活を強いられる庶民も、同じ夢を見たいと願う。
しかし、同じ夢であっても、「同床異夢」ならぬ「異床同夢」である。「床」は「床」でも、ほんものの「床」である。ロシアの動員兵は、「床」で寝る。
ロシアという国家は、権力の変遷はあったが、歴史的に同じ状況が続く。庶民は貧しく、である。
国家に動員された兵士たちも、である。