ハン・ガンの『少年が来る』は、1980年の5・18光州事件を舞台としている。そこでは、韓国の軍隊が、韓国の市民を虐殺するという信じられない事件であった。
さきほど、YouTubeで、光州MBCが制作したドキュメンタリーをみた。
Without leaving a name1 Without leaving a name2
そこには、軍によって交通も通信も閉じられた光州の市民たちが韓国軍隊の暴虐にあっていることを見、あるいは知った人が、危険を冒して光州に入り込み、あるいは滞在していた外国人らが、世界に知らせようと必死に努力した姿が映されていた。また東京などでも、雑誌『世界』のT・K生の「韓国からの通信」に見られるように、光州を世界の市民に知らせること、そして韓国政府やアメリカに抗議する行動が展開された。
そのなかには、牧師、ジャーナリスト、アメリカに密航した活動家、画家などがいた。何の見返りも求めず、彼らは行動した。
わたしたちは、激しい暴力を市民にふるった全斗煥やその配下の軍人たちに対しては、強い怒りを持つ。おそらくその軍人たちは、みずからが行った蛮行を語ることもなく、また他人から賞賛されることはない。
しかし、このドキュメンタリーに映し出された人びとは、まさにみずからの「良心」に基づいて行動した。そうした彼らを、わたしたちは賞賛すると共に、その姿に感動する。かれらの「良心」が他者の心を動かすのである。
暴力に対抗する「良心」。ハン・ガンは、それを「この世でもっとも恐るべきもの」と書いているが、「恐るべきもの」といわれるほどに、「良心」は力をもつ、力を生みだしていくのである、それも連鎖的に。
ひとりの「良心」が他者のこころを動かし、その他者の「良心」を呼び起こす、さらに・・・・・と、「良心」の波動は世界の人びとに伝わっていき、結果的におおきな力となっていくのである。
このドキュメンタリーは、それを示していると思った。
ハン・ガンのこの小説は、世界各地で戦争という暴力が吹き荒れているからこそ、書かれたのだと思う。
わたしは、この小説に、大きな衝撃を受けている。