浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』(岩波新書)

2024-12-22 11:37:40 | 

 この本は二度目である。ある本を読んでいたらこの本に言及していたので、読み直した。2017年に出た本で、わたしはその年に購入している。赤線が引いてあったり付箋が貼られたりしているが、その内容についてほとんど記憶がない。最近は、よほど刺激的な内容が書かれていないと読んだ本について忘れてしまう。若い頃は、読んだ本についてどんな内容であったかその概略くらいは覚えていたのだが、最近はとみに記憶力がなくなっている。悲しいことだ。

 本書の内容は、近代史研究家としての著者が、いま日本近代をどう考えるかを綴ったものだ。じっくりと読むと、なかなか刺激的である。おそらく前回は、わたしに問題意識がなく、さらっと読みとおしただけだったのだろうと思う。本書は、新書ではあるが、なかなか現代的課題を見通しながらの、重厚な内容であると思った。

 「あとがき」には、老境に入った著者の感慨が記されている。「俊傑は老いても志は衰えない」という、著者の気持ちが書かれているが、著者80歳の頃に書かれたこの本は、まさに衰えない志を証明している。また「私は学問の発展のためには、学際的なコミュニケーションの他に、プロとアマとの交流がきわめて重要だと思います。そのためにも、「総論」(general theory)が不可欠であり、それへの貢献が「老年期の学問」の目的の一つではないかと思います」とあり、お世話になった故海野福寿先生も、晩年、最後には古代から現代までの通史を書きたいと語っていたが、それに通じることばである。

 本書は、副題に「問題史的考察」とあるように、近代日本に於ける、政党政治、資本主義、植民地帝国、天皇制に絞って考察を加えるという体裁をとっている。まず政党政治について考察したのは、著者が政党政治の研究にもっとも力を入れていたからである。四つの問題で、植民地帝国、天皇制についてもっとも教えられたが、植民地に日本の国内法が適用されなかった問題は、戦後補償にも大きな影を落としている。また天皇制に関しては、教育勅語成立史に多く紙面を割いていて、井上毅という人物の役割が詳述されている。教育勅語が、近代日本の民衆にきわめて重いものを強いたことを考えると、勅語を中心になってつくった井上というひとりの人間の存在に複雑な思いをもつ。

 とにかく、読む価値のある本である。

 

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