浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

パガニーニ

2014-09-21 15:08:32 | 日記
 今日、映画『パガニーニ』を見に行った。映画としての評価は高くはないだろうと思う。

 パガニーニ。「パガニーニの主題による変奏曲」は知っていてレコード(もうそれを再生するものがない!)ももっていて、しかしパガニーニそれ自身については全く知らなかった。

 パガニーニは人格破綻の天才的バイオリン弾きで作曲家。女たらしで薬物もやっていた?ふむふむ、そういう人だったのか。

 しかし映画の中で歌われたアリア、とても美しい曲だった。彼のバイオリン協奏曲が原曲だという。

 この映画でいやなところ、それはすべて英語であるということだ。これはドイツ映画のに、なんで?!

 ボクはアメリカ映画が嫌い。その理由はいろいろあるが、どこの地域を舞台にしても、みんな英語で台詞を話す。なぜか、この映画もそう。

 この映画の制作、主演はDavid Garret 。バイオリニスト。この人をボクは知らなかった。要するに、バイオリニストであるDavid Garretが、バイオリニスト・パガニーニとなって、売り込みをはかったのか。

 まあこの映画を見てパガニーニを知り、David Garret を知った。見た甲斐はあった。

 David Garret のコンサートの状況は、下記のyou tubeでも見られる。この人も、パガニーニと同じくらい才能があるのだろう。彼のmusicという舞台は、楽しく、また素晴らしい!!音楽は国境を超える。

https://www.youtube.com/watch?v=LhDgtcJQ0Sk

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混雑

2014-09-21 09:43:04 | 日記
 昨日は静岡へ。JRの鈍行、いつもなら座れるのに、女の子っぽい服装をした(つまりジーパンはほとんどいない)若い女の子がわんさと乗っている。いつもなら座れるのに・・・

 皆さん「愛野」駅で下車。エコパで何かがあるのだ。

 帰宅してみたら、hey say junp とあった。何これ、と思ったら、家人が、ジャニーズ系のグループだという。そのうちの一人は、近所出身だとのこと。

 しばしば静岡からの行き帰りに、「愛野」から乗下車する集団に出会う。コンサートにより、着ている服など雰囲気が統一されているような気がする。昨日は、男子はいなかった。「いきものがかり」のときは、みんな真面目で質素な雰囲気だった。

 へそまがりのボクは、統一した雰囲気をぶちこわすような格好でいってみようかなと思う今朝であった。
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『読売』の『朝日』攻撃

2014-09-20 11:25:55 | メディア
 「慰安婦」問題で、吉田清治証言を『朝日』が虚偽であったとして、それを報道したことを撤回・謝罪した。

 しかし『読売』も報道している。1985年9月27日、「今日の顔」欄に、吉田清治氏が登場している。それ以外にも何回か彼の記事が掲載されている。

 にもかかわらず、『読売』は、『朝日』を攻撃する。厚顔無恥とはこのことだ。
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米政府高官も驚く沖縄米軍基地

2014-09-18 16:13:53 | 政治
辺野古新基地建設 基地集中に驚き ハルペリン氏、名護市長と会談

2014年9月18日

 沖縄返還交渉の際に米政府の交渉担当者を務めたモートン・ハルペリン氏が17日、那覇市の琉球新報泉崎ビルで稲嶺進名護市長と会談した。ハルペリン氏は名護市辺野古への米軍普天間飛行場移設問題について「民主主義国家の中で、人々の思いに外れた行為をなすべきではない」と述べた。

 会談で稲嶺進名護市長は国土面積の0・6%の沖縄に米軍専用施設の約74%が集中していることや、名護市長選挙で「海にも陸にも新しい基地は造らせない」と公約した自身が2度当選したことを説明し、「辺野古移設に反対する名護市民の意思は決まっている」と強調した。

 ハルペリン氏は稲嶺市長の主張に理解を示し、普天間移設問題に関して「米政府は日本政府と話し合い、地元の市民の声を反映させた形の解決策を見いださないといけない。(本土復帰を求める県民の声を聞いて)沖縄を返還したときと同じように、そうする必要がある」と語った。復帰後42年が経過した現在も多くの米軍基地が残っていることについて「非常に驚いた」と述べた。

 稲嶺市長が訪米した際の米側の反応や11月に予定されている県知事選の状況などについても意見を交わした。18日のシンポジウムの模様は琉球新報のホームページで中継する。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231766-storytopic-271.html
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ヘイトスピ-チの「効果」

2014-09-18 15:57:58 | 社会
 韓流の店が並んでいた新大久保界隈。あのヘイトスピーチで客が減り、次々に店がなくなっている。家賃も下がっているようだ。「国際都市」東京、オリンピックを招聘する東京、そこが排外主義の拠点となっている。安倍政権のメンバーも、ヘイトスピーチを行っている団体といっしょに写真を撮るような関係。何ということだ。

 『東京新聞』の記事。

2014年9月18日 朝刊

 日本一のコリアタウンともいわれる東京・新大久保で、韓国料理店や韓流グッズ店の閉店が続いている。韓流ブームの退潮に追い打ちをかけたヘイトスピーチ(差別扇動表現)のデモは昨年九月以降は見られないが、離れた客足が一年たっても戻らないためだ。一時高騰した店舗の賃貸料は半減して「韓流バブルは去った」との声が聞かれる。逆に中国系の店が増えているという。 (辻渕智之)

 街の窮状を象徴するのは、飲食とグッズ販売それぞれを代表する大型店の経営破綻だ。職安通りの料理店「大使館」は八月に閉店した。洪(ホン)ソンヨプ社長(59)は「店の前で『殺せ』『出て行け』と叫ばれた(ヘイトスピーチの)影響は深刻だった。来店したお客さまに恥もかかせてしまい、つらかった」と語る。売り上げが以前の半分以下に落ち、回復しなかった。

 大久保通りにある「韓流百貨店」は今も営業を続けるが、四月に民事再生法の適用を申請した。芸能人グッズ、化粧品などを扱う最大規模の韓流ショップで「韓流の中心」とも呼ばれてきた。東京商工リサーチによると、二〇一二年秋ごろから売り上げが激減し、経営会社の負債総額は三億円を超えた。当時は韓国の李明博(イミョンバク)前大統領が竹島に上陸した直後で、ヘイトスピーチが新大久保で目立ち始めたころだ。

 「ヘイトスピーチを怖がって常連客も来なくなった」。同じ大久保通りで食堂を約十年営む韓国人女性(64)は嘆く。鳥料理が評判で行列もできた店は売り上げが三分の一に減少。隣の雑貨店は今春閉店した。「うちも家賃の支払いが遅れて、出て行ってくれと言われている。生きる楽しみが消えたよ」と、がらがらの店内を寂しげに見つめた。

 ヘイトスピーチの街頭宣伝に対しては、昨年十月の京都地裁判決が初めて人種差別と認定し損害賠償を命じた。新大久保でも商店主らが受けた経済的、精神的ダメージは大きい。

 韓国系の店は最盛期には三百店以上あったといわれる。見た目はシャッター通りと化したわけではないが、地元の不動産業者(60)は「知る範囲で、この二年で約三割が閉店するか、借り主が代わった」と明かす。大久保通りで二年前に坪十万円だった一階店舗の家賃相場は、今は四万~六万円に下がったという。「韓国の大統領が日本の悪口ばかり言っているから、店に客は来なくなる。もうからないから、店が家賃を下げてくれと言ってくる」

 客層の変化も影響している。二〇〇〇年代は「冬のソナタ」など韓流ドラマや映画は幅広い年代に支持されたが、最近のK-POP音楽は若者ファンが多い。以前は来店して一万円以上使う中年女性もいた。今、客の六~七割は若者で使う金額は多くないという。

 地元の韓国人団体は街の清掃を続けたり祭りに参加したりと、地域との共生を目指している。韓国の財閥系資本が進出を検討しているとの情報があり、街の再生につながると期待する声もある。一方、韓国料理店の韓国人経営者(46)は「韓流バブルが去っただけ。安くなったいい物件を探している」と冷静に話し「韓流ブームの前に多かった中国系の店が再び増えてきている」と付け加えた。

<新大久保のヘイトスピーチ> 地元店主らによると、デモや街宣活動は2012年夏ごろに始まり、13年秋からは見られない。13年2月以降に過激化し、参加者は韓国系の店の看板を蹴飛ばして「朝鮮人をたたき出せ」「韓流おばさんは恥ずかしくないのか」などと在日韓国・朝鮮人への憎しみをあおる言葉を叫んだ。「カウンター」と呼ばれる抗議活動も始まって13年6月には衝突が起き、双方から逮捕者が出た。
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安倍政権の人びと

2014-09-17 23:12:47 | 政治
 次は、共同配信記事。


山谷えり子氏が在特会幹部と写真 5年前、関係者がHP公開

2014年9月17日 18時31分

 第2次安倍改造内閣で国家公安委員長に就任した山谷えり子参院議員が、在日韓国・朝鮮人の排斥を訴える「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の関係者と一緒に約5年前に写真に納まっていたことが17日、分かった。元在特会関西支部長の男性(61)が運営するホームページで16日まで公開していた。

 男性やホームページなどによると、写真は2009年2月22日に、松江市のホテルで撮られた。山谷氏のほかに7人が写っており、うち男性ら3人が在特会関係者という。山谷氏はこの日、松江市内で「竹島の日」の記念行事に出席し、講演していた。

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悲しむべき「現実」

2014-09-17 23:06:08 | 日記
 今日は、想田和宏氏の意見を読んでいただきたい。

http://www.magazine9.jp/article/soda/14678/
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まじめであること

2014-09-16 21:13:25 | 日記
 昨日ボクは、「シュトルム・ウント・ドランクッ」という映画を見た。大杉栄の周囲にいた人びとをとりあげたものだ。その人びとは、ギロチン社、労働運動社に集っていた。

 1923年9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が甘粕ら憲兵隊に虐殺された。ギロチン社、労働運動社の人びとは、その報復を企図した。その経緯については、とりあえず鎌田慧の『大杉榮 自由への疾走』(岩波現代文庫)を参照していただきたい。

 映画は、彼らを描くのだが、彼らは、まったくふまじめだ。ふまじめだけではなく、ドジでもある。暇があれば花札をし、そばを食べ、ある者は遊郭に行く。彼らは、徹底的に戯画化されて描かれていた(「戯画」という語の意味には、風刺というものがあるが、風刺という側面はなかった)。

 ボクは、映画を見ていて、もっていた彼らに関するイメージがからかわれたような気がした。あの時代、社会変革の可能性に賭けた人びとは、もっともっとまじめに生き、真剣に討議していたはずだ。そうでなければ、社会変革の活動はできない。

 ボクは、まず映画の内容に幻滅を感じた。

 この映画の評価をネットで探したが、内容的なところでの批評はみあたらない。色彩や効果音など、そういう面に関する言及がほとんどだ。

 この映画、ボクが学生の頃よくみていた「前衛劇」にきわめて似通っていた。「前衛劇」は、「意味」があるような台詞や場面をちりばめ、なにやら哲学的に深いように思わせながら、結局「意味」はなく、ただその劇を見ている間、楽しめれば(この場合の「楽しみ」はきわめて多義的な意味でつかっている)よい、というものであった。

 この映画も、題材を大杉とその周辺の人物を描きながら、基本的には彼らの存在そのものの意味なんかどうでもよいのだろう。

 昨日の講演も映画も、「軽チャー」であった。それが若い世代にはうけるのだろうか。

 先日、you tubeで児童文学者の清水真砂子さんの講演を聴いた。今の若い人びとは、まじめなことを話す場がないという指摘があった。しかし、真面目であること、まじめに取り組むことはとても大切なことだと思う。昨日の講演と映画には、それがなかった。

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こりゃ、ダメだ

2014-09-16 07:53:24 | 
 『現代思想』昨年の9月号、特集は「婚活のリアル」である。ボクはこの『現代思想』を購読している。昨日、栗原康氏の論文が掲載されているというので、引っ張り出してきた。栗原氏の論文は「豚小屋に火を放て 伊藤野枝の矛盾恋愛論」である。全文約11頁。しかしその半分以上が、自分自身が結婚を前提につきあった女性との出会いから別れまでの顛末である。

 そのなかに、栗原氏が収入が極端に少ないこと(つまり働かないこと)、奨学金の借金が700万円近くあることを記した箇所があった。そのことは、昨日の講演でも話されていたし、夜行社発売の大杉栄の「評伝」のあとがきにも記されていた。

 彼はいつも「負債」のことを考えているようだ。そしてその「負債」からの解放を願っているが、そこからの解放は絶望的である。その状況が、大杉理解にも反映する。

 栗原氏の論の進め方、そして大杉や野枝に対する評価もワンパターンである。この論文でも、ほとんど自分のことを書いているのだが、野枝の思想について言及したところは、野枝の文を引用し、自分自身の生き方を正当化できるようにみずからの「解釈」を記していく。大杉の評伝でも同様である。

 そしてこの論文の終わりのところで、大杉の「相互扶助論」について言及する。彼は2011年の東日本大震災で放射能を避けて愛知県に逃げるのだが、そこで友人たちの世話になる。自分に焼酎をくれたり、ゆで卵をくれたりしたことを「生の無償性」として、それが「相互扶助」だと「ようやくわかった」ようなのだ。だが、読んでいると彼はいつも一方的に「扶助」され、みずからが「扶助」することはない。「相互扶助」ではないのだ。

大杉や野枝についての「評伝」は、みずからの生と切り離したうえで書かれるべきなのである。


  
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「自我の棄脱」

2014-09-15 22:57:33 | 
 今日静岡市に行き、一つの講演を聞き、一本の映画を見た。

 講演は、『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜行社)の著者・栗原康氏である。しかしボクは、この著者は大杉を誤解している。いやそうではなく、栗原氏は、みずからの生き方を正当化するために大杉を利用している、と思った。

 栗原氏は高校三年生の時、大杉の「自我の棄脱」を読んだ。その「自我の棄脱」を掲載しておこう。

兵隊のあとについて歩いてゆく。ひとりでに足並が兵隊のそれと揃う。
 兵隊の足並は、もとよりそれ自身無意識的なのであるが、われわれの足並をそれと揃わすように強制する。それに逆らうにはほとんど不断の努力を要する。しかもこの努力がやがてはばかばかしい無駄骨折りのように思えてくる。そしてついにわれわれは、強制された足並を、自分の本来の足並だと思うようになる。

 われわれが自分の自我──自分の思想、感情、もしくは本能──だと思っている大部分は、実にとんでもない他人の自我である。他人が無意識的に無意識的に、われわれの上に強制した他人の自我である。

 百合の皮をむく。むいてもむいても皮がある。ついに最後の皮をむくと百合そのものはなんにもなくなる。
 われわれもまた、われわれの自我の皮を、棄脱してゆかなくてはならぬ。ついにわれわれの自我そのもののなんにもなくなるまで、その皮を一枚一枚棄脱してゆかなくてはならぬ。このゼロに達した時に、そしてそこからさらに新しく出発した時に、初めてわれわれの自我は、皮でない実ばかりの本当の生長を遂げてゆく。

 思想はわれわれの後天的所得である。しかし感情はわれわれの先天的所得である。そこでわれわれは、われわれの思想の上には比較的容易に批判を加えうるのであるが、しかしわれわれの感情の上にはほとんど常に盲目である。感情の大部分は、ほとんど本能的のものとみなされて、至上の権威をもつもののごとく取り扱われる。また多くの思想は常にこの感情を基礎として築き上げられる。かくして感情は、自我の皮の中の、とかくにもっとも頑強なものとなりやすい。

 感情もしくは本能は、生物本来の生きんとする意志から出発して、生存欲と生殖欲とに分かれ、さらにこの二つがその周囲の事情によって千変万化してゆく。われわれはこの千変万化の行程の中に、われわれの理知と直覚とを十分に働かせなくてはならぬ。なんとなればその間に他人の無意識的もしくは、意識的強制が多分に含まれているからである。

 いわゆる文明の発達とともに、人類の社会は、利害のまったく相反する二階級に分かれた。すなわち征服階級と被征服階級とに分かれた。この事実は、人間本来の感情を、その各個人の利害のために発達させないで主として征服者の利害のために屈折させた。そして数万年間のこの屈折の歴史は、ついにわれわれをして今日われわれの所有するほとんどすべての感情を、人間本来のものと思わしめるまでにいたった。

 感情とはきわめて縁の近いわれわれの気質も、多くの場合に、この征服の事実によってはなはだしく影響されている。もっと根本的に言えば、感情や気質の差別を生ぜしめるわれわれの生理状熊そのものまでが、この征服の事実によって等しくはなはだ影響されている。

 かくしてわれわれは、われわれの生理状態から心理状態にいたるすべての上に、われわれがわれわれ自身だと思っているすべての上に、さらに厳密な、ことに社会学的の、分析と解剖とを加えなくてはならぬ。そしていわゆる自我の皮を、自分そのものがゼロに帰するまで、一枚一枚棄脱してゆかなくてはならぬ。

 棄脱は更生である。そしてその棄脱の頻繁なほど、酷烈なほど、それだけその更生された生命は、いよいよ真実に、いよいよ偉大に近づいてゆく。
(1915年5月)


 大杉は、自分の自我であると思っているものの大部分は他人の自我である、そのような自我を、「自分そのものがゼロに帰するまで」「棄脱」せよといっている。栗原氏は、その自我を「負い目」あるいは「負債」と理解し、その「負債」をゼロにせよと言う。
 しかし自我=「負い目」「負債」なのだろうか。栗原氏の主張をまねれば、「負い目」や「負債」とみずからが考えるものを「棄脱」してゼロにする。「生の負債化からの解放」(講演での栗原氏のことば)?
 
 「負い目」とは、『大辞林』では「助けてもらったり、つらい目にあわせたりしたことについて負担に思う気持ち」、あるいは「負債」「借金」である。自我とイコールでは結べない。

 講演の最初は、栗原氏の経済状況の説明から入り、大杉の「自我の棄脱」との出会いであった。さてボクは、帰宅して彼の著書の「あとがき」を読んだ。そこにあるエピソードが記されていた。

 あるとき彼の靴がなくなった。しかし彼には靴を買うカネがない。友人たちのカンパを得て、栗原氏は靴を買うことが出来た。その後、「ひとや物に親切にされて、みずからの自由を感じとりながら、わたしはだんだんこうおもうようになっていった。無理にはたらく必要なんてないじゃないか。本が読みたい。研究がしたい。やりたいことをやろうとしているだけなのに、四の五の言う(なんのかのと文句を言うー引用者注)ひとがいるのであれば、そんなたわごとはもう聞く耳もたずだ。忘れてしまおう。」(280頁)と。つまり「負い目」を「負い目」と感じないでやりたいことをやって生きていこう、というわけだ。

 「あとがき」には、栗原氏の大杉のとらえ方が記されている。栗原氏の論に欠けているのは、次のことだ。

 今や生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる。新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。(大杉「生の拡充」)

 つまり「反逆」の精神がない。

 栗原氏は、大杉を客観的に捉えることができないし、またみずからを客観視することもできていない。栗原氏にとって大杉の思想は、栗原氏の「生」を正当化するためにのみ存在している。
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【本】大野更紗『困ってるひと』(ポプラ社)

2014-09-15 08:14:57 | 
 ほんとは、とてもたいへんで、「難」ばかりで、絶望的な状態にならざるを得ないのに、しかし絶望しないで、自分自身の運命に果敢に闘い続ける更紗さんに拍手。

 生きている以上は、生きなければならない。ふつうのひとは、生きていくことを自覚的に考えることはない。しかし更紗さんは、生きていくことにものすごいエネルギーを投入しなければならない。

 更紗さんは、しかしただ生きていくことだけでなく、人間として人間らしく生きていくことを選んでいる。だからよけいにたいへん。だけど、めげずに、多くの人の支えをえながら、果敢に自分自身の生を刻んでいる。

 すごいエネルギーだ。

 その更紗さんを支えているのは、ビルマ難民を支える活動という経験でもあるはずだ。更紗さんのそうした活動の周辺には、同じような考えをもった、人間的な同志がたくさんいるように、具体的な人ではないけれども、無数のビルマの人々が支えてくれているような気がする。

 この世の中には、偉い人がたくさんいる。更紗さんもその一人である。

 とてもとても明るい筆致で、「難」を苦しみとして感じさせない。難なく「難」を乗り越えているような生き方。すごい!!

 そして指摘しておかなければならないのは、更紗さんのような難病を持つ人々に、行政は暖かくはない、ということだ。生きていくためには、そうした制度と闘わなければならない。すくなくとも、ただでさえ生きにくいのだから、制度はそうした人々に使い勝手のいいようなものにすべきだということだ。残念ながら、役人たちは、机の前に座って考える。最前線には、非正規労働者を据え、実態をあまり知らないで制度をつくっていく。

 とにかくこの本、ぜひ読んで欲しい。

 
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「世のため 人のため」

2014-09-15 00:09:34 | 
 どういう経緯で知ったのかはわからないが、今、大野更紗さんの『困ってる人』(ポプラ社)を読んでいる。まだ全部を読み終えていないけれども、何とまあ壮絶な人生。

 大野さんは、「筋膜炎脂肪織炎症候群」という難病の真っ只中に生きている。その病気は、壮絶の極みであるが、にもかかわらず、この本は徹頭徹尾明るい。だからボクもこういう筆致で書くことができる。

 福島の田舎に生まれ育った大野さん。上智大学外国語学部フランス語科に入学後、ビルマの問題に入り込み、ビルマ難民のために奔走。この本を読むと、そのために難病になってしまったのではと思うくらい。

 まさに「世のため 人のため」にひたすらみずからの生を捧げて生きていたし、今は難病と闘いながら明るく明るく希望を持って生きている。

 憲法学者樋口陽一の著書に惚れ込み、その記述に心を動かされ、今はもう亡くなった村井吉敬さんの研究室のドアをたたき、「ムライムラ」のメンバーとなり・・・・となると、どういう学生生活をしていたかは想像できる。
 
 大野さんが、ビルマ難民問題に首を突っ込み、そして難病の真っ只中で闘病している。それを支えていたのが、忌野清志郎。ボクも清志郎は好きだ。

 おそらく彼女の医療費は、印税が支えているんだろうな。この本は図書館から借りたけど、続編は買いますよ。少しでも、こういう人を支えなければならないと、ボクは思う。今はビルマ難民支援活動は出来ないかもしれないけど、大野さんのこの問題に入り込んだ志を、ボクは理解できる。

 その志を続けるためには、この難病を克服しなければならない。ボクは、大野さんの本を買って読むことで、支援したいと思う。

 このブログを読んでいるあなた、この本読んで!!そして買ってあげて!!続編が出たんだって。『さらさらさん』(ポプラ社、2013年)、開沼博共著 『1984 フクシマに生まれて』(講談社、2014年)、『シャバはつらいよ』(ポプラ社、2014年)。
 
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夕焼け

2014-09-14 22:20:54 | 日記
 久しぶりに畑に行った。はじめてつくったとうもろこしの甘さ、おいしさが忘れられなくて、遅く蒔いたとうもろこし。種を買ったとき、まだ大丈夫と言われたけれども、9月に入って暑さがすーっと消えてしまったので、生長しなかった。だからボクは今日、とうもろこしを抜き、畑に穴を掘って埋め始めた。とうもろこしはよい肥料になるというので、穴を掘り、とうもろこしを折って穴に放り込み、そして踏みつけ、土で蔽う。その作業を続けていたら、だんだん暗くなってきて、もうやめようと決めたときには、西の空は美しい夕焼けが広がっていた。

 農作業の後で夕焼けを見ると、子どもの頃のことを思い出す。我が家は先祖から受け継いだ田を所有している(今は、作っていただいている)。中学生の頃までは自作していたので、稲刈りなど夕方まで農作業をした経験を持つ。帰宅する頃には、西の空が赤くなっていて、ボクは母が引くリヤカーの上で夕焼けを見つめていた。

 背景は赤、家々は黒、そしていくつかの窓には、光が見える。このシルエットが何とも言えない。ほんとうに美しいと思う。

 ボクは、とてもとても美しい夕焼けを見たことがある。その夕焼けを見ていて、つくづく生まれてきてよかったと思った。生まれてこなかったら、この夕焼けは見られなかったのだ、と。

 あるとき、アウシュビッツの生き残りの方の手記を読んだ。生き残った方には、ボクと同じように夕焼けをみてみずからが生きているということに感動し、生き続けようと思った人がいたという。

 夕焼けは、命をつなぐ、と思う。
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野枝の海

2014-09-14 18:57:33 | その他


 今年の夏、伊藤野枝のふるさと、福岡市西区今宿を訪れた。暑い日であった。
 今宿駅を出て北に向かう。すぐに唐津街道にでる。左折して少し歩くと交番がある。この交番の位置は、大杉栄や野枝が帰省していた頃から変わらないという。

 交番の脇を右折してまっすぐに進むと、海にでる。玄界灘(今津湾)である。

 「家の裏木戸をでれば、ただちに白い砂浜と荒い玄界灘の波打つ海がせまっている。両手をひろげたように東西から妙見崎と毘沙門山が今津湾をつつんでいる。蒼い水平線のむこうは大空にとけ、白い入道雲がわきのぼっている。手まえには能古島が雄牛がうずくまったように横たわっている。」
 これは、井出文子『自由 それは私自身』(筑摩書房、1979年、22頁)の描写である。野枝は、この海を思う存分泳ぎ回ったという。その海が、ひろがる。

 海岸に沿って建つ野枝の実家。もちろん今は建てかえられているが、そこには甥の伊藤義行氏が住む。私は訪問して、伊藤さんからいろいろなお話を伺った。昨年『伊藤野枝memorial90』が開催されたが、この地では墓前祭のようなものはしていないという。こちらにある墓石の変転もあるように、野枝はタブーとされてきた。90年が経過してやっと野枝の記憶を呼び起こそうという動きがでてきた。

 辞去した後しばらく海岸に座り海を見ていた。海は、とても穏やかであった。
*************************************
明日15日は、静岡市で講演会と映画上映が行われる。16日昼、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一の墓がある沓谷霊園で、墓前祭が行われる。

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「生活保護」の終着点

2014-09-14 07:20:53 | 政治
 生活保護受給者が増えている。格差拡大は、とどまるところを知らない。円安で輸出産業の代表、自動車業界は大もうけをしているだろう。政府も輸出を増やすという名目のもとに、円安を進めた。しかし、円安が進んでも輸出は増えない。その反面、輸入価格が上昇し、庶民の生活を直撃している。今年四月からの消費税増税も追い風となって、消費が冷え込む。何度も書いているように、給与生活者の給与が少し上昇したかもしれないが、社会保険料などの増額により可処分所得は決して増えてはいない。減っているのではないか。

 当地にあるスズキ自動車も、輸出が増えて大もうけしているのだろう。しかし浜松地方の景気は冷え込んでいる。消費が動かない、何人もの人からそういう話しを聞いている、

 こういう状況の中、生活保護受給者が増え続けているという。経済政策の失敗もその背景にある。しかし政府など、その政治の責任をとるわけではない。いつの時代も、政治の中枢は無責任を貫いてきた。

 生活保護受給額を減らすべく、親族などに負担させようという政策が強化されている。こういう事例が、『東京新聞』にあった。何も考えない行政。なんの配慮もしない行政。こういうことがなぜまかり通るのか、深刻に考える必要がある。


何時、誰もが扶養義務者   2014年9月10日

 「あなたの親族にあたる次の方は生活保護を受給中です。できる範囲内で扶養援助してください」

 医療法人事務職、城世津子さん(55)のもとに今春、大阪市住之江区から、こんな文書が送られてきた。

 「親族にあたる次の方」というのは、三十五年前、母親と離婚した城さんの父親だった。

 父親はギャンブル漬けで借金を重ねた上、家族に暴力をふるった。十九歳のとき城さんは父親に殴られ、前歯を折る大けがをした。三十年以上音信不通で、親戚から死亡したと聞かされていた。

 文書は城さんの二人の妹のほか、大学生のめい、結婚したばかりのおいの新居にまで届いていた。

 住之江区は戸籍などから親族の住所を調べ上げ、互いに存在を知らない孫にまで、機械的に文書を送り付けていた。「思い出したくもない過去を突きつけられた。怒りとともに恐ろしさを感じる」と城さんは言う。

 厚生労働省の指針では、二十年以上音信不通など、受給者との関係を断った親族への扶養の照会は不適切と定めている。

 七月に改正生活保護法が施行され、扶養義務者への圧力が強化された。城さんのようなケースが増えるかもしれない。何時、誰もが当事者になる可能性がある。 (上坂修子)



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