浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

安倍政権ののめり込み

2015-01-20 20:03:26 | 政治
 安倍政権の集団的自衛権行使は、アメリカと共にイスラムとの敵対関係にはいることを意味する。

 安倍首相は、財界人を伴って世界中をまわり、カネがない、財政が厳しいといいながら、惜しげもなく世界各国にカネをばらまいている。そして今回の中東訪問でも、イスラム国と戦うためということで、カネを援助することを約束した。

 そしたら、日本人二人を拉致したイスラム国関係者が、イスラム国と戦うためにだす2億ドルをよこせと言ってきた。

 安倍は、今日の演説では、カネの使途は難民支援などと語っていたが、最初にイスラム国と戦うためと言明していたから、こういう事態を招いたのだ。

 いずれにしても、安倍はこの二人を責任を持って救出すべきであるし、日本人も安倍がこれまで以上にアメリカの戦略にのめり込んでいけば、世界各地で、いや日本国内でも、日本人がテロの標的になっていくことだろう。

 日本は、欧米のようにイスラムを抑圧したり、植民地化したりしたことはない。そういう立場を善用して、イスラムと欧米との間に入り、世界平和の道筋をつけていくことができるはずだ。

 ぜひ、そういう方向に動いていって欲しいと思う。日本人をテロの犠牲にしてはならない。
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【本】塩崎賢明『復興〈災害〉』(岩波新書)

2015-01-19 21:43:22 | 
 昨日は、阪神淡路大震災から20年。しかしその「復興」は未だ達成されていない。ということは、2011年3月に起きた東日本大震災の「復興」も、ということである。特に後者は、福島原発の事故・放射能汚染による国土の「消失」により、完全に「復興」するまでには、果てしのない時間を必要とする。

 さて本書は、日本政府の「復興」が、「創造的復興」という名の「開発的復興」であり、被災者の生活再建は後回しにされる、まさに財界をよろこばせるためのハードやハコモノづくりにほとんどのカネを費消するものであることを証明する。

 その「開発的復興」のためのカネはどこからもってくるか。阪神淡路大震災の場合は、増税はしなかったが、東日本大震災の場合は、増税を行った。そのとき、民主党政権であったが、のちに首相となって民主党政権を最終的に幻滅に追いやった野田佳彦が財務大臣で、彼は「増税なくして復興なし」を主張し、増税を実現した。

 すなわち、所得税は今後2013年から25年間、税額の2・1%増額、個人住民税の均等割が2014年から今後10年間、1000円上乗せ、退職金に対する市民税10%減額が2013年から10年間廃止、そして法人税の増税(減税を2年間遅らせるだけ)。しかし法人税のそれはあっという間になくなった。つまり国民から集めたカネで、財界を儲けさせる「開発的復興」にいそしむという構図である。

 さらに問題なのは、その「復興」予算、被災地ではなく、全国各地で費消された。流用がメディアに報道されたことは記憶にある。

 ことほどさように、「復興」は、被災者に対しては冷たいものであることが記されている。

 日本は、いつ大きな災害に見舞われるか分からない状態だ。だからこそ、阪神淡路大震災、東日本大震災で、どのような「復興」が行われたか、しっかりと見ておく必要があろう。そのために、本書はどうしても読まなければならないものだ。

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安倍政権に囲われるメディア

2015-01-19 09:06:32 | メディア
 これを読んで欲しい。権力に取り込まれる「第4の権力」。

http://lite-ra.com/2015/01/post-797.html
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【本】保阪正康『60年安保闘争の真実』(中公文庫)

2015-01-18 20:14:11 | 
 本書は、1986年、講談社現代新書で発刊されたものが、2007年中公文庫で再刊されたものである。約30年前に書かれたもの。

 今年は、2015年。敗戦後70年である。何々から○○年、となると、過去の歴史的事件を振り返ることが出版界でなされる。たとえば、昨年は第一次世界大戦100年ということで、第1次大戦に関わる本が、たとえば岩波書店などから発刊されている。

 今年は、ただ単に1945年に終わった戦争を振り返るだけではなく、現在に至る「戦後」という時代を振り返ることも必要だろうと思う。というのも、現在、戦後の枠組みが、本当は大きな音を立てているのだがふつうの人には聞こえないように、ガラガラと瓦解しはじめているからだ。戦争という一大経験を経て出来上がった「戦後体制」を、今、日本は捨てようとしている。

 だとするなら、戦後の70年はいったいどういう時代であったのかを考えることはとても必要なことではないか。

 ボクも、その一環として、戦後の諸々の社会運動が何を獲得してきたのか、何に気がつかず、何かを打ち立てるべきであったにもかかわらず何を課題として残してきたのか・・・、そういうことを、静岡県というフィールドに照準をあてて考えていく仕事を引き受けている。

 本書はその仕事に資するのではないかと思って読んだものだ。

 戦後の社会運動で、もっとも大きな事件は、60年安保闘争である。この闘いをどう捉えるかは戦後社会のありかたを考える時に避けて通れないだろう。

 保阪は、安保闘争は岸内閣に対する反感が原動力であった、だから岸から池田内閣に変わったら、闘争に参加していったエネルギーは「こんどは富を求めてつき進むことになった」。

 そして朝日新聞の富森叡治の意見に全面的に賛成すると書く。それはー

 日本国民にしてみれば、60年安保闘争というのは反米、民族主義、平和主義など国民の不平不満を吸収するための一種のガス抜きであった。同時に、戦前はもう真っ平御免だ、戦前の国家体制は真っ平御免だという国民の意思表示でもあったと思う。

 今、しかしその孫が、「戦前の国家体制」に近接させようとしている。だからこそ、「戦後」を考えなければならない。
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畑に行く

2015-01-18 16:10:54 | 日記
 久しぶりに畑に行った。ホームセンターに行くと、種となるじゃがいもがもう販売されていたので、じゃがいもを植えるところをつくらなければならない。すでに耕してあるので、畝をつくるのだ。

 畑に行ったら、ほうれん草を収穫したところに何かの苗が17仮植えしてあった。誰かがくれたのだろう。まずそれを大事に、植え替えた。

 そしてじゃがいもの畝をつくりはじめたら、ほりかえしたところを鳥が行ったり来たりしている。ボクのすぐ近くまで来た。なかなか可愛いものだ。

 それが終わってから、雑草をとる。畝と畝との間の日当たりが良いところに生えている雑草は伸びているが、寒風が直接あたるところの雑草は、土にぴったりとくっつくように生えている。そしてなかなか根も深い。毎年毎年、同じ雑草が同じ時期に生える。自然というのは、四季にあわせて繰り返す。

 紫カリフラワーが大きくなっている。もう収穫できるような気がする。ほうれん草も、寒さのために土にぴったりとくっついている。かき菜は、花の芽を出していた。早生のたまねぎも寒いのに、順調に育っている。

 農業をはじめて5年くらいになる。だんだんその面積をひろげている。今は、自宅や親せき、近所、そして知り合いに収穫した野菜をわけているが、こえからは販売しようかとも思う。

 周囲の人から教えを請いながら、何とかやってきたが、そろそろ自立する時期に来たように思う。

 植物相手はいい。世の中にはいい人間ばかりではない。なかには上昇志向の強い人、抜け駆けをする人、裏切る人、突然理由も言わずに去って行く人・・・。人間関係は難しい。しかし植物は手をかければ応えてくれる。植物と対話しながら生きるほうがいい、と思うようになってきた。

 民主党の代表に、もっともなって欲しくない人が選ばれた。自民党とあまり変わらない考え方をもつ人だと思う。辺野古の新基地建設にも賛成のようだ。民主党関係者も、沖縄差別に疑問を抱かないのだろうか。



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日本に於ける言論テロ

2015-01-18 09:45:01 | メディア
 フランスにおけるテロ事件、それに関する「表現の自由」をめぐる議論。それは、「表現の自由」は尊重擁護されるべきであることを前提に進められているが、「従軍慰安婦」問題始め、歴史認識に関わる議論については、日本でも「言論テロ」が行われている。

 それはNHKに対する安倍晋三という人物の権力的な介入による改ざんや、「慰安婦」報道に対する朝日バッシングにも表されている。また悪質なヘイトスピーチの問題もある。

 自国で起きている問題をスルーして議論がなされていることに、ボクはメディアの鈍感さを感じる。

 さてそれを厳しく論じる文を発見した。

http://lite-ra.com/2015/01/post-795.html

 安倍信三は、今まさに、もと朝日新聞記者におこなわれている「言論テロ」に関して、何も語らない。もちろん批判もしない。

 メディアも、他国で起きていることについてはあーだこーだといろいろ論じる。責任がないからだ。しかし足下で起きていることを、もっと真剣に考え報道すべきなのである。

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阪神大震災20年

2015-01-17 19:24:39 | 日記
 20年前の今日、ボクはテレビで炎と黒煙のなかで燃え上がっている街並みをテレビで見つめていた。その炎と黒煙の中で、恐ろしい事態が起きているのを想像しながら、見つめていたことを思い出す。

 そして火が消えたあと、ボクは神戸に行った。そして長田地区を歩いた。空襲に見舞われた街の残骸がずっと続いていた。ボクは、カメラを持って行かなかった。ただ、その姿をみずからの目に焼きつけておこうと思って、歩き回った。

 それからボクは何度かその地を訪れた。それはいわゆる「復興」してからだった。しかしきれいな新しい建物はあったが、人びとはいなくなっていた。行き会う人びとは、エネルギッシュではなかった。本来店が入るべき建物には店がなく、とりわけ2階や地下はシャッターがおりていた。

 5,6年前に行ったとき、ボクはNPOの人たちからいろいろ話を聞いた。阪神大震災の記憶を維持しながら、街の再興をめざし何とかしようという意欲をもっていた。
 そして、罹災した人びとが住まう住居にもいったが、しかし人のざわめきはなかった。

 神戸の中心地・繁華街には、大震災の記憶をまったくもたないような人びとが行き交っていたが、神戸にはいつ行っても光と影があるように思えた。

 「復興」という名の都市計画、そこに住まう人びとのことは二の次、三の次というような「復興」であったように思えた。

 「復興」というのは、震災を利用してでもカネ儲けようとする企業と、それに全面的に協力する「自治体」の合作による非人間的な施策であると思った。おそらく東日本大震災でも同じような構図があるのだろう。

 阪神大震災の被災者個人への補償をしようとしない政府や自治体に対し、「これが人間の国か」と問い続けた小田実を思い出す。
 
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【本】尾形誠規『美談の男』(鉄人社)

2015-01-17 14:29:41 | 
 午前中は晴れていたのに、今は曇り。少し前まで激しい雨が窓を打っていた。風も強い。冷たい日である。

 本書は4年以上前に出た本だ。最近まで知らなかった。しかし読んでよかった。ここには一人の人間にまつわるドラマが書かれている。もちろん一人だけではない。その一人に関わった様々な人のドラマが記されていた。

 それらの人びとをつなげたのは、熊本典道であり、また冤罪のデパートと言われる静岡県の冤罪事件・袴田事件であった。

 熊本は、袴田事件の第一審判決を書いた裁判官であった。死刑判決。ただ、彼は袴田巌さんは無罪であると判断していた。しかし合議制の裁判であったから、有罪と考える他の二人の裁判官の結論をかえることはできず、主任裁判官として死刑判決を書く羽目に陥った。

 熊本が、そのことを公然と話すようになったとき、すでに熊本は法曹界から離れていた。また生活もかなり苦しい状態にあった。

 なぜ熊本は、みずからそのような証言をするようになったのだろうか。それを知ろうとして、著者は取材を始めた。その過程を、みずからの考えを交えながら記した本がこれである。なかなか読ませるし、いろいろ考えさせられる内容であった。

 自分に能力があることを確信もし、自尊心も高く、自信をもったエリート裁判官であった熊本にとって、自らの判断と異なった判決を書かざるを得ない状況に追い込まれたこと、そしてそれが死刑判決であったこと、これがおおきなしこりとなって熊本のその後の人生を決定していった面が強かったのだろうと、ボクは思った。

 裁判官を辞めた熊本はその後弁護士として、高収入を得、羽振りが良い生活を得ていたが、時に自己破滅的な動きが湧き上がり、家庭を破壊し、みずからの経済生活も破壊していった。

 その熊本に振り回された家族や周辺の人びとは、熊本のまわりから去って行ったのだが、人生の喜怒哀楽を突き抜けて生きる人びとには、熊本の存在は、好ましいものに映っていた。だからこそ、彼は生き抜くことができた。人間は一人では生きていけないから、当たり前のことだ。

 しかし、警察の思い込みと不当な捜査によりつくりだされた冤罪事件としての袴田事件が、袴田巌さん、そしてその家族たちを過酷なまでに苦しめただけではなく、裁判官であった熊本とそれにつながりをもった人びとをも苦しめたということを、しっかりと知らなければならないと思う。

 袴田事件は、冤罪事件として解決されるであろうが、事件が引き起こした様々な波紋は、きちんと語りつがれなければならない。その波紋のひとつが熊本の生の軌跡であり、またその軌跡に交わった人びとの軌跡である。

 よい本である。この本、浜松市図書館から借りた。
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バカなテレビ

2015-01-17 09:25:09 | メディア
 今日の『中日新聞』の「ネットで何が・・・」で指摘していることをテレビ関係者はしっかりと考えるべきだ。

 19歳の少年が、犯罪を犯しながら逃亡しながら、その行為をユーチューブで流している。その映像をテレビ各局が流しながら、道徳をたれている。

 昨日、車で静岡へ行った。車内でテレビの音声だけを聞いていたら、ながながとそのことについて、ユーチューブにアップされた映像を流しながら、コメンテーターがあーだこーだと語り合っていた。

 こんなことよりも伝えるべき重要なことがあるだろうに、アホなことを放映する。テレビの劣化極まれりである。

 こうすればするほど、19歳の少年は注目されていることに喜びをかんじていることだろう。

 この記事の筆者、中川淳一郎氏は、「うんざりしているのは、この少年の行為だけではない。あまりにも過剰に騒ぐテレビ番組に、である」に同感である。
 ボクは、車の中で聴いていただけだが、これはテレビが飛びつきやすい事件だなと思ったら、その通りになったようだ。

 
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首相演説も、アメリカが事前チェック

2015-01-15 20:40:56 | 政治
 今日の『東京新聞』夕刊の記事。日本の「属国」状態を示す記事。他紙も報道している。


米圧力で首相演説修正 65年沖縄訪問時 佐藤氏「基地重要」

2015年1月15日 夕刊

 一九六五年八月に当時の佐藤栄作首相が米国統治下の沖縄訪問時に行った演説に関し、基地の意義を強調するよう求める米側の圧力で内容を修正していたことが、十五日公開の外交文書で明らかになった。冷戦下を念頭に「極東の平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要」との一節を加え、実際に読み上げた。基地存続を前提とする文言で、米軍普天間飛行場を含む沖縄の過重負担問題に影響を及ぼしたと分析できる。

 佐藤氏が沖縄訪問時に、米側現地トップのワトソン琉球列島高等弁務官との会談で「返還は日米安全保障条約の下に実施したい」と伝えていたことも判明した。当時米国は七〇年の安保条約延長の見送りを懸念しており、佐藤氏としては米側に延長を示唆する意図があったとみられる。

 佐藤氏の沖縄訪問を受け、沖縄返還交渉は六七年から本格化し、七二年の返還実現につながった。

 佐藤氏は六五年八月十九日に沖縄を訪れた。二日前の十七日付で外務省が作成した文書などによると、日本側と在日米国大使館担当者が十七日、佐藤氏の現地での演説内容をめぐり協議した。

 米側は、事前に受け取った那覇空港到着時と映画館「国映館」での演説案について「沖縄の戦略的、軍事的重要性に言及していない」と指摘。「極東全般のみならず日本防衛に有する重要性を述べることを強く希望する」と迫った。

 日本側は「首相決裁後で変更は困難」と伝えた。しかし、米側は翌十八日の協議で「ワシントンより訓令」とした上で「米国施政への軽蔑」「このままでは沖縄での日米協力関係に障害があり得る」と、強い口調で対応を求めた。

 結局、日本側は佐藤氏の判断で国映館の演説については譲歩し、十八日中の再協議で「わが国は安保条約で米国と結ばれている。沖縄の安全がなければ日本本土の安全はない」などの内容を加えた案を米側に手渡した。

 一方、日本側は空港到着時の演説最終案に、当初案にはなかった「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていない」との有名な一節を盛り込み、佐藤氏は返還への強い決意をアピールした。
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シャルリー・エブドのこと

2015-01-15 08:19:11 | 社会
 『シャルリー・エブド』の最新号が発刊された。表紙は、ムハンマドが涙を流しながら「私はシャルリー」というアピール文をもっているという図柄である。そしてバックにはTout est pardonnéが記されている。

 さてこの表紙をどう読み解くか、フランス語をまったく知らないボクは、何とも言えない。

 そのことばを、フランス語の理解を背景に読み解いた文が下記にある。

http://synodos.jp/international/12340

 どういう意図であの画を描いたのか、そしてそこにつけられている、Tout est pardonnéにどういう意味を付与しようとしたのかはボクには判断できないが、しかしムハンマドを描かないという原則はムスリムの間では一般的である。上記のサイトに、いやそういう例があると記されているが、しかしそれは稀である。

 昨日の『毎日新聞』に、「仏連続テロ:「表現の自由、制限ない」風刺画家が会見」(2015年01月14日)という記事があった。その一部を掲載する。

 仏週刊紙「シャルリーエブド」襲撃事件で、14日発行の特別号の表紙となるイスラム教預言者ムハンマド(マホメット)の風刺画を描いた風刺画家のルス氏らが13日、パリ市内で記者会見した。ルス氏は、一部のイスラム教徒などが風刺画掲載続行に懸念を示している状況について、「表現の自由は、条件や制限がついたものではない」と述べ、風刺やユーモアへの理解を求めた。またルス氏は襲撃現場となった同紙編集室に遅れて到着した時に目撃した惨状についても語った。【パリ篠田航一、宮川裕章】

 ボクは、「表現の自由は、条件や制限がついたものではない」ということばには、若干の抵抗を感じる。「表現の自由」があるから、いかなることでも「表現」してよいのかというと、そうではないだろうと思う。

 ボクは、その際、東京新大久保や大阪の鶴橋などで起きている「ヘイトスピーチ」を思い浮かべる。「朝鮮人を殺せ」「いい朝鮮人も悪い朝鮮人もいなくなれ」というような罵詈雑言を、公然と街の中で叫んでいる人びと、この「ヘイトスピーチ」により、在日の人びとが精神に大きな打撃を受けている。

 「表現の自由」にも、内在的な制約はあるだろう。以前ある女性作家が知り合いのプライバシーを小説化したことがあった。確か、その際の判決はその知り合いが勝訴したと思う。

 様々な事例を考えていくと、まったく自由の「表現」が保障されているわけではなく、そこには内在的な制約があると考えるべきであろう。

 今度の『シャルリー・エブド』の問題も、もちろんテロでその社員らを射殺するなんてことはあってはならないことであるが、その雑誌がイスラム文化への理解を欠いたまま、ムハンマドを揶揄するような図画を何度も掲載することは、ムスリムを刺激することは明らかであるだろうし、同時にボクはそうした図画に「差別の視線」を感じてしまう。もちろんそれは、フランス人によるイスラム世界への「差別の視線」である。

 その意味で、E・サイードの『オリエンタリズム』や『イスラム報道』は読むべきで、日常的な意識の中に潜在している差別を自覚すべきなのである。

 「表現の自由」について、「ヘイトスピーチ」の問題、そしてこの『シャルリー・エブド』の問題などを題材にして、考えるべきなのである。

 メディアでも、そうした視点の記事や報道が増えてきているようだ。

 今日ボクは、某所で「イスラム文化ー理解すること、共生すること」と題する講演を行う。

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教員のごますり

2015-01-14 23:01:42 | 社会
 『毎日新聞』の記事。教員の中には、こういうゴマすりがいるのだ。


大阪府教委:「橋下徹さんは働き者」英語教材例文で

毎日新聞 2015年01月08日 07時30分(最終更新 01月08日 16時39分)

 大阪府教委がインターネット上で公開している英語教材の中に、橋下徹大阪市長の仕事ぶりをアピールするような表現の英文があったことが分かった。外部から「政治的中立性の観点から問題だ」と指摘を受け、府教委は6日から当該の教材を公開中止にした。

放課後学習や家庭学習用として、府教委が小中学生向けに主要教科のドリルを作成し、無料で公開。教員や生徒らが自由に印刷して使っている。

 指摘を受けたのは、中学1年の英語で習う「三人称単数現在形」を学ぶ問題。「My name is Toru Hashimoto. I work hard for people in Osaka.」(私の名前は橋下徹です。大阪府民のために一生懸命働いています)という英文を、「橋下徹」を主語にして書き換えさせる問いで、解答は「Toru Hashimoto works hard for people in Osaka.」(橋下徹は大阪府民のために一生懸命働いています)。

 府教委によると、当該部分は、橋下氏が府知事時代の2008~10年度に指導主事らが作成し、公開され続けていたとみられる。橋下氏自身は作成に関与していないという。府教委の担当者は「不適切だった。きちんとチェックすべきだった」と話している。

【大久保昂】
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無線LAN

2015-01-14 09:10:29 | 日記
 昨夜、ネットを見ていたら突然つながらなくなった。その修復に約1時間をつかった。

 ボクの家は無線LANにしている。無線LAN親機はBUFFALOのWZR-300HPである。パソコン3台、プリンター2台、IPADをこれらにつなげている。パソコンで何らかの文書を作成し、その場所からプリンターを選んで(モノクロレーザープリンターであるブラザーHL-2270DW、インクジェットカラープリンターであるブラザーDCP-J552N)エンターンキーをたたけば、印刷できる。大変楽である。
 他にもプリンターは、キャノンのBJ-F850をもっている。これは無線LANに対応していないので一台のパソコンに有線でつないでいる。この機種、キャノンがインクで金もうけをしようと考える前のもの。インクはあまり減らないし、純正をつかわなくてもきれいに印刷できるし、故障もしない。その前はエプソンを使っていたのだが、これはあまり調子がよくなかった。これに替えてからたいへん具合が良くなったので、プリンターはキャノンが良いと薦めていた。
 その後もう一台必要になって、キャノンの新機種を購入したことがあるが、インクの純正を使わなかったらすぐに故障。純正を使っていない場合はどうのこうのと書いてあったので、修理もせずに捨てた。キャノンはこれで絶対に買うまいと決めた。純正インクは高いし、それ以外をつかうと故障するし・・・しかし、1999年に発売されたBJ-F850は、今も大変元気である。インクの販売がなくならないことを祈っている。
 その後は前述のように、ブラザーを買っている(DCP-J552Nは、回線業者からもらったもの)。コストパフォーマンスがよいからだ。インクで儲けようというキャノンやエプソンは買わない。

 さて、昨日の故障であるが、調べたら、回線業者(NTT西日本の光)の機器と無線LAN親機がつながらなくなっていた。さてどうしたらよいか、パソコンにはそれらをつなげるためにいろいろな数字やパスワードなどを入れろという画面がでてきた。しかし無線LAN親機を購入したときに、そうした文字を打ち込んだ記憶はない。そこで有線でつないで、ネットでいろいろ調べたが、わからない。打ち込むべきIDやパスワードはBUFFALOのHPに記されていたが、画面が要求するすべてが示されているわけではない。

 そこで、回線業者の機器を再起動させたり、無線LAN親機の電源を落としたりしたら、とつぜんつながった。

 ところで、無線LAN親機は2階にある。一階でパソコンをつかうと、時々切れたりしたので、中継器を購入した。BUFFALOのWEX-300である。これを一階においたところ切れることはなくなった。

 ボクの友人は、ボクよりもずっとはやくパソコンを使い始めたのに、インターネット環境の状態に苦しんでいる。いろいろ助言をするのだが、改善しないようだ。中継器も購入したようだが、説明書をきちんと読んでセットするという気持ちがないようで、改善されない。

 ボクは他人に尋ねるのではなく、自分で調べて、自分で購入して、自分でセットする。その経験を伝えているのだが、あまり言うことを聞いてくれない。

 他の友人も、プリンターを購入したい、ハードディスクを購入したいというので、これこれこれのメーカーがよいと助言したのに、店で推薦されたものを買ってきた。前者はHP製品、後者は東芝製品を買ったとのこと。プリンターにしても、ハードディスクにしても、普通は買わないメーカーだ。彼からはパソコンについてボクに質問するために、電話がかかってくる。あまりの初歩的な質問に驚くことがある。彼は東京に住んでいる。彼はボクの上京を待っている。質問を箇条書きにして待っているそうだ。

 試行錯誤を通して学んでいく。ボクはそうして学んできた。パソコンにしてもそれ以外のものでも、そう簡単に壊れることはない。いろいろ試みて失敗しながら学び、前に進む。それがいちばんのようだ。
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ユニクロ製品は、過酷な支配下の労働者がつくっている

2015-01-13 10:08:45 | 社会
 ユニクロは、日本国内でもブラック企業であるが、国外の製造現場でも真っ黒の企業である。

 下記にその報告がある。

http://hrn.or.jp/activity/event/ngo-4/
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こういう時代になっている

2015-01-13 10:04:50 | 社会
 『産経新聞』の記事である。全文を貼り付ける。

【関西の議論】安倍首相夫人・アッキーも感涙…園児に教育勅語教える“愛国”幼稚園 「卒園後、子供たちが潰される」と小学校も運営へ


 「教育勅語」や「五箇条の御誓文」の朗唱、伊勢神宮への参拝・宿泊…。大阪市淀川区に超ユニークな教育を園児に施している幼稚園がある。塚本幼稚園幼児教育学園。安倍晋三首相夫人が同園を訪れたとき、園児らのかわいらしくもりりしい姿を見て、感涙にむせんだという。さて、その塚本幼稚園の籠池泰典園長が、小学校運営に乗り出している。現代教育のゆがみをも映し出すその理由とは-。(服部素子)

昭恵夫人「安倍首相に伝えます」

 「夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)己を持(じ)し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ…」。園庭に2~5歳の園児約150人の大きな声が響く。

 教育勅語(正式には「教育ニ関スル勅語」)は、明治23(1890)年に発布され、第2次世界大戦前の日本政府の教育方針の根幹となった文書。なぜいま、教育勅語なのか。

 「子供に学んでほしいことは何か、とつきつめたとき、その答えが明治天皇が国民に語りかけられた教育勅語にあったからです」と籠池泰典園長(61)の答えは明快だ。

 あどけない幼児が大きく口をあけ、難しい言葉を朗唱する姿を初めて見た人は一様に驚き、感動する。安倍首相の昭恵夫人もそのひとりだ。

 昭恵夫人は昨年4月、同園の視察と教職員研修のため訪れたとき、鼓笛隊の規律正しいふるまいに感動の声を上げた。さらに、籠池園長から「安倍首相ってどんな人ですか?」と問いかけられた園児らが「日本を守ってくれる人」と答える姿を見て、涙を浮かべ、言葉を詰まらせながらこう話したという。

 「ありがとう。(安倍首相に)ちゃんと伝えます」

子供と教師が「なあなあ」でいいのか

 同園は昭和25(1950)年の開園。全国初の学校法人立幼稚園だという。

 籠池園長の就任は61年。他の幼稚園関係者との会話の中で、前職の公務員時代に抱いていた思いが頭をもたげてきた。

 「教育関係者と接していたとき、教師と教え子の“なあなあ言葉”での会話を聞いたり、教師のジャージー姿を目にしたりするにつけ、違和感を覚えました。根底に幼児期の『徳育』の欠如があるのでは、と感じたんです。園の先生たちと話していて、改めてその思いが強くなったんです」

 そんなとき、平成7(1995)年1月、阪神大震災が起きた。

 「あのときの日本人の行動には、人としての矜持があった。この矜持を育むことこそ教育。それから当園の教育の根幹を12の徳目に置き、『教育勅語』や『五箇条の御誓文』の朗唱を始めたんです」

 12の徳目とは、親や先祖を大切に▽兄弟姉妹は仲良く▽夫婦はいつも仲睦まじく▽友達はお互いに信じ合い▽自分の言動をつつしみ▽広くすべての人に愛の手を差しのべ▽勉学に励み職業を身につけ▽知識を高め才能を伸ばし▽人格の向上につとめ▽広く世の人々や社会のためにつくし▽規則に従い社会の秩序を守り▽正しい勇気を持って世のため国のためにつくす--その基となっているのが「教育勅語」なのだという。

 また、基礎体力作りとしての剣道、スイミング、ラグビーや、日本の伝統文化を身につけるための将棋、そろばん、論語、書道。また、創造性を養うものとして、鼓笛隊や大正琴、日本太鼓も授業に組み入れた。

せっかく身につけたことが…

 籠池園長は現在、大阪府豊中市に私立小学校「瑞穂の國記念小學院」の建設を進めている。開校は平成28年4月を予定。目指すのは「礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」教育だ。

 なぜ小学校運営なのか。籠池園長は説明する。

 「集合時にだらだらとしていたり、子供が先生と友だちのようにしゃべったりというのが『普通』になっている小学校に、当園を出た子供たちが入っていくと、自分の根っ子に不安を持ち始めるんです。せっかく、当園で身につけたことが潰される…。それで小学校をつくることにしたんです」

 たしかに、記者が小学生だった昭和の時代は、普通の公立の小学校でも登下校時に先生にあいさつするのは当たり前で、わざわざ「あいさつしなさい」と注意された覚えもないし、先生との会話は敬語だった。

 新設する小学校は木造2階(一部3階)建て。敷地面積は約8700平方メートルで、教室にはそれぞれ6・6平方メートルの畳敷きのバルコニーを設ける。江戸時代にあった岡山藩の藩校「閑谷(しずたに)学校」をイメージした講堂1階は、板張りの間と和室があり、修身や茶道などの授業が行われる。

批判や嫌がらせにも揺るがぬ決意

 実は、幼稚園運営だけでも苦労は多い。日の丸を掲げ、君が代を斉唱し、皇族が関西に来られると、園児を連れて奉迎に出向く…という教育方針への批判の声は多いという。正面からの批判ならまだともかく、園の玄関に掲げた日章旗を盗まれるといった嫌がらせを受けたことも。

 「でも、そういう時代はもう過去になったと思います。古来、日本人は八百万(やおろず)の神を崇め、祀ってきました。子供のころ、よこしまなことを考えると『神様が見てる』という言葉が、常に心を射ました。そういう教育を行う小学校にしたい」

 籠池園長は笑顔の中にも決意を込めてこう語った。
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