テレビを見ないから、私の精神はすごく安定している。日本の首相が語っている動画を見ることがないからだ。
私は『東京新聞』をネット(紙面ビュー)で読むために『中日新聞』(東海本社版)を購読している(ネットで読むために毎月324円を払っている)。『東京新聞』と『中日新聞』は、同じ中日新聞社が発行しているが、内容はかなり異なる。『東京新聞』がネットで読めないなら、私は当然『中日新聞』の購読はやめる。『中日新聞』(東海本社版)は、ブロック紙としてのプライドを持っていない。県紙である『静岡新聞』と覇権を争う地域紙的な存在である。『中日新聞』(東海本社版)は、静岡県東部をカバーしていない、ということは、静岡県全体をカバーすることなく県中部から西部にかけて、西部を中心とした地域紙として存在しているとしかいいようがない。ただ『中日新聞』は、相対的にBetterな新聞であることは確かである。
だから私は、『東京新聞』を読み、また今月から毎月980円を出して『朝日新聞』記事を月300本まで読めるというコースに登録した。なぜなら、新しい記事は、『東京新聞』HPの場合は共同通信社の短い記事を載せているだけで、内容をもった記事は、『朝日新聞』のほうを読むしかないからだ(朝夕刊に掲載した記事は読める)。共同の記事は、ネットに流す記事と加盟新聞社などが購入する記事とは異なっているようで、ネットに流す記事は要点だけでまったく役に立たない。記事を読んでいると、『朝日』には有能な記者が多いと感じる。論説などは評価していないが、各支局にいてニュースを追っている記者には有能で高い問題意識をもつ者が多いように思える。
基本的に、私が得る情報は、『東京新聞』の紙面ビューと『朝日新聞』のネット記事からである。もちろん『東洋経済新報』などのネット記事もアクセスしていろいろな情報に接してはいるが、テレビメディアからは皆無である。もちろんNHKなんかまったく見る気がしない。
NHKの8月の番組にいいのがあったといわれるが、もちろん私は見ていない。そういう番組があるからと言って、NHKの犯罪性は帳消しにはならない。書棚から『NHK-危機に立つ公共放送』(岩波新書)を取り出し読み始めたが、NHK全体が腐臭を放っているのであって、少しくらいよい番組があっても、私は評価しないし、よいといわれる番組を見たいとも思わない。
さてノーベル平和賞のサーロー節子さんの演説に感動したことを書いたが、何とNHKなどテレビはほとんど報じていないそうだ。
ICANノーベル賞授賞式でサーロー節子さん感動のスピーチも日本マスコミは無視! 普段は“日本スゴイ”が好物なのに
ICANの受賞、サーロー節子さんの演説を報じないで、メディアの存在意義はあるのか。
私は皆さんに、テレビを捨てよう!と提案したい。テレビを見ない方が、精神的には落ち着いた生活ができるはずだ。テレビを見なければ、あの畜生道にはまったNHKに受信料なるものを払う必要はないのだ。
私は、今、AmazonMusicにつないで、軽やかな音楽を聴きながらこれを書いている。テレビを見なければ、不要な、くだらない情報に接することなく生活できるはずだ。