ナイジェリア出身の女性作家であるチママンダの『アメリカにいる、きみ』を読んでいる。そのなかに、「半分のぼった黄色い太陽」がある。読んでいて、潰えたけれどもビアフラの独立運動の渦中での悲劇が描かれていた。
百科事典マイペディアでは、こう記されている。
1967年―1970年にわたるナイジェリアの内戦。ナイジェリアの旧東部州のイボ人を中心とする住民が,1967年5月30日,ハウサ人が中核を占める連邦政府に対し,〈ビアフラBiafra共和国〉の独立を宣言。まもなく独立を承認しない連邦政府とビアフラの内戦が始まり,ビアフラは一時は日に餓死者3000人と伝えられるほどの悲劇的な抗戦の末,1970年1月崩壊した。この間餓死者の救援などが国際的な問題となり,和平の試みもなされたが,激しい民族間の対立に加え,連邦政府を支持する英国とソ連,ビアフラを支持するフランス,中国など東西の大国の思惑,および旧東部州で産出する石油の利権もからんでいずれも効果をあげられなかった。
チママンダは1977年生まれであるから、この戦争を体験していない。しかし小説には、妙な臨場感があった。主人公は戦場にいるわけではない。戦場から離れていても、戦争はやって来て、破壊や死が日常化する。戦争はいつも悲劇であるが、しかし人類はそれをやめようとはしない。まったくの愚行である。
読みながら、そういう事件があったことを思いだした。過去の遠いところの事件であった。事件の背後には、ヨーロッパ諸国による植民地支配がある。世界史を振り返ると、欧米人のひとりよがりの蛮行が世界に無数の悲劇を生み出してきた。その蛮行の中で、みずからだけの「豊かさ」をつくりだし、今もその上に乗っかっている。
淡々と記された小説に、この事件が活写されている。こういう事件は忘れてはならない、と思う。チママンダもそういう気持ちを持っているのだろう。日々過ぎさっていく過去が、現在をつくりだしているからだ。