「君が死んだあとで」という映画が上映されている。田舎に住み、新型コロナウイルスの感染を怖れている私はそれを見に行けない。
1967年10月8日、京大生の山崎博昭くんが羽田で官憲によって殺された。そのことに関わり続けようと多くの人が「10・8山崎博昭プロジェクト」をたちあげた。私もその賛同人のひとりである。
今、1960年代後半の学生運動を振り返る企画がつぎつぎと出て来ている。それに影響されて、私も過去の自分を思い出そうとし始めた。
なぜ1960年代後半、学生は(私は高校生であったが)動き始めたのか。私の場合は、ベトナム戦争であった。アメリカ帝国主義がベトナムの人々を殺している、殺すな!その殺戮をだまって見過ごしていてよいのか、という思いがまずあった。ベトナム戦争がなければ、私は鋭敏な政治・社会意識をもつことはなかっただろう。
山崎くんも同じであろう。不正義を見逃していてはいけない、という思い。
だから、小熊英二の『1968』は欠陥品である。小熊は、運動参加の理由は「自分探し運動」だと書いているようだ。といっても、私は読んでいない。いつかは読もうと思っていたが、『社会運動史研究』2(新曜社)における山本義隆の「闘争を記憶し記録すること」を読んで読む必要はないと判断した。カッティングを、小熊は、「印刷したビラを裁断する作業」であると説明している。バカを書くな、カッティングとはガリ切りのことである。
歴史家がこんな大きな間違いを書いたら、即終わりである。歴史社会学だから彼は学者として延命している、としか言いようがない。それほど歴史社会学は、いい加減な主観的な判断が多い。しかしなぜか許されている。
さて、「君が死んだあとで」について、代島治彦監督と四方田犬彦が短い対談をしている。四方田の小熊評に同感である。