浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「君が死んだあとで」

2021-05-04 22:01:42 | 映画

 「君が死んだあとで」という映画が上映されている。田舎に住み、新型コロナウイルスの感染を怖れている私はそれを見に行けない。

 1967年10月8日、京大生の山崎博昭くんが羽田で官憲によって殺された。そのことに関わり続けようと多くの人が「10・8山崎博昭プロジェクト」をたちあげた。私もその賛同人のひとりである。

 今、1960年代後半の学生運動を振り返る企画がつぎつぎと出て来ている。それに影響されて、私も過去の自分を思い出そうとし始めた。

 なぜ1960年代後半、学生は(私は高校生であったが)動き始めたのか。私の場合は、ベトナム戦争であった。アメリカ帝国主義がベトナムの人々を殺している、殺すな!その殺戮をだまって見過ごしていてよいのか、という思いがまずあった。ベトナム戦争がなければ、私は鋭敏な政治・社会意識をもつことはなかっただろう。

 山崎くんも同じであろう。不正義を見逃していてはいけない、という思い。

 だから、小熊英二の『1968』は欠陥品である。小熊は、運動参加の理由は「自分探し運動」だと書いているようだ。といっても、私は読んでいない。いつかは読もうと思っていたが、『社会運動史研究』2(新曜社)における山本義隆の「闘争を記憶し記録すること」を読んで読む必要はないと判断した。カッティングを、小熊は、「印刷したビラを裁断する作業」であると説明している。バカを書くな、カッティングとはガリ切りのことである。

 歴史家がこんな大きな間違いを書いたら、即終わりである。歴史社会学だから彼は学者として延命している、としか言いようがない。それほど歴史社会学は、いい加減な主観的な判断が多い。しかしなぜか許されている。

 さて、「君が死んだあとで」について、代島治彦監督と四方田犬彦が短い対談をしている。四方田の小熊評に同感である。

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「なぜ報じないのか」

2021-05-04 10:37:08 | コロナ

 朝日新聞をもうじき退社する鮫島浩さんが、「「ワクチン接種率が先進国最下位」という事実をなぜ連日、大々的に報じないのか。多くの人がSNSを通じてマスコミに説明を迫ることが大事であろう。」と書いている。 

 「なぜ報じないのか」、言うまでもないことです。マスコミは、権力の一部であり、権力の無能無策・愚策を隠し擁護するものだからです。

 それほど日本のマスコミはその存在意義をみずからなくしているのです。購読者やテレビを見ない人が増えているのは当たり前です。

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まさに「絶望の国」ニッポン

2021-05-04 10:30:08 | コロナ
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無能な日本政府、あるべき政府 ニュージーランドの今

2021-05-04 09:17:34 | コロナ

 ニュージーランドは終息宣言。

 日本は、無能な政治家と官僚、そして出されてくる政策は国民への自粛要請。国民への責任転嫁と動くべき政治家や官僚の責任逃れ。そして基本的に利権につながるところにしか国家財政を出動しない。

 絶望的な日本!

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