浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『林達夫評論集』(岩波文庫)

2021-05-08 22:10:39 | 

 学生時代だったと思うが、久野収と林の対談『思想のドラマツルギー』(確か平凡社)を読んで、その知的レベルの高さ(知的レベルが高さは倫理性に比例すると思った)に驚いた記憶がある。この本は今も保存してあるはずだ。

 林達夫についてその知性を強調していたのは、林史郎くんであった。大学の後輩だが、彼は私の卒業後に自死を選んだ。彼は秩父出身、友人たちと年忌に行った。墓地は大きな木の影に隠れていた。寂しいところであった。

 林史郎くんは、私に福永武彦と林達夫を教えてくれた。今も感謝している。折に触れて、この二人の本を読む。その度に林史郎くんを思い出す。

 さてそれから数十年が経った。林達夫の「歴史の暮方」の出だしはこうだ。

 絶望の唄を歌うのはまだ早い、と人は言うかもしれない。しかし、私はもう3年も5年も前から何の明るい前途の曙光さえ認めることができないでいる。誰のために仕事をしているのか、何に希望をつなぐべきなのか、それがさっぱりわからなくなってしまっているのだ。

 私もまた、新型コロナウイルスの蔓延のなか、あまりの政治社会の不甲斐なさに絶望感を覚え、それが強まっている。果たしてわが国に希望はありうるのかとさえ思ってしまう。

 生きる目標を見失うということ、見失わされるということーこれは少なくとも感じやすい人々にとっては大変な問題である。我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものかーそんな問いを否応なしに突きつけられた人間は、しばらくは途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめくものだ。「よろしくやってゆける」人間は仕合わせなるかなだ。だが、そんな人間の余りにも多すぎるというそのことが、私にとってはまた何とも言えぬ苦渋を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。

 「我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものか」を、思春期に考えはじめた人間は、時々この問いに苦しむ、苦しまされるのだ。齢を重ねてもその問いが頭をもたげる。林も、おそらく思春期にそういう問いを持ったのだろう。時に「よろしくやってゆける」人間を傍から見ることがあり、その存在そのものが苦渋であることを知る。

 すべきことは明確であるにもかかわらず、何もせずに多くの人々を見殺しにする政治家や官僚に、怒りを通り越して呆れるしかないという状況である。

 林達夫の「反語的精神」に、「権力なき知性と団結なき闘志」ということばがあった。権力を持たない知性はただ哀しむだけなのかもしれない。そしてかすかに燃える闘志は、孤独のなかにある。

 林の言葉は、みずからの思考を飛翔させる。

 

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東京新聞、中日新聞は、社として中止を主張せよ!

2021-05-08 21:10:22 | 政治

東京五輪、もはや「詰んだ」状況ではないのか 高まる一方の中止論「早く目を覚まして」「即刻決断を」

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日本政府の「水際」対策?

2021-05-08 20:52:38 | コロナ

 日本政府のダメぶりはもう処置なしだ。政治家も官僚も、すべきことをせずにいったい何をしているのか。給与・報酬をもらう資格はない。

緊急事態下でも「1日700人ペースの外国人来日」が意味するもの

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この人、この点では正しい主張をする

2021-05-08 20:40:45 | コロナ

 新型インフルエンザウィルスが問題になったときの厚労大臣。この時には、厚労省の医系技官たちの無策・愚策に反論して頑張った人。新型コロナウイルス対策での、この人の主張は信用できる。

【舛添直言】検査徹底を怠ったツケ、宣言延長で高まる五輪中止論

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これでもOlympicをやるのか

2021-05-08 20:31:47 | 社会

 私は、新聞社はじめ、メディアがなぜオリンピックは中止すべきだと主張しないのかと思う。他国のメディアは中止するべきだという記事を載せているのに、日本のメディアはまったく腰が引けている。

 だから日本のメディアへの信頼があくなるのだ。

全国7043人感染 13道県で過去最多

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この人につける薬はないのか?

2021-05-08 11:32:44 | 政治

コロナとの戦い、前言撤回繰り返す首相 国民に響かぬ「軽い言葉」

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アホな「事業」にカネを出す大阪府

2021-05-08 11:20:01 | 政治

まだやっとったん大阪 見回り隊 民間委託崩壊で2億円パア

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大阪はタイヘン・・・・

2021-05-08 11:12:31 | コロナ

 大阪はタイヘンだ。住んでいなくて良かった。関西の人は「維新」の政治家が好きなようだから、これもある意味仕方がないかも知れない。  

吉村知事は自民党と経済界を優先して大阪をボロボロにした

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「馬鹿につける薬はない」

2021-05-08 07:59:19 | 社会

 林達夫という人がいた。もう亡くなっているが、知性の塊のような人であった。コロナ禍の下、私は『林達夫評論集』(岩波文庫)を読んでいる。この林達夫、学生時代後輩のHくんがしきりに感心し、私に読むことを薦めていた人である。それ以後、折に触れてこの人の文章に接している。

 さてその評論集に「鶏を飼う」という1940年に発表された文が掲載されている。その末尾に記されていたのが、「馬鹿につける薬はない」という「陳腐な言葉」である。その後にはこう続く。

 馬鹿は結局馬鹿なことしかしでかさないし、迷惑するのは良識ある人々である。

 1940年といえば戦時下である。戦時下、林は鶏を飼うことにして、そのためにいろいろ学び、飼料を買い、またどういう種の鶏を飼えばよいかを研究した。その経験から出て来たのが、上記の言葉である。

 林が養鶏を始めようとして準備が整い買い付けを始める頃、様々な混乱が起きた。無能な農林省の脈絡なく変転する施策、「三井、三菱、日産をはじめとする大飼料工場の専横」など。それに振り回される養鶏農家。

 林は、このように記している。

私は唖然として「日本的テンポ」のジグザグの激しさと素早さとにまたしても驚き入っている次第である。これで見ても、発展という言葉はわが国には全然不用であるらしいことがわかる。変転という言葉でたいていの移り変わりは片づくからである。文化の水準をどこまでも守り通そうとする熱意のない国民は、実は文化の何たるをろくにも知らない国民であろう。無造作に以前の生活や文化状態に復帰できるということは、一見国民の強味のようだが、実は弱味なのである。既に到達した水準に停まるということさえ―文化は刻々に進んでいくものであることを勘定に入れれば、ほんとうは退歩であるとも考えられる。

 かつて政治家は無能であるが、官僚は優秀である、という言説を聞いたことがある。しかし1940年の段階でも、官僚は無能であったのだ。ならば有能であった時があったのだろうかと思う。

 新型コロナウイルス対策でも、その「変転」に私は驚き入っている。

 民間でPCR検査をしている業者が、「感染していても無症状の人がいるんです」と言う。それは昨年からずっと指摘されていたことだ。新しい情報ではない。無症状の感染者が、他の人にウィルスを感染させていることは言われ続けてきた。だからこそ、世界各国は、広汎にPCR検査をおこない、無症状の感染者を見つけ出して隔離する、もし必要であったら治療をするということをしてきたのだ。

 ところが、みずからを「先進国」だと思い込んでいる官僚たちは、それを拒否し続けている。今もなおである。また外国からの変異株が入らないように入国検疫を他国は厳しくしているのに、日本ではPCR検査ではない検出率が低い抗原検査をおこない、しばらく国内を出歩かないようにとした人々の行方を掌握できない事態が続く。

 今、感染者は急増し、無能な政府や自治体のウィルス放任政策により、医療現場はたいへんな事態となり、死者も増え続けている。台湾、韓国、ニュージーランド、オーストラリア、そして中国よりも、日本の死者は圧倒的に多く、さらに増加を続けていて、死者が減ることは予想できない事態である。

 これらの国々が行っている対策を日本も採用すれば、こういう事態を回避できるはずなのに、政府・官僚はそれをしない。ただひたすら国民に家にいてくれ、と言い続けるだけである。政治家は「コロナ対策を強化します」というが、それは国民にじっとしていろ、と命令することに他ならない。無為無策そのものである。

 私は、すべてに絶望を感じ始めている。政府・官僚が相変わらず無能をさらけだしているのに、メディアはとてもおとなしい。もう飼い馴らされた羊のようだ。政府が繰り返すことばをそのまま報じているにすぎない。野党も、何をしているのかまったく不明である。

 政治にたずさわる者は、このコロナ禍という難局をどう克服していくべきかを論議し実行していくしかないのに、国会では病院の病床を減らしたら補助金をあげますよ、老人の医療費の負担を引き上げますよなどという施策をすすめている。まったくこのコロナ禍で何をしているのかと怒り、しかしそういう自民党・公明党政権を支持する者が40%もいるという現実に怒りは鎮まり、絶望感だけが大きくなっている。

 私の知り合いには感染者はいないが、しかし日々のコロナ禍の実態をみていくと、いつウィルスが我が身に襲いかかってくるかまったく予断を許さない。こんな国家の無為無策・愚策によりいのちを落としてなるものかと思いつつ、いやもう日本は終末に突き進んでいる、為政者も日本を畳もうとしているのだから、やむを得ないかとも思ってしまう。

 「馬鹿につける薬はない」。わが国には、新型コロナウイルスのワクチンではなく、「馬鹿につける薬」こそが求められている。

 

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