学生時代だったと思うが、久野収と林の対談『思想のドラマツルギー』(確か平凡社)を読んで、その知的レベルの高さ(知的レベルが高さは倫理性に比例すると思った)に驚いた記憶がある。この本は今も保存してあるはずだ。
林達夫についてその知性を強調していたのは、林史郎くんであった。大学の後輩だが、彼は私の卒業後に自死を選んだ。彼は秩父出身、友人たちと年忌に行った。墓地は大きな木の影に隠れていた。寂しいところであった。
林史郎くんは、私に福永武彦と林達夫を教えてくれた。今も感謝している。折に触れて、この二人の本を読む。その度に林史郎くんを思い出す。
さてそれから数十年が経った。林達夫の「歴史の暮方」の出だしはこうだ。
絶望の唄を歌うのはまだ早い、と人は言うかもしれない。しかし、私はもう3年も5年も前から何の明るい前途の曙光さえ認めることができないでいる。誰のために仕事をしているのか、何に希望をつなぐべきなのか、それがさっぱりわからなくなってしまっているのだ。
私もまた、新型コロナウイルスの蔓延のなか、あまりの政治社会の不甲斐なさに絶望感を覚え、それが強まっている。果たしてわが国に希望はありうるのかとさえ思ってしまう。
生きる目標を見失うということ、見失わされるということーこれは少なくとも感じやすい人々にとっては大変な問題である。我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものかーそんな問いを否応なしに突きつけられた人間は、しばらくは途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめくものだ。「よろしくやってゆける」人間は仕合わせなるかなだ。だが、そんな人間の余りにも多すぎるというそのことが、私にとってはまた何とも言えぬ苦渋を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。
「我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものか」を、思春期に考えはじめた人間は、時々この問いに苦しむ、苦しまされるのだ。齢を重ねてもその問いが頭をもたげる。林も、おそらく思春期にそういう問いを持ったのだろう。時に「よろしくやってゆける」人間を傍から見ることがあり、その存在そのものが苦渋であることを知る。
すべきことは明確であるにもかかわらず、何もせずに多くの人々を見殺しにする政治家や官僚に、怒りを通り越して呆れるしかないという状況である。
林達夫の「反語的精神」に、「権力なき知性と団結なき闘志」ということばがあった。権力を持たない知性はただ哀しむだけなのかもしれない。そしてかすかに燃える闘志は、孤独のなかにある。
林の言葉は、みずからの思考を飛翔させる。