権力になびく者はいっぱいいる。どこの世界にも、権力者にゴマをすり、その権力者の知遇を得て偉そうにする輩。そういう人を、私はたくさん見てきた。だから退職して人間関係をほとんどゼロにした。
プーチンという人間は、未だ嘗ていなかった政治家である。というのも、なぜこんな残酷な命令を下すことができるのか。それを理解したい。なぜなら、世界はもっと秩序が崩壊していくのではないかと予想するからである。
そこで常岡浩介『ロシア 語られない戦争』(アスキー新書)を読んだ。そこにこういう記述があった。※2008年刊
ロシアではこの10数年、ソ連が崩壊し、共産党による一党独裁は否定され、政治的な民主化が進められてきたと喧伝されてきた。鉄のカーテンは消え、グラスノスチと呼ばれる情報公開制度によって秘密主義は去り、資本主義諸国の一員として自由市場経済の確立に努めてきたとされている。
しかし実際には初代大統領エリツィンの健康が思わしくなくなり、指導力を失うに従って、そうした改革は停滞した。権力が第二代大統領プーチンの手に移ると完全に止まり、逆行を始めた。今、ロシアはすばやく、ソ連の強権支配時代に戻ろうとしている。特に、秘密警察による謀略と破壊工作は、ソ連時代よりも極端化した傾向がある。
この7年ほどの間にロシアでは反体制的なジャーナリスト、政治家、実業家らが次々と説明のつかない奇怪な死を遂げたり、命を脅かされて亡命の憂き目に遭ったりしている。とりわけ、2000年にプーチンが大統領になってから4年余りの間に、殺害されたジャーナリストは15人に上る。解決された事件は一件もない。(104~5)
KGBの後継、FSBは、アパートを連続爆破してロシア人を大量に殺し、その犯人はチェチェン独立派だとしてプーチンは軍事侵攻し、チェチェンを破壊し、人々を殺戮した。事件をでっちあげ、それを「敵」とみなした者のせいにして軍事行動を起こす。
とにかく「敵」と見做した者は殺す。ロシア国内だけではなく、外国にいても殺す。
それがスパイであったプーチンの手法である。
特異な人物が、ロシア国家の権力を掌握しているのだ。
私たちは、権力を握り、軍事力をもった恐ろしい人間が存在する時代に生きている。
制服が入学式までに納められなかったとして大騒動になった。制服なんかあるからだ。
まず私は、制服を廃止すべきだと思う。私は高校生の時、制服廃止の運動を行った。その頃、アンケートを行って、東京、長野、北海道などでは制服がないところがありうらやましいと思ったことがあった。最近は、やっと制服を廃止する動きが出て来ているようだが、長い間、子どもたちの制服が好きという時代が続いていた。制服は、コンフォーミズムの典型的なものだと思う。くだらない校則があるのも、制服があるからではないかと思う。
学校は生徒たちを同一化するために、何でもかんでも生徒たちに同じものを買わせる。体操服、バッグ、靴など・・・それらはスクールグッヅとして、一般的な価格と異なり高額である。学校の指定店になれば、それらスクールグッヅとして業者には大きな儲けになる。
私が住む地域の中学生は、ジャージで登下校する者もいる。部活動を推奨しているからだ。
姿形も管理され、長時間の部活動により、時間も管理される。そういう時期を通り過ぎた者は、「みんな一緒」に慣れ親しみ、自分自身を「出す」ことができなくなる。
私は、「出る杭は打たれる」ということわざに抗って、「出過ぎた杭は打たれない」というモットーで生きてきた。
日本の民主主義が脆弱なのも、学校で「自由」が認められていないからだと思う。