浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「とにかく、戦争はしてはいけない!」

2022-04-16 22:20:11 | 国際

 ロシアによるウクライナ侵攻は、歴史の動きを止め、逆に過去にさかのぼらせました。少しずつ、少しずつ、戦争ではなく平和の実現に向かって動いていた世界の努力を踏みにじりました。

 第1次世界大戦があまりにも残虐で多くの人の命が失われたことからードイツなどの同盟諸国は死者338万人、英仏などの連合諸国は515万人の死者を出した(流行したインフルエンザの死者も含む)ー、世界は国際連盟を成立させました。国際連盟規約の前文には、「締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾し、各国間における公明正大なる関係を規律し、各国政府間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、組織ある人民の相互の交渉において正義を保持し且つ厳に一切の条約上の義務を尊重し、以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せむがため、ここに国際聯盟規約を協定す。」とあります。「締約国は戦争に訴えざるの義務」をもち、「平和安寧を完成」させるように努力することが謳われました。それまでは戦争は合法であったのですが、これにより戦争はよくないこと、違法であるという方向性が示されました。

 そして1928年、不戦条約がつくられました。連盟に加盟しないアメリカなどがあったからです。不戦条約について、ブリタニカ国際大百科事典には、こう説明されています。

正式には「戦争放棄に関する条約」という。 1928年8月 27日パリで採択,署名された。条約を提唱したフランス外相 A.ブリアンとアメリカ国務長官 F.ケロッグにちなんでケロッグ=ブリアン条約,あるいは締結地にちなんでパリ条約とも呼ばれる。 27年ブリアンがアメリカ,フランス2国間不戦条約の締結を提案したのに対し,ケロッグが多国間条約にしようと主張,結局後者に決り,28年パリにおいて 15ヵ国間に結ばれたが,その後 63ヵ国が加わり 29年7月発効した。この条約によって国際紛争を解決するため,あるいは国家の政策の手段として,戦争に訴えることは禁止されることになり,あらゆる国家間の紛争は,平和的手段のみで解決をはかることが規定された。しかし条約交渉を通じて「国際連盟の制裁として行われる戦争」および「自衛戦争」は対象から除外されることも了解された。戦争の違法化を推進した点で非常に重要である。他方で自衛権という例外を生み出すきっかけともなった。

 戦争違法化の方向性は明確になりましたが、例外的に自衛戦争などは認められました。その後の戦争は、実際は侵略であっても、自衛のためといううたい文句が使われました。日本の中国侵略も然りです。

 しかし、世界は平和に向かいませんでした。アジアでは日本が侵略を繰り返し、ヨーロッパではナチスドイツが暴虐の限りを尽くし、第2次世界大戦が始まりました。この戦争は、第一次大戦以上に多くの人の命を奪いました。原爆も使用されました。

 戦勝国によってUN(聯合国)=「国連」という組織がつくられました。その憲章が、世界の平和維持について言及しています。『知恵蔵』の解説にはこうあります。

国連の目的と原則、主要機関の構成と任務、国際紛争の解決方式などについて定めた、いわば国連の憲法ともいうべき条約。111条から成るが、とりわけ重要な規定は、武力による威嚇またはその行使の禁止(第2条4項)、侵略等の行為に対して国連がとり得る措置(第39〜42条)、国家の自衛権に関する規定(第51条)など。

 戦争だけではなく、武力による威嚇とその行使も禁止されるなど、「戦争をしない世界」が構想されたのです。

 ところが、そうはいっても、「なるほど戦争は良くない。しかし正しい、正義のために必要な戦争はある。」という思考はなくなりませんでした。

 日本における思考はそうではありませんでした。「とにかく戦争は絶対にやってはいけない」ということばを、戦争体験世代から、私たちは伝えられてきました。このことばには、「正義のための戦争」が入る余地はありません。いかなる戦争もしてはいけない、それが戦争をくぐりぬけた日本人の思考であったのです。

 その思考を担保したのが、日本国憲法の平和主義でした。前文と第九条がそれです。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 日本国憲法は、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」は、日本国民だけではなく、「全世界の国民」が「有する」と宣言しています。

 戦争が起こると、侵略をした軍隊は残虐な兵器を使って何としても目的を達するようにします。侵略された側も、侵略してきた軍隊を追い払おうと、激しく抵抗します。今、ウクライナで行われていることです。

 そのなかで、人びとは、「殺される」のです。戦争はいつでも破壊と殺戮です。「殺される」人びとにとって、あるのは「殺される」ことであって、「正義の戦争」でも「不正義の戦争」でも、同じように「殺される」のです。「平和のうちに生存する権利」は消えてしまいます。

 だから、戦争は絶対に起こしてはならないのです。

 しかし、日本国憲法が施行されて以後、世界では戦争が繰り返し起きてきましたが、日本人の多くは、「とにかく戦争はやってはいけない」という思考を持ち続けてきました。

 2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻し、殺戮と破壊を行っています。その情報が伝えられる中、日本人の多くはこころを痛めています。「とにかく戦争はやってはいけない」という戦後の日本人の思考は、あらためて想起されています。戦争が一旦開始されればどうなるかがウクライナで示されているからです。

 私たちが、ロシア軍のウクライナ侵攻、それに伴う殺戮と破壊から学ばなければならないことは何でしょうか。

 私は、今こそ、日本国憲法の前文の平和の原理を読み直すべきではないかと思うのです。「敵基地攻撃論」、「核共有論」などの勇ましい言葉が飛び交っています。しかしそれらは、戦争へとつながる思考です。「とにかく戦争はやってはいけない」という思考を、徹底的に追求すること、そのためには「敵」をつくらないことです。「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」というその「法則」、「自国のことのみに専念して他国を無視する」国のあり方を選択しないという舵取りをすること、それを「普遍」的なものにしていくこと、それを私たち日本人は「誓」ったはずです。

 今、ウクライナでは殺戮と破壊が行われています。ほとんどの人は「早く戦争をやめて!」と思っているはずです。そのためには、まずロシアの軍事侵攻を止めなければなりません。戦争を始めたのはロシアだからです。

 私は、ベトナム戦争の時、何をしたかを思い出しています。アメリカに、「戦争をやめろ!」と要求しました。そしてベトナムの人びと救援のために支援活動をしました。

 今は、ロシアに「戦争をやめろ!」と求めるのです。同時に、大きな被害を受けているウクライナの人びとへの支援を行うことです。

 その際の私たちの立ち位置は、「とにかく戦争はしてはいけない」ということ。

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