浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

学歴詐称の問題と「空疎」

2024-04-19 13:47:14 | 社会

 日本の社会は大きく劣化していると感じさせられる事件である。

 政治家としてなにも考えることなく、ただ権力の周辺で生きることのみをめざしてうまく動き回るひとりの女。だから彼女は、政治のレベルではなにものをも残すことはない。権力の周辺で生きていくためには何をすればよいか、何をしてはいけないか・・・これだけが彼女の価値判断である。

 先ほど、若桑みどり『女性画家列伝』(岩波新書)を読み終えた。そこにひとりの女性画家をとりあげたところに、以下のような記述があった。

 女たちのサクセスストーリーには、美貌が不可欠の要素である。美貌を武器にして男の社会で出世する女性はいつの時代にもいるが、このような人がいくら輩出しても、女性一般が尊重され、平等に扱われた、ということにはならない。これらの人々は、女でなければほとんど歴史に登場する力量さえなかったのである。モデル達は自分が描いてもらう画家が、同じようなうまさならば、美人で愛想がよい方がいいと思ったであろう。女たちの成功のきわめて多くの部分が、男たちの好みに酔っていた。誓っていうが、彼女がブスだったら、これほどの大成功はおさめなかっただろう。

 話題になっている女性政治家が「美貌」の持ち主だと思ったことはないが、男たらしであることだけは間違いないようだ。

 若桑が紹介している女性画家は、アンゲリカ・カウフマン(1741~1807)である。当時は途轍もなく有名で、彼女は生きている間、カネと名誉に囲まれ、「幸せの頂上でくらすことができた」。

 しかし、若桑はこうも指摘している。

美術史上には、生前には神のごとく崇められて、死後は忘却されてしまった人々は、その逆の人よりはるかに多い。

 現在彼女の作品は、「空疎で、センチメンタル」だと評され、画家としての彼女を知る者はほとんどいない。美術史上では無名となっているが、生前と死後とのアンバランスの例として、彼女は知られている。

 今話題になっている学歴詐称の女性も、カウフマンと同じ道を歩むことになるだろう。なぜなら東京都知事に立候補するに当たって提出した「七つのゼロ」(待機児童ゼロ、介護離職ゼロ、残業ゼロ、都道電柱ゼロ、満員電車ゼロ、多摩格差ゼロ、ペット殺処分ゼロ)と「東京大改革の一丁目一番地は情報公開にあり」など、いずれも口先だけであったことが暴露されている。

 まさに「空疎」そのものの人物である。その「空疎」な女性に振り回され、「空疎」な質問しか出来ない記者たちの「空疎」さ。

 カイロ大学も、実態がなくても卒業証明書などを発行するという。カイロ大学も「空疎」である。

 東京都知事の周辺は、「空疎」で固められている。

 

 

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学ばない日本人

2024-04-18 20:07:42 | 社会

 いろいろな手段による詐欺被害の事件が報じられている。いろいろな手段といっても、そのだましの手段は、あまり変わっていない。その手段方法はメディアで知らされている。

 しかし詐欺の被害者はなくならない。

 そしてホストクラブで、ある種詐欺のような方法で若い女性から多額のカネを収奪する事件も報じられている。

 しかしそこに若い女性が通う。そして凄まじい悲劇に遭遇させられる。

 なぜ危険がいっぱいのホストクラブに近づくのか、通うのか。わからない。

 『東京新聞』の特報欄での報道を読んで、なぜ?と思った。

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収奪国家

2024-04-14 08:07:45 | 政治

 「収奪」という言葉の意味は、「強制的に奪い取ること」、である。今、日本政府は「収奪国家」となっている。それに対して人びとが怒りを示さないのはなぜなのかと思う。

 諸物価の上昇が止まらない。これに苦しんでいる人は多いはずだ。10%の消費税である。物価が上がればあがるほど消費税は増えていく。今や国家財政の中心的な財源となっている。これを喜んでいるのは、財務省の役人であり、国家財政を食い物にしている面々だ。国家財政を食い物にしている面々とは、自民党や公明党の議員、大企業、そして国家から多額の補助金をせしめている者たちだ。またそれに連なる地方自治体に関わる者たち、地方自治体から補助金をせしめている企業の経営者たち、地方自治体の議員も入る。

 厳しい生活を強いられている人びと。さらに追い打ちをかけるように、健康保険、介護保険という名目で給与から引かれる額の増加。自営業者や年金生活者などが払う国保でも、国保税はあがるばかりだ。

 物価があがるにともない、地価も上昇している。固定資産税や都市計画税も増えている。

 そのうえ、「子ども・子育て支援金」が、徴収される。日々国会で、加藤某という無能な政治家の姿があらわになっている(能力がないという醜態をさらしても平気でいる自民党の政治家の厚顔無恥にはあきれるばかりだ)が、あまりに不当である。「支援金」ではなく新たに徴収される税金というしかない代物だ。

 さらに国民年金保険料であるが、60歳になったら払わなくても良いという制度であるが、なんと65歳まで払い続けさせようということが企まれている。2023年は、毎月16520円であるから、5年間で約100万円である。

 日本国家を、「収奪国家」と断定すべきである。「収奪国家」を推進しているのが、脱税政党自由民主党であり、カルト宗教政党公明党である。

 日本国民は、このふたつの政党の議員に投票すべきではない。それは国会議員だけではなく、地方自治体の議員でも同様だ。それでも投票を続けるなら、日本はさらに沈んでいく。

 日本の良さは、「中間層」がぶあついというところにあった。その「中間層」が崩されている。崩しているのは、自民党、公明党の議員、経団連にあつまる大企業、そして官僚たちだ。

 庶民の「敵」は明確なのだ。加藤某大臣の答弁に見られるように、あんなおバカな議員に高額な報酬をあげるべきではない。

 

 

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無知、そして知った喜び

2024-04-13 21:10:28 | その他

 本を読みながら、音楽を聴く。

 現在私は、iPhoneを使用している。アップルミュージックで音楽を聴き始めたら、その音質のよさにびっくり。そしてアップルミュージックには、たくさんの楽曲が登録されていて、次から次へと好きな曲を聴くようになった。

 今日は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴きたくなって、学生時代、東京のアパートで孤独を感じるときに聴いていた曲である。

 アップルミュージックにアクセスしてその曲を聴き始めたら、そのヴァイオリン奏者の音色に聞き入ってしまった。そのヴァイオリン奏者は、アンネ・ゾフィー・ムターである。まったく知らなかった演奏家だ。今まで聴いていたシベリウスのヴァイオリン協奏曲とは異質な音が流れ、本を読めなくなった。

 凄い演奏である。シベリウスのヴァイオリン協奏曲はこのように弾くのだという絶対的な確信、それを見事な技巧が支える。その絶対的な確信は、作為的でもなく、意図的でもなく、自然にうみだされているようにきこえる。

 今まで聴いていたこの曲、オーケストラが奏でる音をかいくぐりながら、ヴァイオリンがひとりさびしくみずからの旋律を奏でるというものであったが、アンネ・ゾフィー・ムターの演奏は、かいくぐるのではなく、オーケストラと対等に、ヴァイオリンの音が前面にでてくる。

 しばらくアンネ・ゾフィー・ムターの演奏の曲を聴き続けることになるだろう。

 

 

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私の従弟が・・

2024-04-13 12:18:35 | 社会

 名古屋市に住む私の従弟もがんばっている。

憲法賛歌を歌って「平和の力」感じて 憲法記念日の朝に思い浮かび一気に制作

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情けないな!!

2024-04-13 08:27:27 | 政治

 北海道選出の自由民主党所属の参議院議員・長谷川岳なる横暴な輩の非道な動きがかくもたくさん起こっていたのに、だれもそれに抗わない。

 たまたま航空機に乗り合わせた吉幾三さんが、長谷川某による理不尽な客室乗務員に対する暴言などを見てネットでそれをとりあげ、いつも非道を受け続けている客室乗務員の手紙を公表したところから、こいつの横暴ぶりが報じられるようになった。

 しかしまあ、自治体職員が、長谷川某の横暴ぶりに、おそらく手を灼いていただろうに、それに自治体側が難の対応もしてこなかったことに、驚くばかりだ。情けないと言うしかない。

“威圧的言動”問題の長谷川岳・参院議員を直撃!東京まで出向かせる“面通し”の証言、夕方「明日の朝9時に来て」の急な出張指示など「基本、ないですね。表現方法は極めて無自覚、全面的に変えていく」

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【本】石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社)

2024-04-12 20:26:40 | 

 石堂清倫は、知と行動の先達であった。知が先にあるか、行動が先にあるかという問いは愚問だ。知と行動は、同時になければならない。知と行動の契機は、現実である。現実を生きる人間として、行動することは必然であり、知は行動の中で探られ、確認され、新たな知が創造される。その知は、行動とともにある。

 石堂は、マルクスの知の延長線上に存在した。しかしその延長線は一本ではない。複数の延長線の上で行動し、それとともに知を鍛えてきた。

 知を鍛えるためには、批判が必須である。批判の対象は、みずからの行動にも、みずからの知にも向けられる。その批判は、現実をどのように変革するかという問題意識に基礎を持つ。

 批判するなかで、現実がより明確に見えてくる。どのように現実を変えるか、そのために必要な知とは何か。

 マルクス、レーニン、スターリンなどを読み、社会主義(共産主義)者として石堂がたどり着いた地平は、21世紀をどう変革していくかという問題意識のもと、グラムシを見出したことだ。

 権力を掌握してのち変革に着手するのではなく、ヘゲモニーで優位に立ち、人びとに影響を及ぼしていくという長い長い道のり。ヘゲモニー、「支配被支配のなかで、被支配的なグループがいかにしてヘゲモニーグループに昇っていくか」(98)、支配権力のヘゲモニーに対抗する「対抗ヘゲモニー」をどう実現するか、支配権力のヘゲモニーに対抗して、文化的、倫理的、経済的ヘゲモニーをつくりだしていくこと。

 現在の日本は、支配権力は腐りきった、すごい腐臭を放つ存在と化している。自民党や公明党の政治家、その他の政党の政治家は、その精神が歪みきっているが故に顔自体も歪み、彼らがヘゲモニーをつくりだす、生みだすことはできない状況にある。そんなときだからこそ、民衆の側、歪みのない人びとこそが、倫理的、文化的、社会的・・・・ヘゲモニーを打ちだすことができる。

 20世紀を生き抜いてきた石堂清倫は、21世紀に生きる人びとに、そう教えている。

 

 

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知事は、民の心を・・・

2024-04-11 22:35:00 | 政治

 東京都知事の「学歴詐称」問題。

【小池都知事「学歴」に新証言①】「私がカイロ大声明を発案した」 小島敏郎 元都民ファーストの会事務総長

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静岡県知事選

2024-04-11 21:43:08 | 政治

 川勝静岡県知事が引退することで、にわかに次の県知事は誰に?という話がメディアを騒がせている。

 前浜松市長であったスズキ康友が出馬するようだ。私は、スズキ康友は、SUZUKI康友と呼ぶべきであると思っている。浜松市長として行ったことは、区を減らすことなど、すべて鈴木修から言われたことだけだからだ。彼に主体性はない。おそらく、SUZUKI康友に課せられた使命は、浜松市とタイアップして、SUZUKIアスリートクラブのために、現在ある浜松球場をつぶしてそこに立派な陸上競技場をつくること、球場は県にカネを出させて海岸部に新球場(交通アクセスがものすごく悪く、強風が吹き荒れるところ)を建設させることだ。

 連合静岡が、SUZUKI康友を支援するという方向を示したようだ。連合静岡には、SUZUKI労組も自動車総連として加盟しているから・・・・。

 県西部の経済界は、静岡市の経済界に対抗意識を持っている。静岡大学と浜松医科大学の統合問題でも、対立がある。鈴木修を中心とする西部経済界が、SUZUKI康友を支援し、連合静岡もそれに加わる。

 ただの県民としては、勝手にやれよ、という気分である。

 

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【本】司修『戦争と美術』(岩波新書)

2024-04-11 10:06:46 | 画家と戦争

 司氏は画家である。画家の視点から、「戦争画」を論じている。藤田嗣治、宮本三郎ら、「戦争画」を描いた画家たちに批判的である。「ああいう時代だったから仕方なかったのだ」とかいう「戦争画」描いた人びとを擁護する声があるが、司氏はきっぱりとそうではないと断言する。

 それはなぜか。「ああいう時代」であっても、「戦争画」を描かなかった画家たちがいたからだ。「新人画会」というグループがあった。麻生三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、そして靉光、松本竣介らである。彼らは銀座で展覧会を行った。一、二回は日本楽器、三回目は資生堂だった。三回目は、1944年4月であった。そこには「戦争画」はなかった。

 「ああいう時代だったから、軍に協力するしかなかった」という「弁解」は、ここで崩れ落ちる。

 しかし、美術評論家らは、「戦争画」を描いた者たちを擁護する。その擁護のことばが、本書に収録されている。

 軍部は、画家だけではなく、作家たちをも戦地に派遣した。「従軍画家」、「従軍作家」である。ドナルド・キーンはこう書いている。

 作家の名声を利用しようとする軍部の思惑に腹を立てるどころか、ほとんどの作家は大陸へ派遣されることに熱心だった。従軍といっても、だいたいがわずか二週間、それもそのほとんどは豪華ホテルで過ごされた。

 画家たちも同様だっただろう。

 ヒトラーに見込まれてレニ・リーフェンシュタールは、「意志の勝利」などのドキュメンタリー映画を制作した。レニを論じながら、司氏は、

 日本の戦争画でもそうですが、画家であるがゆえに描いてしまったということはありません。人より抜きんでた才能の持ち主に限って、権力者からの要請があり、描いているのです。その効果を期待することからすれば当然のこと(28)

 一般の人でも、そして日頃反権力的な言辞を弄している者でも、権力者から声がかかると、平気でなびく、そういう人がたくさんいることは、私も見てきている。「権威」に弱いというか、自分自身に個としての自尊心がないのだ。

 司さんは、こう記している。

 日本の戦争画から生まれたものは、芸術家の奢りと、「無智な大衆」より劣る精神の貧弱さでした。そのような作品(大東亜戦争画)が芸術として評価されてよいはずがありません。(46)

 大東亜戦争、あるいは十五年戦争が日本の歴史の恥部であるとすれば、「大東亜戦争画」も恥部、僕はそう思うのです。(61)

 司氏は、「戦争画」の画料を書き留めている。銀座の土地、ひと坪一万二千円の頃、一号で10円、「戦争画」は二百号だから2000円が軍から支払われた。

 「戦争画」を描く画家には、画材がふんだんに提供された。「ああいう時代だから軍に協力しないと絵が描けなかったんだよ」という弁解もある。だが、新人画会の画家たちは、「戦争画」を描かなかったが、そうでない絵を描くことができた。

 新人画会の前で、彼らの弁解は一切の力を失うのだ。

 

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【本】『社会運動史研究』5

2024-04-10 19:12:54 | 

 『社会運動史研究』5を読み終えた。「直接行動の想像力」というテーマであるが、「直接行動」をどう捉えるのかという視点が定まらぬままに、この雑誌はつくられたという気がする。

 「直接行動」に関わるものは、座談会と市橋秀夫の反戦青年委員会をとりあげた論考、松井隆志の東アジア反日武装戦線をとりあげた論考があるが、関連するインタビューとして三つあるが、インタビューは果たして「直接行動」とどうつながるのか、よくわからなかった。小泉英政さんへのインタビューは、「非暴力直接行動」としているが、この場合は「直接行動」を広い意味で捉えなければ理解できないものだ。

 松井の東アジア反日武装戦線に関する論考は、いまいち理解できなかった。素材となったものが文献であり、あらたな資料に基づくものでないため、解釈、解釈・・・というかたちで論が運ばれているため、歴史学研究に慣れている私としては、あまり面白くはなかった。

 座談会に於ける酒井隆史の発言(おそらくそれは酒井の『暴力の哲学』(河出文庫)で展開されているのだろう)、それと小泉英政へのインタビューから触発を受けた。小泉には『土と生きる』(岩波新書)があるから、それを読んでみようと思う。

 小泉の「譲れないものをきちんと持って、それで社会と向き合っていく」ということば。今日読みはじめた司修の『戦争と美術』(岩波新書)にあった、井上長三郎の「動かない哲学を持っているていうか、やなことはやらない」(199頁)ということばに通底するものがあるのではないかと思った。

 

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「直接行動」

2024-04-09 21:33:53 | 

 『社会運動史研究』5を読む。

 ぼくは、この本を読む前に、「直接行動」ということばについて、こう考えていた。ぼくが市民運動やデモに出るとき、日常生活と異次元の行動に関わることすべてが「直接行動」だと。浜松市当局がごみの有料化を画策したことにたいして、友人たちと反対の声を挙げているが、その行動も「直接行動」だと、ぼくは考えていた。

 この本の「座談会 運動史から考える直接行動」を読んでいて、「直接行動」というのは、一般的に、座り込みや、あるいは「暴力的な」抗議活動などをイメージしているのだろうかと思った。座談会の発言の中で、もっとも触発を受けたのは、酒井隆史さんのものだ。酒井さんの発言の背後に、大杉栄の影響もあるなあと思いながら読んだ。

 大杉のこの文。

運動には方向はある。しかし所謂最後の目的はない。一運動の理想は、其の所謂最後の目的の中に自らを見出すものではない。理想は常にその運動と伴ひ、其の運動と共に進んで行く。理想が運動の前方にあるのではない。運動其者の中に在るのだ。運動其者の中に其の型を刻んで行くのだ。
 自由と創造とは、之れを将来にのみ吾々が憧憬すべき理想ではない。吾々は先づ之れを現実の中に捕捉しなければならぬ。吾々自身の中に獲得しなければならぬ。
 自由と創造とを吾々自身の中に獲(え)るとは、即ち自己の自己である事を知り、且つこの自己の中に、自己によつて生きて行く事を知るの謂である。
・・・・・・・・
 自由と創造とは、吾々の外に、又将来にあるのではない。吾々の中に、現に、あるのだ。
(「生の創造」、1914年、『全集』2)

 酒井さんは、こう語っている。

社会運動はつねに二つの要素をもっていて、一つが獲得目標の手段であること、もう一つはそれ自体が未来社会の先取りである、つまり目的そのものであるということ。

 こうも言っている。

直接行動は最も狭義には、何かに抵抗する行動ではなく、それを超えて、新しい世界を現実の世界そのもののうちに直接に建設していく行動のことを意味しています。 

 大杉の主張と重なる。また酒井さんは、暴力、非暴力というカテゴリーに加えて、「反暴力」を打ちだしている。「暴力を考えるときに、反暴力という尺度をもっているかどうかが決定的に重要だと思います」と。慧眼だと思う。

 私は「非暴力」の立場であるが、しかし国家権力はじめ、彼らは平気で暴力を振るう。だとするなら、彼らの暴力に対抗して暴力で対峙することもあり得ると思う。その場合でも、やはり「反暴力」という価値観は離してはならないと思う。暴力に反対することは、同時にモラルの地平でヘゲモニーをもたなければならないからだ。

 次に小泉英政さんに対するインタビューを読んだ。共感するところがたくさんあった。今まで小泉さんを知らなかったが、読んでいて、生き方そのものが「哲学者」ではないかと思った。尊敬できる人間である。

 私もカネにならない農業に従事しているが(作物は子どもに送ったり、近所の人にあげたりしているのでまったくカネにはならない)、有機農業を実践している小泉さんの生き方そのものが、まさに「非暴力直接行動」なのだということに共感した。

 自分の信念、自分の呪文。それはその人にとって何であろうといいんだけれども、譲れないものをきちんと持って、それで社会と向き合っていく。

 なるほど、そこに小泉さんの強靭さがあるのだと思った。このインタビューを読んだだけで、この雑誌を購入した価値があった、と思うほど共感した。

 

 

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浜松ベ平連の記事(続)

2024-04-09 19:42:00 | 近現代史

 なぜ浜松ベ平連の記事を載せたのかを説明すると、昨日から『社会運動史研究』5を読んでいて(『社会運動史研究』の1と2は購入して読んでいるのだが、それ以降の特集はあまり関心を抱かなかったので買っていなかった。すると、ある方から5号を読んだ感想を読みたい、との仰せがあり、急遽購入した次第である)、そのなかに市橋秀夫の「殺されない手立てを身をもって示す」という、北九州市の反戦青年委員会の活動を紹介したものがあった。

 そういえば、私が若い頃、反戦青年委員会というのがあったこと、彼らが浜松ベ平連のデモにも参加していたことを想い出したからだ。先の吉川さんの文にも、反戦青年委員会への言及がある。反戦青年委員会のメンバーが『前進』に言及しているから、中核派系かも知れない。

 考えてみれば、反戦青年委員会という組織があったことは知っていたが、ほとんど接触はなかった。北九州市の反戦青年委員会の活動に関しては資料があり、またその担い手からもインタビューできたそうだが、私が今まで調べた限りで言うと、その類いの資料もなく、またどういう人が反戦青年委員会に加わっていたのかもまったくわからない。

 私は、高校生の頃、浜松ベ平連の一員でもあった。高校卒業後、上京したので、浜松ベ平連のその後についてはまったくわからない。

 1960年代後半の静岡県におけるベ平連のような市民運動も、歴史研究の対象となりうる。誰かやらないかしら・・・

 

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浜松ベ平連の記事

2024-04-09 19:22:20 | 近現代史

 すでに亡くなられた吉川勇一さん。ベ平連の資料をネットにあげて、資料収集に励んでおられた。私は、吉川さんに2度、連絡した。ベ平連は浜松にもあったし、磐田にもあった、と。すると、吉川さんは調べたらしく、「浜松ベ平連の講演会に参加し、その後のデモにも参加した」という連絡。私は確か、ベ平連ニュースか何かにそのことが掲載されていた記憶があると連絡した。吉川さんは、『週刊アンポ』第10号(1970年3月23日)をさがし出して送ってくれた。そこには、吉川さんの絵と文があった。文だけを紹介する。

第三日曜日。午後一時。新川公園。これが浜松べ平連の定例デモの集合時間と場所だ。今日は二月二十二日の第三日曜。ただし、夕刻からべ平連主催の市民講演会があったため、特別に出発地は会場の浜松市民会館玄関前に変わり、時刻は講演会集了後の八時であった。

 「核、ミサイル・ナイキ撤去――浜松べ平連」の横断幕。浜松べ平連の緑の旗。それに講演会からデモに引続き参加した浜松市反戦青年委員会の青旗。プラカードはなかったが、その代わりに夜のため手製の四角いアンドンが六つ。「誰でも入れるデモ」「アンポをつぶせ!」「ニャロメ」「デモに入ろう」などと四面に書いてある。ほかに紙コップでつくったキャンドル・トーチが八つ。それぞれローソクの火がともる。京都べ平連からの特別参加によるギターを含めてギター三台。それに反戦の若い闘士の白ヘル、「反戦」「反帝反スタ」「反戦高協」などと記入のあるもの十個。これがデモの小道具。人数は約百人。三列縦隊を組んで夜の浜松市内へとくりだす。先頭部分はギターにあわせて「ウィ・シャル・オーバーカム」の歌、最後尾の反戦は十人でジグザグ開始。「アンポフンサイ! ナイキテッキョ!」

 気がつくと先頭にパトカー。「浜松8 フ・・9」のナンバープレート。ドアに静岡県警の文字。金筋帽をかぶった太った警官が後のガラスごしにデモをにらみつけながらマイクを握って何やらワメク。デモの周囲に私服警官。七人、八人、九人、十人。アア、どうして日本全国、どこへ行っても私服ってすぐ判っちゃうんだろう!

 やっとパトカーのスピーカーが何いってるのか聞こえた。「……この交差点はテンマ町交差点。交通ヒンパンなのでデモ隊は信号と警官の指示に従って行進しなさい。オイ、デモの後部の白ヘルの諸君、ジグザグするな!」

 赤い懐中電灯をもった白ヘルの警官がかけつけて反戦のジクザグをおさえようとする。白ヘルと白ヘルの対決。でも一対十じゃちょっと無理。ジグザグはつづく。前の方は「オー、ディープ・イン・マイ・ハート……」

 「べ平連のデモ隊が通過します。後部は反戦青年委員会の労働者です」これはデモ側のスピーカーじゃない。なんとパトカーの放送。親切にも紹介してくれてんのかな。「隊列は三列! オイ三列だ! 幅をチヂメナサイ!」あっそうか。デモに怒鳴る前に沿道の人に怒鳴る対象を紹介するわけだな。

 「ウィ・シャル……」の節でたちまち即興の替え歌「パ・ト・カー・カーエレ、パ・ト・カー・カーエレ……オー・ミーンナノ・チーカラデー・パトカー・カーエーレ!」

 デモは左折。有楽街のネオンのある繁華街へ入る。いつのまにか「反戦」の文字の入った浜松べ平連の小旗がもう一本先頭にふえている。「ナイキ基地を撤去せよ。自衛隊基地を粉砕するぞ!」「ニッティの海外侵略をソシするぞ!」(このへんになると聞いてもちょっと判んないんじゃないかな)

 隊列は十列ぐらいに拡がっている。しまりかかったシャッターが開いて「ほていや浜松センター」のスーパーマーケットから店員が顔を出す。何人も出てくる。沿道に人が多くなる。べ平連の紹介のビラが配られる。「アンポ・フンサイ! ナイキ・テッキヨ!」のかけ声が一段と大きくなる。右側に浜松東映――ただ今「念仏三段切り」と「組長と代貸」上映中。シャンボール――焼立てフランスパンただ今到着。「核ミサイル・ナイキ基地を撤去するぞ!」 左側にステレオ・イケヤ――コロムビア歌謡大行進の看板。前を浜松べ平連の大行進。後方から「ナイキ撤去!」前方から「デモ隊は幅をチジメナサイ!」これもステレオだ。

 「万国博を成功させよう」のポスター。ああインターナショナール、我らがもの。

 浜松は楽器とウナギの名産地。ヤマハ・ピアノの大きなビルの角を右へ曲ると大通り。デモは右側行進に移る。ここだけどうしてかな?と思って道の向こう、左側をみると「おもちゃの王国ヤマタカ」の看板。その前のバス停に制服の自衛隊員が三十人ほどたむろしてる。そうか、ここから基地ゆきのバスが出るのか。

 冬物一掃バーゲンセール、マギーと菓子のこぎくの間を右に曲がる。よくゴチョゴチョ曲るデモだ。もうどこがどこやら方角はまったく判らない。どうも見たことがある街だ。キョロキョロ見まわす。鯛めしやの看板。右の看板は「組長と代貸」ああ浜松東映だ。鶴田浩二さん、若山富三郎さんまたコンバンワ。

 驚いた。同じところを二度通っているのだ。こんなデモはじめてだ。たしかにこれは人間の渦巻か。

 両側は商店街のアーケードで、ジュラルミンの雨おおいが張り出していて、シュプレヒコールの声がよくひびく。「アンポ・フンサイ、ナイキテッキョ!」

 花と園芸、フロ一リストないとうからおばさんが顔を出す。ビラが渡される。べ平連は花で武装する、か。

 「ヤッテルナー、カンバレヨー!」とフラフラの酔っぱらい二人、レストラン・ウィーンから出てくる。手をふって暗がりに消える。そこを左折。道は広くなり、両側の歩道には、はぼたんが植わり、石膏の彫刻が並んでいる。浜松みゆき座――「十七才」上映中。あたし十七才よ。そおお。キャーッ。女の子が持っていたアンドンが風に飛ばされてコロコロころがってゆく。それを追いかける十七才。

 宝塚劇場――八日封切「蝦夷館の決闘」。「テッテテキに闘うぞおー!」(ハテ、つげ義春流シュブレヒコールか)「全軍労のストと共に闘うぞー!」中央劇場――「激戦地」上映中。

 連尺町を左折。「オソレハシーナイ、今日コソワーレーラー……」左側にパチンコ・サカエホール。「今日は第三日曜日」の看板。ハテ? パチンコ店もべ平連定例デモに協力か? もう一度よくみてみる。「毎月第三日曜日は家庭の日です。この運動に全面的に協力する為、家庭の日に限り、営業時間を左の如く致します。午前一〇時~午後八時まで。浜松青少年協議会。浜松遊戯場組合」ナルホド。マイホームのパパさん、早くお帰りなさい。今日は家庭の日です。アア、涙ぐましき家庭よ。遊戯場組合の「全面的御協力」によって、日本の家庭は安泰、健全です!

 その隣りにまた看板。「青少年の非行をなくしましょう。どんな小さな暴力も見逃さず届出致しましょう。浜松中央警察署。浜松市青少年補導センター。浜松遊戯場組合」ここでもうるわしき三者の協力。「大きな暴力――戦争と侵略は見逃しましょう!」

 また左折。「伝馬町交差点」 ハテ、ここも前に通らなかったかな?「アンポ・フンサイ!」パトカーが何かいっているが聞こえない。

 フランキー堺の「極道ペテン師」上映中の日活前を過ぎると突然バラバラと私服が車道上へ飛出してきて、ジグザグを続ける反戦青年委のグループに襲いかかる。なんと浜松の私服は警棒をもっている! 双方いり乱れて、路上でゴチャゴチャになる。べ平連のグループの中の一人が写真機を構えると「キサマ、何をするかッ!」と歩道上の私服がそのカメラマンにつかみかかる。逮捕者は出ないが、列はメチャメチャでデモ隊はギターを中心にダンゴのようなかたまりとなって歩く。何人かは肩を組んでアンポ・フンサイと叫びながら踊り歩きまわる。とにかくこれは面白いデモだ。ダンゴ・デモ!。

 ようやく向こうに国鉄浜松駅がみえてくる。左側に浜松郵便局。その手前が新川公園。ここが今日のデモの解散地。友愛の泉という石垣から水がチョロチョロ出てる。「オー、みーんなのー、チーカラで、勝利の日ィまァーでー」 もうあんどんや紙コップのろうそくはすっかり消えている。

 公園で輪をつくって総括集会。浜松市反戦の挨拶。「ひさびさのべ平連集会で百名ものデモが出来たが、このことだけでも意義があったと思います。この量を質へ転換させれば……」 反戦の部分からイギナシの声。反戦青年委の諸君は、今日のデモの質には御不満らしい。

 シュプレヒコール、「ナイキJ撤去! われわれは最後まで闘うぞーッ、闘うぞーッ、闘うぞーッ……」闘うぞーッ!は六回くりかえされる。さらに肩を組んでインターの合唱。これで解散。

 反戦青年委の人が怒鳴る。「だれか『前進』の縮刷版忘れた人いませんかー。いたらとりにきて下さい。預ってます」 「半額なら買うぞ!」の声。

 ガヤガヤと散る。パトカーはまだ道路上で待っている。そのあとに「浜松市反戦青年委員会」の大旗、旗竿ごと忘れもの。

 さて最初にも書いたように、浜松の定例デモは何月第三日曜。つぎは四月十九日。浜松市および近郊の読者のみなさん、お忘れなく。

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久しぶりに・・・

2024-04-08 17:19:52 | 日記

 昨日、もうじき定年になる、テレビ局に勤めている友人が来た。久しぶりである。彼とは、二つドキュメント番組をつくった。静岡市に行ったときにはしばしば会ったが、コロナ以降はほとんど行かなくなったので、時々電話で話すだけとなった。しかし実際にあって話すことは貴重だと思った。

 例えば、今のテレビ局はコンプライアンス(法令遵守)が徹底していて、車で後部座席を映し出すときにシートベルトが写っていないと「上から」おとがめがくるそうだ。些細なことでも、クレームがきてはいけないということから、様々な制限がかけられるという。テレビ局に「自由」がなくなっていると感じた。

 「自由」な雰囲気がないと、ユニークな発想も生まれず、創造的ではなくなってしまう。テレビ局は「表現の自由」(「報道の自由」)の担い手であるはずだが、「自由」がなくなれば面白くなくなるし、真実も遠のいてしまう。

 いろいろな話をしたが、やはり裏金問題で混乱を極める、腐臭を放つ政治の話が主であった。そうした、否定すべき政治を良くする方途がみつからないということで一致してしまった。希望がない、ということである。

 政治の話を、今では局内で話す人はいない、ということだった。

 すでに私は働いていないので、日々話す人は限られている。きわめて少数の人と話すだけである。となると、新しい情報は、本や新聞から得るしかない。テレビは見ない。ただYouTubeで、テレビのニュースは見ることはある。

 今日、『世界』5月号が届いた。そのなかの「事件に「飢えた」公安警察と司法の歪み」は、大川原加工機事件について、弁護士の高田剛と青木理の対談。いかに警察、検察が狂い、また裁判官が頽廃しているかが話される。こういう事件の警察官、検察官、裁判官は実名を明らかにすべきであると思う。唯一、塚部貴子という検察官が実名ででている。彼女は、「大阪地検の証拠改竄事件」の関係者であり、また「問題検事」として知られているという。また経産省の貿易管理課の課長補佐もこの事件に大きな役割を果たしたようだ。この人の実名も公表すべきである。

 今日は雨が降っている時間が長かった。畑に行くと雨が降り・・・という一日であった。

 

 

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