新聞やテレビは、ときに大きな犯罪を犯す。空疎な人物を祀りあげ、さもすごい人だともちあげる。残念ながら、多くの人々は、テレビに出ている人をじかに見ることが好きのようだ。私はそんな趣味を一切持っていないが、あるときちょうど浜松駅を通りかかったとき、余りに多くの人が集まっていたので驚いたことがある。その時は有名人(タレントか政治家か忘れた)が、浜松駅に来るというので一目見たさに集まっているということだった。
メディア、とりわけテレビは人を画面に映し出すことによって(テレビは多くの場合、空疎な人物をとりあげる)、その空疎さを消し去るような効果を引き出す。テレビに出ていた人だから、空疎な人物ではないだろう・・・・というように。
東京都知事の小池某も、何の定見もない目立ちたがり屋だけの空疎な人物だとみている。空疎だから、彼女のことばは重みを持たない。都知事として、彼女は何ごとかをなし遂げたかを振り返るとき、何もないことがわかる。たとえば満員電車を「ゼロ」にすると言っていたが、今ではそんなことを口にすることもない。「築地を生かす」と言っていたが、あそこはスタジアムが建設されて巨人軍が本拠地にするという案が出されている。
空疎な人物を祀りあげたのがメディア、とくにテレビである。しかしメディアは反省しない。自民党や統一教会などと同じである。