「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった | |
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飛鳥新社 |
本書を読み終えた2011年5月17日、「TPP先送り、成長戦略は見直し=政府が政策推進指針」という記事が掲載されました。これを読んで、「政府はTPP参加を断念した」と思われた方、あるいは「TPP参加の是非は確かに議論すべき課題であるかもしれないが、東日本大震災という未曾有の国難に直面している時に、関わっている場合ではない」とお考えの方には、ぜひ本書をご一読されることをお勧めします。
なぜなら、本書はTPPという貿易協定の枠組みがいかに日本の国民生活にとって危険なものであるかを論拠を明らかにしながら丁寧に指摘しているのみならず、TPP参加を巡る論議の中に現れている、政府の意思決定過程や言論界の粗末さ、危うさを徹底的に洗い出しているからです。これを読まれれば、大震災に勝るとも劣らぬ人災がすぐそこまで迫ってきていることがお分かりになることでしょう。その点においては、前回ご紹介した『TPP亡国論』と同じなのですが、今回は共同執筆者に三橋貴明氏と東谷暁氏が加わり、さらに内容の濃いものとなっています。
さて、『自由貿易の罠 覚醒する保護主義』でも述べたことですが、あらゆる分野において関税をはじめとする貿易障壁を撤廃するという過激なTPPという枠組みを是とする人たちの根底には、やはり「経済自由主義」(市場原理主義)に対する無批判な信仰があります。そもそもTPPの根拠が経済自由主義ですから当然なのです。問題はこう主張する人たちの多くが、いかに現実の経済が理論とはかけ離れた結果を生んでいようと、理論が正しく、現実の経済の方が理論を忠実に守らないから失敗するのだと考えているという点です。そこで、「改革をしなければならない」となるわけです。
こうした人たちを三橋氏は「絶対的価値観の持ち主」と呼んでいますが、このような考えに接すると、僕はいつも小説『三国演義』の「街亭の戦い」を思い出します。「泣いて馬謖を切る」の故事で有名な、蜀の参謀馬謖の話です。
蜀軍の拠点として極めて重要な街亭の守備を命ぜられた馬謖は、出陣に際し、蜀の丞相である諸葛亮から再三「街亭の死守」と「高地に陣取ってはならない」という注意を受けていたにもかかわらず、高地に陣取ってしまいます。しかし、攻め寄せてきた魏軍に山を包囲され、水源を絶たれた上、火攻めに会い壊滅的な敗北を喫してしまうのです。これにより蜀軍は遠征を断念し、撤退せざるを得ないほどの打撃を蒙りました。馬謖はその責任を問われ処刑、これが有名な「泣いて馬謖を切る」の故事です。
確かに、最も優れた兵法書といわれる『孫子』には、「およそ軍は高きを好みて下きを悪む」(行軍篇)と書かれているのです。しかし、『孫子』は同時に「地に争わざる所あり」(「水や食糧の確保できないような」占領してはいけない土地というものがある)とも述べています。馬謖は「勢とは利に因りて権を制するなり」(始計篇)、すなわち原則はあくまで原則であり、用兵は状況を総合的に判断して臨機応変になされなければならないという、兵法の基本を見落としていたのです。
さらに馬謖は、副将である王平から「高地に陣取り、もし敵に水源を絶たれたらどうするのか」と問われています。これに対して馬謖は、「そうなれば兵は生き残るために必死になって戦うにちがいない」と答えました。これはこの時代より遡ること400年、漢の名将韓信による「背水の陣」を念頭においての発言であろうと思われます。しかし、オリジナルである韓信の「背水の陣」は、決して窮地を脱するための起死回生の策としてこのような行動に出たのではなく、実は不利な状況と見せかけて敵を城からおびき出し、その隙に別働隊が城を占領する陽動作戦を成功させるために準備された、周到な作戦だったのです。これについても『孫子』には「これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く」(九地篇)とあるのですが、馬謖が韓信と決定的に異なっていたのは、韓信が周到な準備の上で兵を奮起させるため窮地に追い込んだのに対し、馬謖は窮地に追い込めば兵は必死になって戦うだろうと因果を倒錯していたという点にあります。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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