窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

大野城②-鏡池・増長天地区

2011年02月20日 | 史跡めぐり


  大野城の話題に戻ります。馬責から山道を登っていくとさらに内部土塁跡があり、それを越えると増長天地区と呼ばれるところに着きます。

  まず目に入るのが鏡池とよばれる小さな池です。ここは大野城の井戸であったと考えられ、1300年以上経た現在に至るまで一度も渇水したことはないと言われています。1994年に福岡を襲った異常渇水も時でさえ、この鏡池の水が枯れることはありませんでした。

  名護屋城の時も触れましたが、城において何よりも重要なのは水の確保、『三国演義』で蜀の馬謖が水の確保できない高地に布陣し大敗を喫したのは良く知られています。その点、大野城は実際に歩いていて思いましたが、四王寺川を初めとして山中のいたるところに湧き水が見られ、山城として適していたことが分かります。この鏡池のある所などは標高400m近いのです。



  さて、この増長天地区は6m×10mほどの高床倉庫4棟の礎石跡が見つかっており、城の食糧庫であったと考えられています。
  
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岩屋城②-馬責(うまぜめ)

2011年02月19日 | 史跡めぐり


  さて、岩屋城本丸の入口から林道を横切り、山道を登っていくと「馬責」と呼ばれる場所にたどり着きます。



  ここは前回ご紹介した高橋紹運の馬の調練場(馬責)であったと言い伝えのあるところです。馬を訓練するにはあまりにも狭いと思うのですが、13年前に行った沖縄の今帰仁城の馬場も非常に狭かったので、ない話ではないのかもしれません。



  馬責を取り囲んでいる土手のように見えるものは、大野城の土塁です。この辺が大野城の南端になります。

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芦屋 串乃宴-横浜馬車道

2011年02月18日 | 食べ歩きデータベース


  このブログでもしばしば登場する幸喜屋さんが2月15日にオープンしたばかりの本格串揚げ屋、芦屋串乃宴に行ってきました。



  串揚げについてはほとんど何も知らないのですが、塩・辛子ソース・醤油・レモンの四種類の調味料。レモンは種が入らないようガーゼで包むなど細やかな配慮が見られます。



  幸喜屋の高田店長もいつもとは違った作務衣、少し緊張気味に見えます。



  芦屋串乃宴は幸喜屋のオーナーさんが馴染みだった芦屋の串揚屋さんが、大将の高齢で店を畳むことになり、それが縁でここ馬車道にオープンすることになったそうです。最初の3ヶ月、その大将(写真)が指導を兼ねて腕を振るっています。最初は職人気質の気難しい方かと思っていたのですが、穏やかで楽しい方でした。それでも「串揚げは仕事だと思っていたらとても続けられるものじゃない」とは職人らしい、心に響くお言葉でした。一方、「最近、魚や海老の頭を落とす時、可哀想になってくるとは俺も歳かな...」とも。  

  さて、肝心の串揚げの方は一本一本ご紹介していてはキリがありません。しかし、きっと満足していただけるこだわりの数々であることは間違いありません。ぜひ皆さんでお確かめください。  

芦屋 串乃宴

横浜市中区相生町4-66
第15須賀ビル2階



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岩屋城①‐本丸跡

2011年02月18日 | 史跡めぐり


  大野城がある四王寺山の中腹には戦国時代の山城、岩屋城があります。豊臣秀吉による天下統一の直前、九州制覇を目論む島津氏と大友氏配下の高橋紹運が激闘を繰り広げた「岩屋城の戦い」(1586年)が行われた場所です。



  岩屋城の本丸跡からは筑紫平野が一望でき、眼下には大宰府政庁跡(写真をクリックすると拡大写真が見られます)や水城が見下ろせます。島津側の総大将、島津忠長は大宰府政庁跡の東側にある観世音寺に陣を設けたそうなので、恐らくここから島津軍の本陣を見下ろしていたであろうと思われます。



  城の本丸と言っても、実に小さなところです。高橋紹運は、ここにわずか760名の手勢で約2万の島津軍を前に篭城したのでした。紹運は約2週間にわたって奮戦し、島津側におびただしい犠牲者を出させましたが力尽き、全員が玉砕して果てたといいます。しかし、この徹底抗戦によって島津軍は体制の立て直しに手間取り、その間に豊臣秀吉の軍勢10万が九州に上陸。島津義久の九州統一の夢は果たせずに終わったのでした。

  「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」、紹運が割腹して果てる前に詠んだ辞世の句です。

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大野城①

2011年02月17日 | 史跡めぐり


  昨年は水城大宰府政庁跡に行きましたが、今年は大野城に登ってきました。大野城は665年に築かれた百済式山城で、四王寺山の尾根づたいに周囲8㎞に及ぶ土塁(一部は石塁)を巡らした、大宰府防衛のための大要塞でした。『日本書紀』によれば、亡命百済人の憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくふ)に、大野城と椽城(基肄城?)を築かせた、とあります。

  大野城が築城された時代背景については、上記の水城および大宰府政庁跡のリンクをご覧ください。



  さて、僕は旅をするにあたってほとんど地図を見ることはありません。今回も西鉄太宰府駅を降りると四王寺山に向かって適当に歩き始めました。また、これも良くあることですが、仕事帰りなのでスーツに革靴という、とても山登りに似つかわしくない格好です。



  詳細は順次ご紹介していきますが、上の地図が今回大野城めぐりで辿った経路です(上の写真をクリックしてください)。途中の岩屋城までで標高291m、山頂までは410mあります。また、先ほど申し上げたように、土塁の周囲は約8,200mです。



  太宰府駅を出て歩くこと2時間半、最終的にたどり着いたのはJR香椎線の宇美駅でした。冬ですが、さすがに顔から塩がふいていました。しかし、運動不足の体で大して筋肉痛にもならなかったのは不思議です。



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「よみがえり マリアージュ」がヨコハマ・グッズ特別賞を受賞しました

2011年02月16日 | リサイクル軍手の世界


  第14期ヨコハマ・グッズ001に認定された「特殊紡績手袋 よみがえり マリアージュ」がおかげさまで第14期特別賞をいただきました。



  只今、3月末のデビューを前に準備を進めております。これからも「特殊紡績手袋 よみがえり」シリーズを宜しくお願い致します。

関連:
*「特殊紡績手袋 よみがえり」は第一回かながわリサイクル認定商品です。

「特殊紡績手袋 よみがえり」ができるまで(ムービー)

「特殊紡績手袋 よみがえり」の品質

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かろのうろん-博多うどんの老舗

2011年02月16日 | 食べ歩きデータベース


  創業明治16年の博多うどんの老舗です。



  かなりの有名店ですが、この日も大阪毎日放送が撮影に訪れていました(ちょいと映っているかもしれません)。もう30分ほどしたら、芸人さんが来るということだったので、ちょっとした騒ぎになったかもしれません。



  さて、うどんと言えば圧倒的に讃岐、稲庭が有名ですが、一説にはうどんの発祥は博多と言われているほどで、こちらの人にとってもうどんは大変親しみのある食べ物です。因みに「うろん」とは、博多弁でうどんが訛ったものらしいですが、現在うどんを「うろん」という人は僕の知る限りいません。



  博多うどんの特徴は、讃岐うどんのようにコシが強くなく、ふわっと柔いことです。讃岐うどんに慣れた方にとって、この柔さは抵抗があるかもしれませんが、僕はこのソフトな食感もまた好きです。

  今回注文したのは、肉うどん。肉うどんは煮付けた肉の甘みが溶け出し、うどん全体が甘くなってしまうという危険性が往々にしてありますが、ここの肉うどんはそれが全くなく、しっかりとした昆布だしの旨みと香りをきちんと味わうことができました。美味しかったです。


かろのうろん

福岡県福岡市博多区上川端2-1



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ラグビー日本選手権2回戦

2011年02月15日 | スポーツ観戦記


  2月13日(日)、秩父宮ラグビー場に日本選手権2回戦、NTTドコモvs神戸製鋼、東芝vs帝京大学を観戦に行ってきました。

  前日まで東京でも積雪があり天気が心配されましたが、この日はうって変わってのラグビー日和。バックスタンドではビールが呑めるほどの穏やかな気候に恵まれました。一方でやはりここは秩父宮、ピッチのコンディションは雪による影響でひどい状態でした。



  さて、第一試合のNTTドコモvs神戸製鋼ですが、まだまだ経験値と戦力差は否めないとはいえ、一方的に神戸製鋼がトライを重ねていく展開になりました。かといって神戸製鋼が圧倒というわけでもなく、全体的に締まりのないまま試合が終わってしまった印象です。



  NTTドコモは来シーズンからトップリーグに昇格するわけですから、神戸製鋼に胸を借りるつもりで激しく行って欲しかったのですが、前に出れない、タックルも高い、ゲームプランも?と少々残念でした。



  結局、前後半で6トライを挙げた神戸製鋼が38vs0でNTTドコモを完封し、来週の3回戦に駒を進めました。



  逆に第二試合の東芝vs帝京大学は、例年ですとトップリーグ上位チームと大学生とでは下手をすると100点ゲームになりかねないほどの開きがあるのですが、帝京大学が序盤から溌剌としたスピードのあるプレーでスタンドを沸かせてくれました。



  すぐに東芝が修正しましたが、序盤は学生ラグビー最強のFWを誇る帝京大学がスクラムで押し込む場面も見られました。



  前半は3トライを挙げた東芝が19vs0で折り返し。リザーブメンバーが中心だったとはいえ、東芝としてはストレスの溜まる展開だったというのが本音ではないでしょうか。



  しかしやはり地力に勝る東芝に対して、帝京大学も人数をかけなければならず、そこに空いたスペースを突かれるという、学生ラグビーであればまさに帝京大学が今シーズン行っていた形で次第に点差を広げられていきます。それでも後半20分過ぎまでは26vs3でした。



  そして後半38分、ついに帝京大学の黒川選手が森田選手から受取ったボールを持ち込んでトライを挙げます。ゴールも決めて38vs10。



  最終的には終了間際に東芝の藤井選手がトライを挙げ、43vs10でノーサイドとなりましたが、帝京大学の大健闘だったと言えるでしょう。今シーズンの帝京大学は、近年の大学ラグビーの中でも特に完成された良いチームだったと思います。

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バーテンダー技能競技九州決勝大会

2011年02月14日 | BAR&WHISKY etc.


  更新が遅くなってしまいましたが、九州出張の最終日、2月6日(日)に百道の福岡ヒルトンシーホークで行われた、第38回全国バーテンダー技能競技九州決勝大会と第8回NBAフレアテンディング・バーテンダー・コンペティションに行ってきました。残念ながら飛行機の都合もあってその後のパーティには参加できませんでしたが。

第38回全国バーテンダー技能競技九州決勝大会


  「フレアテンディング」とは、トム・クルーズ主演の『カクテル』で一躍有名になりましたが、ボトルやティン(シェーカーのようなもの)を投げたりキャッチしたりするパフォーマンスを見せながらカクテルを作る技術です。僕も映像でしか見たことがなかったので楽しかったです。また話が逸れてしまいますが、『カクテル』の挿入曲、The Beach Boysの「Kokomo」やStar Shipの「Wild again」ヒットしましたね。懐かしくてつい...。

The Beach Boys - Kokomo


Starship-Wild again


  戻ります。バーテンダー技能競技は上の動画にある創作カクテルの他、



共通のスタンダードカクテルを審査する課題カクテルや



フルーツカッティングの技能、また知識を問う筆記試験もあります。審査項目も非常に細かく、大変厳しい審査だと思いました。創作カクテルはどれも見事なもので、パーティに参加できなかったのが返す返すも残念です。

  さて、総合の結果のみご紹介いたします。

第38回全国バーテンダー技能競技九州決勝大会

優 勝 西志穂選手  (鹿児島支部)
準優勝 織地大志選手 (鹿児島支部)
3 位 小長紀子選手 (大分支部)
4 位 片岡弘之選手 (佐賀支部)

第8回NBAフレアテンディング・バーテンダー・コンペティション

優 勝 村田大高選手  (久留米支部)
準優勝 久富美穂子選手 (北九州支部)
3 位 高祖幹選手   (佐賀支部)

  全国大会でもご活躍をお祈りしております!

カクテル [DVD]
クリエーター情報なし
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント


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松浦勝人さん

2011年02月13日 | 講演メモ
  先日、エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長、松浦勝人さんのご講演を拝聴する機会がありました。

  松浦社長は横浜市港南区出身、僕とは9歳違いですが、お話の端々に港南台や上大岡など馴染みの場所の描写が出てくるので、僕も当時の町の様子を思い出し、「あの頃、そんなことされていたのか」と何だか不思議な感じに襲われました。

  ご講演は大学在学中のアルバイト時代からエイベックス・ディー・ディー株式会社(当時)を設立するまでを淡々とした口調でお話されていました。なお、進行役は東京プリンの伊藤洋介さん、余談ですが、僕は東京プリンの歌を10曲くらい歌えたりします。

  音楽、特に海外のダンスミュージックがお好きだった松浦社長は、大学在学中に港南台の貸レコード店「友&愛」(これも懐かしい響きです)でアルバイトをされていました。オーナーには店を任され、今では一般的になっていますが、ご自分が推薦できる曲に手作りのポップをつけたり、会員制でレンタルであるという業態の特性を活かしたサービスで実績を挙げられました。

  その後、港南台店のオーナーとご尊父による共同出資で新会社を設立、上大岡駅近くに「友&愛」上大岡店を開業。こちらも独自の工夫で会員を増やし、その一方で好きなダンスミュージックの知識を活かし、輸入盤に独自の解説文をつけて他店に卸すというビジネスを考案されました。折りしも、HMVTOWER RECORDSが続々日本に進出してきた時代(確かに横浜にHMVができた時は大変な騒ぎだったと記憶しています。それだけに先月の弊店のニュースも時代の流れとはいえ驚きでした)、このビジネスでも成功を収められます。

  その後、このビジネスの有望性に目をつけた他の貸レコード店を営んでいた方に半ば強引に誘われる形で、卸売業に特化したエイベックス・ディー・ディー株式会社を設立。海外からの直接輸入を行う一方、イタリアの業者からレーベルの権利を購入し、26歳の時にavex traxを設立されます。当時ディスコ、マハラジャで流れていた、けれども名前が分からないという曲を集めた「マハラジャナイト」がヒット、さらに「ジュリアナ・トーキョー」シリーズが大ヒットを収めます。これが小室哲哉氏との出会いと、その後の誰もがご存知の急成長への遠因となったようです。

  多くの成功された方が異口同音におっしゃることですが、松浦社長も「成功には運やまぐれが多分に含まれる。小室哲哉氏との出会いも後になってみれば出会うべくして出会ったと思えるが、結局のところ何かをするから何かが起こる」とおっしゃていました。つまり、人より先に階段を上ればいかにも元から壮大なビジョンを描いていたかのように見えますが、ご本人曰く「目の前にあるやるべきことを徹底してやっていたら、誰もやらないところにいた」ということです。イチロー選手も確か、「今自分にできること、頑張ればできそうなこと、そういうことを積み重ねていかないと遠くの大きな目標は近づいてこない」と述べておられたように思います。

  お話を伺って個人的に思ったのは、分析すれば様々な成功要因が挙げられるでしょうが、先日ご紹介させていただいた深田社長も今回の松浦社長もその要因が初めから揃い、使い方も熟知していたわけではなかったであろうと思います。一番大切な人を動かす原動力、今回のお話の中では社長が若い頃からお好きだったダンスミュージック、にどれだけ徹底して向き合い、誰にも負けないレベルまで高めることができていたかどうか、また過去に囚われるでも未来への妄想に耽るでもなく、今この瞬間にどれだけ集中できているかの違いではないでしょうか。

 僕も関心のあること、好きなことはたくさんあります。しかし、その内のどれか一つでも誰にも負けないレベルまで徹底的に取り組めているのかと問うた場合、「あれも好き、これも好き」という中途半端なレベルに終わっているといわざるを得ません。しかし、今回のご講演によって本当に自分が好きなことにもっと集中してよいのだという確信をいただけた気がしました。ありがとうございました。

マハラジャ・ナイト(1)
クリエーター情報なし
エイベックス・トラックス


ジュリアナ・トーキョー(1)
クリエーター情報なし
エイベックス・トラックス


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