「山口薫 展」 世田谷美術館

世田谷美術館世田谷区砧公園1-2
「山口薫 展 - 都市と田園のはざまで - 」
11/3-12/23(会期終了)



縁あって巡回前の群馬と二度見ることが出来ました。「都市と田園、そして抽象と具象のはざまで揺れ動いた」(美術館HPより)という昭和の画家、山口薫の業績を振り返ります。世田谷美術館での回顧展へ行ってきました。



群馬の寒村に生まれ、上京ののち世田谷に住んで絵に取り組み続けた山口の作風は、ともかく一概に捉えられないほどに多様ですが、渡欧して西洋画の影響を強く受けた初期作からして素朴な魅力をたたえています。透明感に満ちた深緑色の衣服を纏う女性を描いた「緑衣の女」(1931)は、はっきりとした目鼻立ちにモデルの強靭な意思が表れていますが、その肉感的でかつ力強い造形美は、さながらピカソの絵を連想させる部分があるのではないでしょうか。また延々と続く石造りの建物をテラス越しに眺めた「巴里の街」(1931)も、キュビズムを思わせるような構成を見て取れます。後に山口は、独特な菱形模様を用いる『抽象』を多く描きますが、それがたとえ彼の見た田舎の景色に由来しているとしても、この時期の西洋画受容の経験が何らかの形で作用していたのではないでしょうか。変わり続けた彼の画業の原点はここに見いだせそうです。



帰国後の山口は戦争下にあった世情にも関係してか、暗鬱な色彩に包まれた物静かな絵画を多く手がけていますが、中でも「蛸壺など」(1939)における寂寞感は私の心を深く捉えてなりません。彼の色と言える茶褐色を背景に、壷や杯などがあたかもトマソンのようにいくつも立ち並んでいます。また、須田のサーモンインクのような薄ピンク色に沈む果実を描いた「桃」(1938-40)も印象に残りました。青や赤など、様々に色を変える桃の枝が横たわっています。対比的に上方に広がる闇もまた不気味な雰囲気を感じさせていました。



菱形の抽象面を超えた晩年は、もはやイメージが水に溶けるかのように拡散しています。「沼面春の雨」(1960)や「水田を飛ぶカーチス式軽飛行機」(1964)は、田舎の実景を元にしながらも、山口の過去への追憶の念が現れた一種の心象風景です。景色が作家の体験と記憶の中へと入り込み、そこから孤高の詩情が滲みだしています。率直なところ、これらを『抽象』とするには相当の抵抗感がありました。詩が絵になって紡がれる瞬間がキャンバスに記録されているわけです。



展示は本日で終了しています。なお年明け1月より三重県立美術館(1/4-2/22)へと巡回します。

*関連エントリ
群馬県立近代美術館@群馬の森公園 2008/9
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