都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「小林猶治郎展」 練馬区立美術館
練馬区立美術館
「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」
2/17-4/7

練馬区立美術館で開催中の「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」へ行ってきました。
明治に生まれ、戦前、戦後と悠々自適に絵画と向き合い続けた画家、小林猶治郎(1897~1990)。美術ファンの中でも彼の名はあまり知られていないかもしれません。
それもそのはず、生前も殆どの作品は売られず、アトリエにお蔵入り。死後も一部が練馬や千葉の公立美術館に収められたものの、大々的に公開されたことは一度もありませんでした。

小林猶治郎「鶏頭」1931年 油彩・画布 小泉製麻株式会社
まさに小林猶治郎の復権、没後初の一大回顧展です。彼は人生の後半を豊玉北で過ごした練馬の画家。今回、同美術館ではそこにあったアトリエに入り、遺族の協力を得て調査研究。また作品の一部については修復も行い、回顧展の開催にこぎつけました。
それでは小林猶治郎とは如何なる画家なのか。生まれは静岡は興津です。少年時代を東京の下町で過ごし、慶応の普通部から商工学校を経て、理財科(現経済科)に入学します。
一見、画家人生とは無縁にも思える青少年期。彼が画家へ転向する切っ掛けとなったのは肺結核の療養です。医者に余命は25歳までと宣告された猶治郎は「残りの人生は好きな絵を描いて過ごそう。」と考え、大学を中退、絵の道を志すようになります。
以来、深川、神戸、千葉の安房、下落合などを渡り歩きながら、58歳の時に練馬へアトリエを新築して定住。結果的に医師の宣告などもろともせず、93歳の天寿を全うしました。
さてそうした小林猶治郎、確かに練馬の画家であることには間違いありませんが、あえて申し上げれば千葉の画家でもあります。

小林猶治郎 左:「勝山岩井袋」1927年 油彩・画布 個人蔵
右:「房州風景」1925年 油彩・画布 千葉市美術館
と言うのも1922年、26歳の時に関東大震災によって東京の家を失った猶治郎は日本各地を転々としますが、当初は生活の拠点を千葉の安房勝山に移しているのです。
安房勝山の地にて彼は雑貨・絵草紙の店「みなとや」を構えながら絵を描き続けます。

小林猶治郎「潮染手ぬぐい」
また同じく安房の鴨川の紺屋に通い、染織について学んだことも。そこで潮染手ぬぐいのデザインを行い、房州みやげとして販売も手がけました。
猶治郎は風景に静物と様々な絵画を残しましたが、多くあるのは千葉・房総の海や景色を描いた作品。この時期、1930年前後の作品は大変に充実しています。

小林猶治郎「なぎさ」1927年 油彩・画布 小泉製麻株式会社
1927年に帝展に入選した「なぎさ」も舞台は安房の海。ちなみに本作は神戸にあり、阪神大震災時に穴があいてしまいましたが、本展にあわせて修復されたものです。
何物にもとらわれない伸びやかな筆致、そして何よりも輝かしき光と色。作風に特徴的な鮮やかな色彩感覚は、おそらくは千葉の安房の光や色から獲得したに違いありません。

小林猶治郎「タイトル不詳(螺旋)」1955年頃 油彩・画布 個人蔵
また展示ではキュビズムや抽象を思わせる実験的な作品の他、「油彩日本画」とも呼ばれる晩年の俳味のある作品までが登場。

小林猶治郎「踏路者」1935年 油彩・画布 練馬区立美術館
それに童心に帰ったような軽妙な絵画も猶治郎の世界。計80点余で猶治郎の全貌を紹介しています。
絵画を通して見る一人の奔放な画家の軌跡。「超然孤独」とありますが、家族との絆は強く、彼の作品は大切に守られてきたそうです。

富田有紀子展(2/17~4/7)
なお会場では猶治郎のお孫さんにあたる富田由紀子の個展もあわせて開催。富田は96年のVOCA展で奨励賞を受賞した画家、鮮烈な色遣いによる花をモチーフした一連の作品は美しき光を放っています。

「富田由紀子展」展示室風景
知られざる画家を発掘、綿密な調査を経て、改めて世に問う展覧会。まさに練馬ならではの好企画ではないでしょうか。

小林猶治郎「素描写生行脚」1985年 油彩・画布 個人蔵
「芸術家は感激が枯れたら生ける屍。人生八十八、明日の無い孤独道と自在心を求めて、彷徨う枯淡の夢。」小林猶治郎
4月7日まで開催されています。私はおすすめします。
「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」 練馬区立美術館
会期:2月17日(日)~4月7日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~18:00
料金:大人500円、大・高校生・64~74歳300円、中学生以下・75歳以上無料。
住所:練馬区貫井1-36-16
交通:西武池袋線中村橋駅より徒歩3分。
注)写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」
2/17-4/7

練馬区立美術館で開催中の「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」へ行ってきました。
明治に生まれ、戦前、戦後と悠々自適に絵画と向き合い続けた画家、小林猶治郎(1897~1990)。美術ファンの中でも彼の名はあまり知られていないかもしれません。
それもそのはず、生前も殆どの作品は売られず、アトリエにお蔵入り。死後も一部が練馬や千葉の公立美術館に収められたものの、大々的に公開されたことは一度もありませんでした。

小林猶治郎「鶏頭」1931年 油彩・画布 小泉製麻株式会社
まさに小林猶治郎の復権、没後初の一大回顧展です。彼は人生の後半を豊玉北で過ごした練馬の画家。今回、同美術館ではそこにあったアトリエに入り、遺族の協力を得て調査研究。また作品の一部については修復も行い、回顧展の開催にこぎつけました。
それでは小林猶治郎とは如何なる画家なのか。生まれは静岡は興津です。少年時代を東京の下町で過ごし、慶応の普通部から商工学校を経て、理財科(現経済科)に入学します。
一見、画家人生とは無縁にも思える青少年期。彼が画家へ転向する切っ掛けとなったのは肺結核の療養です。医者に余命は25歳までと宣告された猶治郎は「残りの人生は好きな絵を描いて過ごそう。」と考え、大学を中退、絵の道を志すようになります。
以来、深川、神戸、千葉の安房、下落合などを渡り歩きながら、58歳の時に練馬へアトリエを新築して定住。結果的に医師の宣告などもろともせず、93歳の天寿を全うしました。
さてそうした小林猶治郎、確かに練馬の画家であることには間違いありませんが、あえて申し上げれば千葉の画家でもあります。

小林猶治郎 左:「勝山岩井袋」1927年 油彩・画布 個人蔵
右:「房州風景」1925年 油彩・画布 千葉市美術館
と言うのも1922年、26歳の時に関東大震災によって東京の家を失った猶治郎は日本各地を転々としますが、当初は生活の拠点を千葉の安房勝山に移しているのです。
安房勝山の地にて彼は雑貨・絵草紙の店「みなとや」を構えながら絵を描き続けます。

小林猶治郎「潮染手ぬぐい」
また同じく安房の鴨川の紺屋に通い、染織について学んだことも。そこで潮染手ぬぐいのデザインを行い、房州みやげとして販売も手がけました。
猶治郎は風景に静物と様々な絵画を残しましたが、多くあるのは千葉・房総の海や景色を描いた作品。この時期、1930年前後の作品は大変に充実しています。

小林猶治郎「なぎさ」1927年 油彩・画布 小泉製麻株式会社
1927年に帝展に入選した「なぎさ」も舞台は安房の海。ちなみに本作は神戸にあり、阪神大震災時に穴があいてしまいましたが、本展にあわせて修復されたものです。
何物にもとらわれない伸びやかな筆致、そして何よりも輝かしき光と色。作風に特徴的な鮮やかな色彩感覚は、おそらくは千葉の安房の光や色から獲得したに違いありません。

小林猶治郎「タイトル不詳(螺旋)」1955年頃 油彩・画布 個人蔵
また展示ではキュビズムや抽象を思わせる実験的な作品の他、「油彩日本画」とも呼ばれる晩年の俳味のある作品までが登場。

小林猶治郎「踏路者」1935年 油彩・画布 練馬区立美術館
それに童心に帰ったような軽妙な絵画も猶治郎の世界。計80点余で猶治郎の全貌を紹介しています。
絵画を通して見る一人の奔放な画家の軌跡。「超然孤独」とありますが、家族との絆は強く、彼の作品は大切に守られてきたそうです。

富田有紀子展(2/17~4/7)
なお会場では猶治郎のお孫さんにあたる富田由紀子の個展もあわせて開催。富田は96年のVOCA展で奨励賞を受賞した画家、鮮烈な色遣いによる花をモチーフした一連の作品は美しき光を放っています。

「富田由紀子展」展示室風景
知られざる画家を発掘、綿密な調査を経て、改めて世に問う展覧会。まさに練馬ならではの好企画ではないでしょうか。

小林猶治郎「素描写生行脚」1985年 油彩・画布 個人蔵
「芸術家は感激が枯れたら生ける屍。人生八十八、明日の無い孤独道と自在心を求めて、彷徨う枯淡の夢。」小林猶治郎
4月7日まで開催されています。私はおすすめします。
「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」 練馬区立美術館
会期:2月17日(日)~4月7日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~18:00
料金:大人500円、大・高校生・64~74歳300円、中学生以下・75歳以上無料。
住所:練馬区貫井1-36-16
交通:西武池袋線中村橋駅より徒歩3分。
注)写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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