倒れた
情報番組には、コメンテーターとして、いわゆる文化人ですね、学者、評論家、作家、いろいろな人が出てきます。そういう人が何かのコメントの中で「何も始まれられないということがありますね」と言ったのですが、「何も始まらない」でもなく、「何も始められない」でもなく、( ̄~ ̄)ウ~ン、そのどちらも自分の気持ちを表現するのにピッタリではなかったのでしょうかねぇ。
自動詞、他動詞、受身、尊敬、使役、可能、自発、サ行とラ行、これらの区別がだんだんあいまいに、分かりにくくなってきているような気がします。助動詞の形や接続ルールが分かっていないことに加え、日本人なら当たり前に使えるはずの助詞が適切でないことも原因として大きいと思います。
例えば、「あまり意味を感じられない」と聞いて、何だかもやもやしませんか? 「あまり意味が感じられない」なら自発でしょうけれど、「意味を」ですから「あまり意味を感じることができない」という可能の意味で言っているのでしょうか。「あまり意味を感じられない」なんて聞き流しちゃっていいのでしょうか? いや、よくない!
こういうどっちつかずの言い方が耳に入ってきて、「何も始まれられない」などというおかしな言い方を聞き、さらに、「ダークホースとは呼ばせられないように」なんて言った人までいて、ついには「息をふきかえらせた」という意味不明のナレーション(NHKの「プロフェッショナル」にて)が聞こえてきて、日本人にとって日本語って何なんだろうと・・・( ̄ ̄)・・・あ! 「全部覚えさせるヤツがあるんですよ」と言っているところで「全部覚えされるヤツ」という意味不明のテロップが・・・ドタッ←倒れた。
情報番組には、コメンテーターとして、いわゆる文化人ですね、学者、評論家、作家、いろいろな人が出てきます。そういう人が何かのコメントの中で「何も始まれられないということがありますね」と言ったのですが、「何も始まらない」でもなく、「何も始められない」でもなく、( ̄~ ̄)ウ~ン、そのどちらも自分の気持ちを表現するのにピッタリではなかったのでしょうかねぇ。
自動詞、他動詞、受身、尊敬、使役、可能、自発、サ行とラ行、これらの区別がだんだんあいまいに、分かりにくくなってきているような気がします。助動詞の形や接続ルールが分かっていないことに加え、日本人なら当たり前に使えるはずの助詞が適切でないことも原因として大きいと思います。
例えば、「あまり意味を感じられない」と聞いて、何だかもやもやしませんか? 「あまり意味が感じられない」なら自発でしょうけれど、「意味を」ですから「あまり意味を感じることができない」という可能の意味で言っているのでしょうか。「あまり意味を感じられない」なんて聞き流しちゃっていいのでしょうか? いや、よくない!
こういうどっちつかずの言い方が耳に入ってきて、「何も始まれられない」などというおかしな言い方を聞き、さらに、「ダークホースとは呼ばせられないように」なんて言った人までいて、ついには「息をふきかえらせた」という意味不明のナレーション(NHKの「プロフェッショナル」にて)が聞こえてきて、日本人にとって日本語って何なんだろうと・・・( ̄ ̄)・・・あ! 「全部覚えさせるヤツがあるんですよ」と言っているところで「全部覚えされるヤツ」という意味不明のテロップが・・・ドタッ←倒れた。