◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」って?

2012-10-10 19:40:05 | 気になる言葉、具体例
                                  そりゃそうだ

 「神は乗り越えられる試練しか与えない」って、本当によく聞きますよね、映画やドラマのセリフとして、あるいは、どうかすると一般の人でも言うことがあるでしょう? でも、私はこれを聞くたびに強い違和感を覚えます。だって、荒野(あらの)でイエス・キリストに試練を与えたのは悪魔ですよ。
 「もしあなたが神の子であるなら、石がパンになるように命じてごらんなさい」と言われたイエス・キリストが「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」と答える。その後も、宮の頂上から飛び下りろだの、ひれ伏して自分を拝めばこの世の全ての国々とその栄華とをあげるだの、あれこれ言って試したのは悪魔です。
 釈尊が菩提樹の下で悟りを得ようと瞑想していたときも「試練」はあったようですが、現れたのはマーラ・パーピーヤス(天魔波旬、魔羅、天魔、悪魔)です。なんか、妙にかわいい感じの名前ですねぇ(~_~;)。自己の中にある煩悩の擬人化だとか、諸説あるにしても、マーラは神そのものではないのです。
 ということは、神が試練を与えるわけではなく、神以外の、人間ではない存在、つまり、悪魔が誘惑する、誘惑して行くべき道を行かせないようにする、試練を与えるということで、その試練は、乗り越えられる場合もあり、乗り越えられない場合もあり、そうしてこれまで多くの人が道半ばで挫折してきたのではないでしょうか。
 何かとんでもなくつらいことがあると、人はそれを「不幸な出来事」とか「災い」とか言いますが、「試練」と言うとちょっとイメージが違ってきます。本来の「試練」とも少し違う感じがしますが、「不幸な出来事」や「災い」より前向きに捉えられるような気もして、なかなかいい表現ではあります。ちなみに、「パッション」というと大抵は「熱情」と解釈されますが、「怒り」「情欲」「熱望するもの」という意味もあり、「the Passion」だと、これは「キリストの受難」ですからね。
 試練は、神によってもたらされるものではなく、悪魔、あるいは、もっと日本人にとって身近なイメージでいうと「因縁」によってもたらされるものだと私は思っています。つまり、恵まれているのは先祖が徳を積んだから、だとすれば、要するにその逆ということになります。試練を乗り越えられなければだれが喜ぶかというと、それは悪魔であり、乗り越えれば、悪魔は悔しがり、神と先祖は喜ぶでしょう。
 励ましのつもりで「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言う、だから乗り越えられるはずだと思ってもらいたい、その気持ちは分からなくもないですが、最初から乗り越えられると予測できる程度の試練なら、試練の意味がないのでは? 乗り越えられる試練しか与えられなくて本当に成長できるの? 到底乗り越えられないような悪魔の試練を全力で乗り越えることを神は心から願っているのではないでしょうか。
コメント (2)
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