もう少し
なぜあちこちで見聞きするのが「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」ではなく「神は乗り越えられる試練しか与えない」なのでしょうかねぇ( ̄・ ̄)? 2012年10月10日の記事(「神は乗り越えられる試練しか与えない」って?)で試練を与えるのは神ではないと書いたのですが、「悪魔」と「神」が別々の存在であることは言うまでもありませんし、「天」と「神」も同一というわけではないので区別してほしいのですが・・・。
「天」にはいろいろな意味があります。空、空のいちばん上にある所、清らかで穢れのない世界、神や精霊のいる所、天地のあらゆるものを支配するもの、法則、自然の摂理、自然の道、人の力を超えた事態、仏法を守護する神の名に添える言葉。これらを「天」と言うことに抵抗はありませんが、その「天」と「神」は違いますよね。
「論語」を研究してきた佐久氏の言う「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」には、その前提として「どんなに不遇でも、逆境の中でも、心身を正しく保っている」ということがあります。そして、「どんな高潔な行いをしている人にも『不運』はあるけれども、それは『不幸』というものとは無関係なんだ。不運に見舞われても、そこでうろたえずに自分を律せるかどうか、それこそが人間の価値であり、人間としての幸福度を決めるカギなのだ。孔子はそう考えたのだろう」(「100分de名著 孔子 論語」より)ということです。
つまり、「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」は、日ごろの心がけ、精神修養、自分を励まし、自分を磨くことを怠らない、そうした準備があって初めて言えることなのです。多くの日本人が割と簡単に「神は」と言いますが、「神は乗り越えられる試練しか与えない」なんて安直すぎでしょ。大体、私なんぞは試練に負けたことが幾度となくあるわけで、乗り越えられる試練しか与えないなんてうっそだぁ~と思うわけですよ。
ひょっとして、「情けは人の為ならず」に「巡り巡りて己が(おのが)身の為」という続きがあるように、「神は乗り越えられる試練しか与えない」には「悪魔は乗り越えられるかどうか分からない試練を与える」という続きがあったりなんかして~<( ̄д ̄)>オーマイガッ。結局、どう向き合うかが問題なのですよね。
・・・なぁ~んてね、ここまでは、2013年5月26日の記事(「天」と「神」。)で「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」が「神は乗り越えられる試練しか与えない」にすり替わったのではないかと書いた後、割とすぐに書いたのですが、何となくすっきりしなくてずっと放置していました。それを、今日やっとアップすることができました。というのも、謎が解けたのですよ~( ̄・ ̄)。
「JIN-仁-」というドラマ、ありましたねぇ、TBS系列の「日曜劇場」枠で、第1期は2009年10月11日から12月20日まで、第2期は2011年4月17日から6月26日まで放送されたようで、「100分de名著 孔子」(2011年5月放送)より早かったのです。これだったのですよ、「神は乗り越えられる試練しか与えない」をはやらせたのは。
最初に放送されたときは全く興味がなくて一度も見たことがなかったのですが、北陸放送が2015年7月28日に再放送したので録画しておいて後で見たのですよ。そうしたら、主人公が「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言って自分を励ます場面があって、驚きました、あぁ、これだ!!!
金沢21世紀美術館で催される特別展示の宣伝で、29日は第2話と第3話が放送されました。それにしても、第1話からずっと妙にイライラする展開で、ハラハラはいいのですがイライラは苦手、ですから、イラッとするところはパパッと早送りして見たのですが、第2話でも、コレラと闘う幼い患者に向かって「神は乗り越えられる試練しか与えないんだよ」と言って励ましていました。
あぁ~、また言ってる~<( ̄д ̄)>。ドラマって、いわゆる決め台詞というのがありますよね、それですよ。決め台詞ですからけっこう何度も言うようで、そりゃ、はやるはずだわ。その後も続けて2話ずつ放送していましたが、私は第3話まで見ればもう十分。だって、誰も過去になんか戻れやしないのですから、あの主人公は無駄に悩んでいるとしか思えなくて・・・。
なぜあちこちで見聞きするのが「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」ではなく「神は乗り越えられる試練しか与えない」なのでしょうかねぇ( ̄・ ̄)? 2012年10月10日の記事(「神は乗り越えられる試練しか与えない」って?)で試練を与えるのは神ではないと書いたのですが、「悪魔」と「神」が別々の存在であることは言うまでもありませんし、「天」と「神」も同一というわけではないので区別してほしいのですが・・・。
「天」にはいろいろな意味があります。空、空のいちばん上にある所、清らかで穢れのない世界、神や精霊のいる所、天地のあらゆるものを支配するもの、法則、自然の摂理、自然の道、人の力を超えた事態、仏法を守護する神の名に添える言葉。これらを「天」と言うことに抵抗はありませんが、その「天」と「神」は違いますよね。
「論語」を研究してきた佐久氏の言う「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」には、その前提として「どんなに不遇でも、逆境の中でも、心身を正しく保っている」ということがあります。そして、「どんな高潔な行いをしている人にも『不運』はあるけれども、それは『不幸』というものとは無関係なんだ。不運に見舞われても、そこでうろたえずに自分を律せるかどうか、それこそが人間の価値であり、人間としての幸福度を決めるカギなのだ。孔子はそう考えたのだろう」(「100分de名著 孔子 論語」より)ということです。
つまり、「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」は、日ごろの心がけ、精神修養、自分を励まし、自分を磨くことを怠らない、そうした準備があって初めて言えることなのです。多くの日本人が割と簡単に「神は」と言いますが、「神は乗り越えられる試練しか与えない」なんて安直すぎでしょ。大体、私なんぞは試練に負けたことが幾度となくあるわけで、乗り越えられる試練しか与えないなんてうっそだぁ~と思うわけですよ。
ひょっとして、「情けは人の為ならず」に「巡り巡りて己が(おのが)身の為」という続きがあるように、「神は乗り越えられる試練しか与えない」には「悪魔は乗り越えられるかどうか分からない試練を与える」という続きがあったりなんかして~<( ̄д ̄)>オーマイガッ。結局、どう向き合うかが問題なのですよね。
・・・なぁ~んてね、ここまでは、2013年5月26日の記事(「天」と「神」。)で「天は人が乗り切れるだけの試練を与える」が「神は乗り越えられる試練しか与えない」にすり替わったのではないかと書いた後、割とすぐに書いたのですが、何となくすっきりしなくてずっと放置していました。それを、今日やっとアップすることができました。というのも、謎が解けたのですよ~( ̄・ ̄)。
「JIN-仁-」というドラマ、ありましたねぇ、TBS系列の「日曜劇場」枠で、第1期は2009年10月11日から12月20日まで、第2期は2011年4月17日から6月26日まで放送されたようで、「100分de名著 孔子」(2011年5月放送)より早かったのです。これだったのですよ、「神は乗り越えられる試練しか与えない」をはやらせたのは。
最初に放送されたときは全く興味がなくて一度も見たことがなかったのですが、北陸放送が2015年7月28日に再放送したので録画しておいて後で見たのですよ。そうしたら、主人公が「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言って自分を励ます場面があって、驚きました、あぁ、これだ!!!
金沢21世紀美術館で催される特別展示の宣伝で、29日は第2話と第3話が放送されました。それにしても、第1話からずっと妙にイライラする展開で、ハラハラはいいのですがイライラは苦手、ですから、イラッとするところはパパッと早送りして見たのですが、第2話でも、コレラと闘う幼い患者に向かって「神は乗り越えられる試練しか与えないんだよ」と言って励ましていました。
あぁ~、また言ってる~<( ̄д ̄)>。ドラマって、いわゆる決め台詞というのがありますよね、それですよ。決め台詞ですからけっこう何度も言うようで、そりゃ、はやるはずだわ。その後も続けて2話ずつ放送していましたが、私は第3話まで見ればもう十分。だって、誰も過去になんか戻れやしないのですから、あの主人公は無駄に悩んでいるとしか思えなくて・・・。