行かんといてぇ
「左遷させられた」と言ったのは本社から地方の営業所に飛ばされた人、まさに左遷された本人ですから明らかに誤りです。セリフでもナレーションでも、ただのおしゃべりでも、なぜかちょいちょい聞こえてくるのですが、左遷された本人が「左遷させられた」なんて、日本人なのに「される」と「させられる」の区別すらできないなんて、情けない、ひどすぎます。状況が正反対になってしまうような誤りを誤りだと気づいていない人が大勢いるという現実に寒気がしますよ。
石川テレビの竹内彩華アナなんて、「とろみをつけます」と言うべきところで「とろみをつけさせます」と言い、「(打ち上げ花火は)自分で着火して逃げるというイメージ」と言うべきところで「自分で着火させて逃げるというイメージ」と言いますからね、いつもいつも余計な「させ」を入れる、完全な「させ」症候群患者です。
「100分de名著 斜陽」で、講師が「人間にさせようとしてくれるんだけども」と言ったのですが、へぇ~、作家で、しかも大学教授、それでも「させ」症候群を発症するのですね。話の流れは「お母さんの引力から脱出して一人の“かず子”という人間になっていく、かず子の人間宣言、蝮(まむし)は予感、自分をどこかに連れていこうとしている、人間にさせようとしてくれるんだけどもそれが何なのか」です。
「それが何なのか」の答えは「恋」で、かず子は恋によって一人の人間になっていくというわけです。ということは、かず子を人間にしようとしてくれるのは恋なのですね、なぁ~んだ┐( ̄д ̄)г。かず子は「人間になる」で、かず子を「人間にする」のは恋、いいですか、「人間にさせようと」ではなく「人間にしようと」です。
さらに、戦争で大黒柱を失った女性たちがやがて人間として自立していくという話をしていて「もしかしたら哀れまれたりとか蔑まされたりしてる中で」と言った伊集院光、このブログには、「ドラマに出してもらった」「出てこなそうですけど」と、ちゃんと話しているほうの例として登場する伊集院光なのに、ちょっと残念。
「哀れむ」の受身表現としては「哀れみを受ける」が多く、「哀れまれる」は滅多に聞きませんが、「蔑まれる(さげすまれる)」はたまに聞きますよね。なのに「蔑まれたり」と言えないなんて「させ」症候群の兆候か? でも、これは「され」で受身だし、ちょっと違うような、それに、サ入れの定義からも外れるし・・・。
と、ここで、小倉智昭が言った「度肝を抜かされたんですが」について2009年4月に書いたことを思い出しました。もうお分かりだと思いますが、正しくは「度肝を抜かれたんですが」ですね、びっくりしたのは自分ですから。余計な「さ」が入っているのですが、サ入れの定義とは違う、もっとレベルの低い誤りです。やはりこれも感染源は小倉智昭だったのかなぁ( ̄_ ̄)。
6月14日の記事で「やらなそうな」と言った渡辺真理を褒めたのに、7月26日放送の「そこまで言って委員会NP」では「うまくやっていけなさそうな」なんて言うのですから、「やらなそうな」はまぐれだったのかな、がっかり( ̄д ̄)。今は、余計な「さ」を入れる人のほうが多いのですから、どうしたものでしょうか。打つ手なしで、これも変化だと思って見ているほかないのでしょうか。
「左遷させられた」と言ったのは本社から地方の営業所に飛ばされた人、まさに左遷された本人ですから明らかに誤りです。セリフでもナレーションでも、ただのおしゃべりでも、なぜかちょいちょい聞こえてくるのですが、左遷された本人が「左遷させられた」なんて、日本人なのに「される」と「させられる」の区別すらできないなんて、情けない、ひどすぎます。状況が正反対になってしまうような誤りを誤りだと気づいていない人が大勢いるという現実に寒気がしますよ。
石川テレビの竹内彩華アナなんて、「とろみをつけます」と言うべきところで「とろみをつけさせます」と言い、「(打ち上げ花火は)自分で着火して逃げるというイメージ」と言うべきところで「自分で着火させて逃げるというイメージ」と言いますからね、いつもいつも余計な「させ」を入れる、完全な「させ」症候群患者です。
「100分de名著 斜陽」で、講師が「人間にさせようとしてくれるんだけども」と言ったのですが、へぇ~、作家で、しかも大学教授、それでも「させ」症候群を発症するのですね。話の流れは「お母さんの引力から脱出して一人の“かず子”という人間になっていく、かず子の人間宣言、蝮(まむし)は予感、自分をどこかに連れていこうとしている、人間にさせようとしてくれるんだけどもそれが何なのか」です。
「それが何なのか」の答えは「恋」で、かず子は恋によって一人の人間になっていくというわけです。ということは、かず子を人間にしようとしてくれるのは恋なのですね、なぁ~んだ┐( ̄д ̄)г。かず子は「人間になる」で、かず子を「人間にする」のは恋、いいですか、「人間にさせようと」ではなく「人間にしようと」です。
さらに、戦争で大黒柱を失った女性たちがやがて人間として自立していくという話をしていて「もしかしたら哀れまれたりとか蔑まされたりしてる中で」と言った伊集院光、このブログには、「ドラマに出してもらった」「出てこなそうですけど」と、ちゃんと話しているほうの例として登場する伊集院光なのに、ちょっと残念。
「哀れむ」の受身表現としては「哀れみを受ける」が多く、「哀れまれる」は滅多に聞きませんが、「蔑まれる(さげすまれる)」はたまに聞きますよね。なのに「蔑まれたり」と言えないなんて「させ」症候群の兆候か? でも、これは「され」で受身だし、ちょっと違うような、それに、サ入れの定義からも外れるし・・・。
と、ここで、小倉智昭が言った「度肝を抜かされたんですが」について2009年4月に書いたことを思い出しました。もうお分かりだと思いますが、正しくは「度肝を抜かれたんですが」ですね、びっくりしたのは自分ですから。余計な「さ」が入っているのですが、サ入れの定義とは違う、もっとレベルの低い誤りです。やはりこれも感染源は小倉智昭だったのかなぁ( ̄_ ̄)。
6月14日の記事で「やらなそうな」と言った渡辺真理を褒めたのに、7月26日放送の「そこまで言って委員会NP」では「うまくやっていけなさそうな」なんて言うのですから、「やらなそうな」はまぐれだったのかな、がっかり( ̄д ̄)。今は、余計な「さ」を入れる人のほうが多いのですから、どうしたものでしょうか。打つ手なしで、これも変化だと思って見ているほかないのでしょうか。