きに入ってる
「気に入れるものであると・・・」と言ったのは一般女性で、大正時代の東大生が好んで大学芋を食べていた、大学芋は今の若者もきっと気に入るだろうという話です。この人は「分かってらっしゃってくださるんですね」とも言って、テレビだからとにかく丁寧にと気合が入っていたのでしょうけれど、日本語をスマートに話せる日本人は、この日本に一体どれほど残っているのでしょうか。
「気に入れる」は可能の表現のつもりで言っているのだと思うのですが、「気に入る」は「好みに合う」という意味ですから、「気に入れる」で可能の表現だというのは無理です。「気に入っていただける」ならいいのですが、「~てくださるんですね」と言った人がそう言えなかったのは残念です。まぁね、この場合は「気に入ってもらえるものであると」ぐらいがいいと思いますけれど。
「楽しい子育てにつながっていければと思っております」と言ったのは、市が運営しているこども広場の保育士(40~50代の女性)です。広報活動の一つとしてきちんと準備して収録してテレビで放送という流れのようなのに「つながっていければ」がおかしいと誰も気づかないのですね。「つながっていく」か「つながっていかない」か、どちらかでしょ、「楽しい子育てにつながっていけばと思っております」でしょ!
「つながる」「つながっていく」をわざわざ可能の形にはしませんが、「つなげる」「つなげていく」なら「つなげられる」「つなげていける」と言いますよね、この違いを分かっていない人は意外に多いのです。そもそも、可能の表現にするということは、「つながる」よりも主体的に「つなげる」という気持ちがあるからでしょう、それなら「楽しい子育てにつなげていければと思っております」と言わないとね。
「そこだけで終わられるというのが」と言ったのは「2時はどきどき5ch」準レギュラーの女性で、「作業が狭い範囲で完結する」といった意味で言っています。可能の意味で「終われる」と言おうとして、“ら抜き”になると感じてわざわざ「ら」を入れて「終わられる」と言ったようですが、「そこだけで終わるというのが」と言えばいいのです。どうしても可能の形にするなら「そこだけで終えられるというのが」でしょ!
「今年は無事に過ごせれるといいなと思って」と言った一般の若い女性、これは“れ入れ”とか“れ足す”とかいわれる誤りですね、「れ」が余計です。「今年は無事に過ごせるといいなと思って」です・・・けれど、切実にそう願っているときは「今年は無事に過ごせたらいいなと思って」と言うかな・・・。
「食べられてしまいそう」と言った河合莉菜(石川テレビアナウンサー)、怪物に食べられるといった話ではありませんよ。受身と区別しやすい「食べれる」が広まり、私も慣れましたが、「食べられそう」が本来の形ですから、それならスルーしたでしょうけれど、「食べられてしまいそう」は変ですよね。アナウンサーなら、やはりここは「食べてしまえそう」と言ってもらいたいものです。
「ウェークアップ!ぷらす」で「元気でいれるって」と言った野村修也弁護士、これは“ら抜き”です。「食べられる」は、「食べれる」になると受身と区別しやすくなります。「いられる」は、「いれる」などと言うと幼稚な印象になるので気をつけましょう、「元気でいられるって」と言わないといけません。同じ“ら抜き”でも、許せるものと許せないものがあるのですよ。
「シラフじゃ入れない」は「報道STATION SUNDAY」で見たテロップですが、話し手は「いられない」という意味で「いれない」と言いましたからね、「入れない」だと意味が変わってしまいます。ほかの番組でも、話し手が「同じ空間にいれるという感じ」と言ったとき、テロップが「同じ空間に入れるという感じ」だったことがあります。こういう間違いも起こってしまうのですから、「いられる」は「ら」を抜いてはいけません。
「気に入れるものであると・・・」と言ったのは一般女性で、大正時代の東大生が好んで大学芋を食べていた、大学芋は今の若者もきっと気に入るだろうという話です。この人は「分かってらっしゃってくださるんですね」とも言って、テレビだからとにかく丁寧にと気合が入っていたのでしょうけれど、日本語をスマートに話せる日本人は、この日本に一体どれほど残っているのでしょうか。
「気に入れる」は可能の表現のつもりで言っているのだと思うのですが、「気に入る」は「好みに合う」という意味ですから、「気に入れる」で可能の表現だというのは無理です。「気に入っていただける」ならいいのですが、「~てくださるんですね」と言った人がそう言えなかったのは残念です。まぁね、この場合は「気に入ってもらえるものであると」ぐらいがいいと思いますけれど。
「楽しい子育てにつながっていければと思っております」と言ったのは、市が運営しているこども広場の保育士(40~50代の女性)です。広報活動の一つとしてきちんと準備して収録してテレビで放送という流れのようなのに「つながっていければ」がおかしいと誰も気づかないのですね。「つながっていく」か「つながっていかない」か、どちらかでしょ、「楽しい子育てにつながっていけばと思っております」でしょ!
「つながる」「つながっていく」をわざわざ可能の形にはしませんが、「つなげる」「つなげていく」なら「つなげられる」「つなげていける」と言いますよね、この違いを分かっていない人は意外に多いのです。そもそも、可能の表現にするということは、「つながる」よりも主体的に「つなげる」という気持ちがあるからでしょう、それなら「楽しい子育てにつなげていければと思っております」と言わないとね。
「そこだけで終わられるというのが」と言ったのは「2時はどきどき5ch」準レギュラーの女性で、「作業が狭い範囲で完結する」といった意味で言っています。可能の意味で「終われる」と言おうとして、“ら抜き”になると感じてわざわざ「ら」を入れて「終わられる」と言ったようですが、「そこだけで終わるというのが」と言えばいいのです。どうしても可能の形にするなら「そこだけで終えられるというのが」でしょ!
「今年は無事に過ごせれるといいなと思って」と言った一般の若い女性、これは“れ入れ”とか“れ足す”とかいわれる誤りですね、「れ」が余計です。「今年は無事に過ごせるといいなと思って」です・・・けれど、切実にそう願っているときは「今年は無事に過ごせたらいいなと思って」と言うかな・・・。
「食べられてしまいそう」と言った河合莉菜(石川テレビアナウンサー)、怪物に食べられるといった話ではありませんよ。受身と区別しやすい「食べれる」が広まり、私も慣れましたが、「食べられそう」が本来の形ですから、それならスルーしたでしょうけれど、「食べられてしまいそう」は変ですよね。アナウンサーなら、やはりここは「食べてしまえそう」と言ってもらいたいものです。
「ウェークアップ!ぷらす」で「元気でいれるって」と言った野村修也弁護士、これは“ら抜き”です。「食べられる」は、「食べれる」になると受身と区別しやすくなります。「いられる」は、「いれる」などと言うと幼稚な印象になるので気をつけましょう、「元気でいられるって」と言わないといけません。同じ“ら抜き”でも、許せるものと許せないものがあるのですよ。
「シラフじゃ入れない」は「報道STATION SUNDAY」で見たテロップですが、話し手は「いられない」という意味で「いれない」と言いましたからね、「入れない」だと意味が変わってしまいます。ほかの番組でも、話し手が「同じ空間にいれるという感じ」と言ったとき、テロップが「同じ空間に入れるという感じ」だったことがあります。こういう間違いも起こってしまうのですから、「いられる」は「ら」を抜いてはいけません。