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『江戸城・皇居を巡る』その3。桜田門から中に入るが、すぐを左に曲がる。すると堀があり、その先には古い交番らしき建物が見えてくる。その先に見えるのが二重橋となる。
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しかし、二重橋の定義は難しく、この写真に写る橋は『正門石橋』であり、さらに奥には橋が『正門鉄橋』、この二つを総称して二重橋ということが多い。しかし、正式には奥の橋、つまり正門鉄橋を二重橋という。
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さらに先に行くが、とにかく広い。二重橋あたりまでは舗装道路があるが、その先は砂利道となっており、歩くだけでくたびれる。
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ようやく、その先の坂下門が見えてくるが、ここは宮内庁の出入口となっているため、一般には通行できない。元は桜田門同様枡形門であったが、明治維新以降に皇居が西の丸に移ると高麗門が撤去、さらに渡櫓門が90度角度を変えて建て直されたものである。一般参賀の際に出口として通行する門である。写真でも奥には宮内庁が写っている。
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また、桜田門外の変が発生した2年後に当時老中であった安藤信正が和宮降嫁に反発した水戸藩士らに坂下門外で襲われる事件が反発、警備を増やしていたために未遂に終わったが、桜田門と坂下門が隣り合わせにあることを初めて知った次第である。
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